1542.神殿を守る民
「さっき、湖の民のお連れさんが、湖水が減ってるって言ってたんだが、ホントか?」
緑髪の男性が、長机に緑青飴を置いた。村に到着した直後、移動放送局の車輌を誘導した者の一人だ。
クルィーロは、五十個入りの大袋を老漁師アビエースに渡して頷く。
「アミトスチグマの知り合いが、周辺国の役所の記録を調べてまとめたのを見せてくれたんです」
「どのくらい下がってたか、憶えてるか?」
誘導の男性が食いつくと、村人たちが一斉に振り返り、あっという間に物販席を囲むんだ。
「細かい数字は忘れましたけど、三十……四十センチくらいだったかな?」
「そんなに?」
緑髪の人の群が、岸辺の葦のようにざわめく。
金髪のDJレーフが、先回りして言った。
「見せてもらったの、去年なんで、今、どこまで下がったか、戻ったか、わかんないんですけどね」
……ファーキル君にグラフを印刷してもらって、行く先々の村で配った方がよさそうだな。
クルィーロは、今日は次の村へ行かず、休憩所に留まって、アミトスチグマの夏の都へ跳んでいいか、後でみんなに相談しようと心にメモした。
「半世紀の内乱が終わって、三十年以上経つのに……」
「そりゃ、島守が悪いに決まってんだろ」
「シッ! 滅多なコト、お言いでないよ」
口を滑らせた男声を妻らしき女性が小突いた。
別のおじさんが鼻を鳴らす。
「折角、お偉いさん方が留守なんだ。今の内に言っちまやいい」
不穏な空気を感じ取り、女の子たちが歌の説明をやめてこちらを向いた。教わる村人たちも、不安げに成行きを見守る。
「基本的なコト、お尋ねしてすみませんけど、シマモリって何ですか?」
DJレーフが恐る恐る聞く。
緑髪の村人たちは一瞬、息を止め、困った顔を見合わせた。村の中央広場を視線が飛び交う。
「今の内に言っちまえよ」
先程、夫婦の話に割り込んだ男性が、物販の長机に片手を突いて村人たちを見回した。
しばらく待ったが、誰も何も言わない。
男性は、DJレーフに向き直った。
「陸の民は知らんだろうが、この島の傍には、ラキュス・ネーニア家の塋域の島がある」
DJレーフが口の中で繰り返す。
「塋域の島……?」
「えいいき……?」
クルィーロは初耳だ。しかも、言葉が難し過ぎてピンとこない。
父と老漁師アビエースが、物販席の前に立つ湖の民の男性に無言で視線を注ぐ。
レノたちは、村長と神官の案内で村の奥にある神殿へ行き、まだ戻らなかった。
「平たく言やあ、島守は墓守だ。あの島にゃ、ラキュス・ネーニア家の祖神ラクテア様が祀られてる」
初めて聞く神名だ。
「それ、俺たちに言っちゃって大丈夫なんですか?」
DJレーフが心配を口にすると男性はニヤリと笑った。
「強力な【結界】と幻術で守られて、俺たち庶民は上陸どころか、見ることもできん」
「えっ?」
「あれっ?」
いつの間にか傍に来た妹たちが首を傾げる。
「嬢ちゃんたちの言いてぇこたぁわかってる。ラキュス・ネーニア家のご先祖様は、パニセア・ユニ・フローラ様じゃねぇのかってんだろ?」
口は悪いが、男性はやさしい目をして子供たちを見た。
妹のアマナだけでなく、パン屋のピナティフィダとエランティス、それにキルクルス教徒のモーフまで、こくりと頷く。
「パニセア・ユニ・フローラ様は癒し手だからな。直系の子孫は居ねぇ」
「えッ……? ……あッ!」
「妹のラクテア様が、ラキュス・ネーニア家の直系のご先祖様だ」
「初めて知りました」
「てっきり、パニセア・ユニ・フローラ様だとばっかり……」
クルィーロとピナティフィダが言うと、アマナが父の後ろに半分隠れて聞いた。
「ラクテア様って、何の神様ですか?」
「ラキュス・ネーニア家の方々にとっちゃ祖神。俺たち庶民にとっちゃ、湖の女神様だ」
「えッ? 湖の女神様って、お二人だったんですか」
ピナティフィダが声を上ずらせた。
夫に口止めしたおかみさんが、やや誇らしげに言う。
「ラクテア様も、碧玲を残して、塋域の島で湖水を生み出して下さってるのよ」
「えッ? ちっとも知りませんでした」
さっきから驚くことばかりだ。
「知らなくても仕方ないわ」
「ラクテア様の碧玲に魔力が行くのは、直轄領の神殿だけだからな」
先程、口を滑らせた男性も、妻の隣で誇らしげに神殿を見遣る。
こんな森の奥深くに立派な神殿がある理由は何となくわかった。
……昔、直轄領だったから、今も祖神ラクテアを祀ってるってコトか。
「この辺の村は、みんな神殿がある」
「って言うか、地脈の力が集まる所に神殿を建てて、そこに村を作ったらしい」
「俺たちゃ食ってく為に農業してるけど、一番の仕事は、神殿に祈りと魔力を捧げるこった」
「そうそう。私ら一人一人の力は弱くっても、みんなで毎日お祈りしてれば、少しはラクテア様にお力添えできるからね」
村人たちは堰を切ったように説明した。
DJレーフが緑髪の人々を見回す。
「後で、俺たちも、お参りさせてもらっていいですか?」
「ジョールチさんたち、今、村長さんたちと行ってんだろ?」
「どうぞどうぞ」
「片付けもあるだろうから、交代で」
到着時とは別人のような歓迎ぶりだ。
父が遠慮がちに聞く。
「先程、島守が悪いとおっしゃいましたが、差し障りなければ、理由を教えていただけませんか?」
さっきの夫妻が視線を交わし、口を開く。
「島守のマガン・サドウィス様が、【水呼び】をサボってるらしいんだ」
「一回も謳ったコトないんじゃない?」
「えぇっと、すみません。俺たち、何もわからないんで、ひとつずつ教えてもらっていいですか?」
DJレーフが言うと、村人たちは唇を引き結び、神殿を見て頷いた。




