1539.情報で支払い
「お待たせしました。これです」
レノが、力なき民向けの魔道書「水晶で使う鳩の術」を差し出すと、湖の民の若い神官は、穴が開きそうな程まじまじと表紙を見た。
「拝見しても……?」
「どうぞどうぞ」
手渡すと、神官はページを捲り、食い入るように眼を走らせた。
老いた村長は相変わらず、岩のように動かない。
……もしかして、耳が遠いとか?
反応の少なさをいい方に解釈してみる。
湖の民ばかりが暮らすこの村では、目にする機会がまずなさそうな本を横から覗かないのも、老眼で小さい文字が読めないからかもしれない。
「俺はまだ【灯】と【炉】しか使えませんけど、妹の方が飲み込み早くて【魔除け】もできるんですよ」
レノが必死の思いで言うと、神官は本を閉じた。
「お返しします。疑うワケではありませんが、念の為、実演していただけませんか?」
レノは本を受取り、上着のポケットから作用力を補う【魔力の水晶】を取り出した。中で淡い光がゆらめき、魔力の乏しさを訴える。
「充填しましょう」
「お願いします」
素直に渡すと、神官は小指くらいの【水晶】を握り、すぐ返してくれた。たったそれだけで、揺るぎない光が力強く輝く。
「ありがとうございます」
レノは、ひとつ深呼吸して受取り、単語のひとつひとつを意識しながら、力ある言葉を唱えた。
「闇照らす 夜の主の眼差しの 淡き輝き 今灯す」
たどたどしい発音でも、本の角に青白い光が宿った。昼前の陽光とは明らかに異なる弱々しい光が、影を薄める。
「どうやら、あなた方は違うようですね」
「何がです?」
それまで何も言わず見守ったラゾールニクが、レノを片手で制して前に出た。
「もしかして、星の標かもって疑ってました?」
「いえ、それは全く」
神官は即答した。
「えっ? じゃあ、俺たち、何と違うんです?」
ラゾールニクは、半ばわかった上で確認する口ぶりだが、レノは何だと思われたのか全く見当もつかない。
ジョールチを見ると、彼も何やらわかった顔だ。隣を見ると、アウェッラーナは困った顔で僅かに首を傾げた。
「星の標とは別の団体が、ホールマ市の選挙に関与したことには、お気付きですか?」
「星降る湖……ですか?」
ジョールチが確認すると、神官は頷いた。
「本拠地はリャビーナ市ですが、魔哮砲戦争の開戦後、急速に勢力を拡大しています」
湖の女神の信者団体で、開戦前は小さな集まりが慈善活動を行った。開戦後は、仮設住宅の支援を通じ、急速に勢力を拡大する。
民族融和を掲げるが、構成員は全員、力なき陸の民だ。
「あなた方は、その情報をどこで……」
「長くなります。立ち話もアレですから、続きは神殿でお話ししましょう」
神官は村長をチラリと見て歩きだした。高齢の村長は何も言わず、杖を突いてついて行く。
……耳、ちゃんと聞こえてんのか。
レノは何とも言えない気持ちで、物販席に視線を送る。
パドールリクが、いっぱいになった段ボール箱を抱えてトラックに運ぶ。村人の列はまだ途切れない。
クルィーロが視線に気付いて小さく頷く。レノは頷き返して、神殿へ向かった。
小川の畔に森の中とは思えない神殿がある。
王都ラクリマリスの神殿とは比較にもならないが、ゼルノー市の神殿よりやや小さいだけだ。レノは、村の人口に対してあまりにも規模が大きいと思った。
他の神殿同様、入口には【魔力の水晶】を盛った台座がある。
レノは、ポケットから魔力を蓄えるだけの【水晶】を出した。
ジョールチ、アウェッラーナ、ラゾールニクは、台座から一粒ずつ手に取る。
村長と神官は、さっき参拝したばかりだからか、どんどん奥へ行く。
魔力を充填する時間稼ぎの為に通路が長いのだと、今更思い当った。
祭壇の広間に着く頃には、気持ちが落ち着き、いつも通りに祈りと【魔力の水晶】を捧げられた。
「立派な神殿ですね」
「直轄領ですからね」
アウェッラーナが明るい声で言ったが、神官は素っ気なく答えた。
「水はそこの小川を通じて、ラキュス湖に注がれます」
神官が水路を掌で示し、歩きだした。
案内されたのは、質素な応接室だ。
「私は、クーデターの翌月まで、クレーヴェルの神殿に居りました。ここの先代が天寿を全うなさったので、代わって私が派遣されたのです」
神官の説明に村長が軽く顎を引く。
「では、クーデター発生時の放送を」
「はい。お聞きしました。ご無事で何よりです」
首都クレーヴェルの放送局が多数、ネミュス解放軍に襲撃された。アナウンサーのジョールチは、国営放送の本局を命からがら脱出し、民間のAMカッカブ・ビルから都民に向けて状況を報じた。
この神官は、DJレーフがFMクレーヴェル周辺の情報を伝えた実況も、生放送で聞いたのだ。
「星降る湖の活動は、クレーヴェルの仮設住宅でもありました」
首都クレーヴェルの神殿も、若手神官を中心に仮設住宅で支援活動を展開する。
年配の神官が、ボランティアの中にキルクルス教の聖句のような言葉を口にする者が居ると気付いた。
警戒しつつ、気取られぬよう、極秘裏に調査を進めたところ、首都クレーヴェルに相当数のキルクルス教徒が潜伏すると判明した。
それとなく探りを入れると、星降る湖も同じことに気付いたらしい。だが、民族融和を掲げる彼らは、自治区外で布教するキルクルス教徒と手を携え、慈善活動を行うようになった。
「えっ? 女神様の信者なのに?」
レノとアウェッラーナは同時に声を上げた。
☆力なき民向けの魔道書「水晶で使う鳩の術」……「641.地図を買いに」「688.社宅の暮らし」「1189.動きだす状況」参照
☆星降る湖……「1505.市外の支援者」「1509.街を守る支援」「1513.喜べない理由」「1517.陸の民の参画」「1518.刺客と移住者」参照
☆クーデター発生時の放送
ジョールチ……「600.放送局の占拠」~「602.国外に届く声」参照
DJレーフ……「610.FM局を包囲」「611.報道最後の砦」「614.市街戦の開始」参照




