1537.伝わらない村
「ゆるやかな水の条
青琩の光 水脈を拓き 砂に新しい湖が生まれる……」
旧直轄領の村人たちは、歌詞を一言一句聞き漏らすまいと、真剣な面持ちでレノたちの歌に聴き入った。
「……乾きを封じ込む鎖となって
共に 咲かせよう ひとつのこの花を」
曲が終わった瞬間、村の中央広場が盛大な拍手に包まれる。老いた村長と若い神官だけは、パイプ椅子に置かれた石像のように動かなかった。
「ただいまの曲は、アサエート村の里謡『女神の涙』でした。歌詞は後程、ご確認下さい」
アナウンサーのジョールチが、いつもより短く曲を紹介した。
続いて、国内ニュースだ。
昨年の夏から初冬にかけて、ネモラリス島北部で麻疹の流行が発生した件が伝えられると、聴衆に動揺が走った。
……えっ? 知らない?
混乱を恐れた臨時政府が、報道規制を敷いたのだろうか。
だが、業務や私用などで流行地へ行かないよう、呼掛けなければ、感染の拡大を防げない。ワクチンが不足する中、流行を一部地域に留めなければ、大惨事を招くことくらい、素人のレノにでもわかる。
カーメンシク市などは独自に規制を敷いたが、臨時政府は防疫の手を打たなかったのだろうか。
……ちゃんとしてたら、自治区まで飛び火してないよな。
報告書には、リストヴァー自治区にも麻疹の流行が伝わり、臨時政府が、隣接するゼルノー市のグリャージ区に仮設病院を建設して対応したと書いてあった。
一人、物販席に残ったラゾールニクが、旧直轄領の村人たちを見回す。
森に囲まれた内陸の村だが、住人は湖の民だけだ。
ラキュス・ネーニア家の旧直轄領は、ホールマ市の南西からマチャジーナ市の北東にかけての広大な領域で、もしかすると、外部との交流が殆どなく、関心もないから、ラジオで報道されても、聞き流したのかもしれない。
レノが考える間にも、国営放送アナウンサーのジョールチは、平和な頃と同じ調子で幾つも国内ニュースを読み上げた。
聴衆は、出稼ぎや事業再建関係の補助金、復興指定地域の不動産税の軽減などの情報には、興味なさそうだ。あくびをする者や、隣と囁き交わす者も居る。
農産物の卸値上・下限額設定の件は、身を乗り出して聞き入った。
「臨時政府は今年一月から、価格暴騰や不当廉売を防ぐ為、農産物について、卸売価格の上限と下限の設定を始めました。毎月の各旬間毎に地域別で見直しが行われます。発表は、各地の新聞と、地元放送局が行い、卸売市場でも品目毎に掲出されます」
続いて、ホールマ市中央卸売市場に於ける主要農産物の卸値上限と下限が読み上げられる。
適用期間は十日間だけなので、参考値だが、農家が多いこの村の人々は真剣に耳を傾けた。
……こう言うの、もっと早くやってれば、食パン一斤の値段が五十倍とかなんなかったろうにな。
それとも、湖東地方からの輸入である程度の量を確保できるようになったから、一番不足した頃と同じ感覚で売らないように制限を設けたのか。
どう言う経緯で決まったかはともかく、庶民には全く手が届かない高値が少しでも抑えられるなら、これからは少しでもマシになるだろう。
国内ニュースが終わり、レノたち大人が荷台を下りる。荷台の舞台に残るピナたちは、ぶつからない程度に間隔を開けた。
クルィーロがシーツの幕を少し捲って合図を送る。
鋭いホイッスルが、森に囲まれた村に響き渡った。
レノたちは、曲に合わせて歌い、ピナ、ティス、アマナ、モーフがキビキビした動きで国民健康体操を実演する。
村の子供たちは興味深々で見詰め、大人たちは懐かしげに目を細める。半世紀の内乱後に生まれた若者たちは、突然始まった体操に困惑顔だが、野次を飛ばす者は居なかった。
……村の人たちの反応は、割と普通なんだよな。
村長と神官だけ、目を開けたまま意識を失ったのかと思うくらい、全く反応しない。
「先程お聴きいただきました曲は、国民健康体操の主旋律にネモラリス難民の少女が、平和を願う詩をつけた『みんなで歌おう』でした。魔哮砲戦争が開戦した年の夏、この曲がインターネットで世界中に広まり、難民キャンプに対する支援が手厚くなりました。その後も、国外流出するネモラリス人が増え、難民キャンプの苦境は現在も続いております」
ジョールチは「インターネット」など、この村の住人が初めて聞いたであろう単語の説明もなく、ニュースに移った。
地方ニュースとして、ホールマ市の工業製品や、輸入食品の販売価格情報を読み上げる。
湖東地方産小麦の安さに村人たちの顔が曇った。それでも、村長は眉ひとつ動かさない。若い神官が、茣蓙席の聴衆をチラリと見ただけだ。
「それでは、最後の曲になりました。『女神の涙』と同じ旋律で、『すべて ひとしい ひとつの花』です」
ジョールチが簡潔に告げ、レノたちは再び荷台の舞台に上がって、いつも通りに歌った。
「穏やかな湖の風
一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える……」
大勢の人が祈りを籠めて綴った詩を、管弦楽団が編む豊かな音色に乗せる。
歌詞がまだ定まらない部分をハミングで誤魔化すしかないのがもどかしい。
全体に悲しい雰囲気の歌詞だが、老若男女問わず瞬きもせずに耳を傾ける。
「……憎悪と悲しみの鎖を断って
共に 咲かせよう ひとつのこの花を」
盛大な拍手の中、国営放送アナウンサーのジョールチが荷台から姿を現す。拍手が割れんばかりに大きくなった。
「最後の曲は、ラキュス・ラクリマリス共和国の国営放送開局百周年を記念して作られましたが、半世紀の内乱によって、作詞が途中になった未完の曲です」
……えっ? あれっ?
「魔哮砲戦争の開戦後、各地の人々が少しずつ歌詞案を考え、完成に近付けたものです」
レノは、いつもと違う説明に首を傾げそうになったが、どうにか平静を装った。
☆昨年の夏から初冬にかけて、ネモラリス島北部で麻疹の流行が発生した件……「1090.行くなの理由」「1325.消滅した集落」参照
☆ワクチンが不足……「1058.ワクチン不足」「1090.行くなの理由」参照
☆カーメンシク市などは独自に規制を敷いた……「1247.絶望的接種率」参照
☆グリャージ区に仮設病院を建設して対応……「1287.医師団の派遣」参照
☆食パン一斤の値段が五十倍……「780.会社のその後」参照
☆『みんなで歌おう』……「275.みつかった歌」参照
☆魔哮砲戦争が開戦した年の夏(中略)難民キャンプに対する支援が手厚く……「290.平和を謳う声」「324.助けを求める」「402.情報インフラ」参照
☆未完の曲……「774.詩人が加わる」「1032.王国側の反応」「1396.無名の者の詞」「1397.同じ朝の同志」「1399.決まらない詞」「1418.あの時の言葉」~「1420.助けられた命」参照
☆ラキュス・ラクリマリス共和国の国営放送開局百周年を記念……「275.みつかった歌」参照
☆いつもと違う説明……いつもの説明「886.歌のコーナー」参照
▼「すべて ひとしい ひとつの花」歌詞途中




