1528.格差の固定化
「大人が戦争を続けたがる理由は、わかりました。でも、それとロークさんが危険を冒してまで、アーテルの貧困層の教育実態を調べに行くことに関係があるとは思えません」
スキーヌムが香草茶の芳香で息を吹き返し、依頼人の運び屋フィアールカに批難がましい声で言う。
……難しい言葉はすらすら出て来る癖に、何でわかんないんだ?
ロークは呆れたが、ひとつ深呼吸して苛立ちを鎮め、声から感情を消した。
「アーテルが強固な学歴社会なのは、スキーヌム君の方がよくご存知でしょう」
「学歴社会……」
元神学生のスキーヌムは、呆然と元同級生のロークを見る。
ルフス神学校の聖職者クラスは、アーテル共和国で最高位の狭き門だ。
初等部から寮生活を送り、外の世界をあまり知らない彼は、自分が他のアーテル人から、妬みや羨望の眼差しを向けられる「恵まれた存在」との自覚がないのだろうか。
外から見た彼は、余人が望んでも得られない厚遇を捨てた身だ。
……そりゃ、家庭環境や入学の経緯は、可哀想だと思うけど。
「イイ学校に入れば、経済的に恵まれた将来が約束されたようなものですが、その為には、高い月謝を払って塾に行ったり、家庭教師を雇ったり、学校の他にも通信教育を受けたりって、投資が必要です」
「投資……?」
「貧しい家庭から、イイ大学や神学校に入学できる人は、例外と言っていいくらい稀でしょう」
スキーヌムの顔が凍りつく。やっと理解したらしい。
アーテル共和国では、分離・独立後のほんの三十年で、既に階層の固定化が見られた。
家計を助ける為にアルバイトする子は、必然的に勉強できる時間が少なくなる。
全ての学校の授業料が無料でも、人気が高い名門校へ入るには、学校の授業の他にも勉強できる家庭の方が有利だ。
本人の能力や才能ではなく、家庭の経済力によって、学歴に差をつけられる。
貧しい家庭に生まれた子は勿論、勤務先の倒産や景気の悪化などの煽りを受け、中流かそれ以上の階層から転落した家庭の子も、経済力の壁に阻まれ、能力や才能の芽を潰される。
……聖職者クラスの子は、同じ本を何冊も買って気軽に譲れる金持ちばっかだったもんな。
「お金持ちの家の子に学籍を占められて、貧しい家の子は、その子たち以上の学力があっても、イイ学校に行けません。就職も、学歴を重視する場合が多いから、高収入の仕事は、お金持ちのものになりがちです」
「そ、そんなことは……」
「否定できる情報や証拠を持ってるんですか?」
スキーヌムは、ふっつり口を閉じて俯いた。
彼は、ロークがランテルナ島に連れ出すまで、神学校から殆ど出たことがない。
生の情報に接したことのない彼が、本やインターネットで齧った情報だけで、何を語ろうと言うのか。
「学歴が収入の格差に直結するから、ますます家庭の経済力が固定されます。貧困層から上へ行くのは大変ですが、戦争や不景気で、上から落ちるのはすぐです」
「親が金持ちでも、それに胡坐かいて勉強しねぇ奴も居るだろうよ」
ラクリマリス人のプートニクが、執り成すように口を挟んだ。
「カネとコネがあれば、ルフス神学校にも捻じ込めるんですから、他の学校もどうだか」
ロークの冷たい声に触れ、スキーヌムが肩をさすった。
学力のある者が、カネで引きずり下ろされることさえあるのだ。
「アーテルは学歴社会だけど、その上にカネがあって、貧困層はなかなか“底”から抜け出せません。ポデレス政権は、その不満を逸らす為に戦争を始めたんじゃないんですか?」
「そんな……」
スキーヌムが言葉を失う。
「アルトン・ガザ大陸では、インターネットの普及と同時に魔法文明圏……両輪の国との交流が増えて、聖典に魔法が載ってることが知れ渡ったの」
フラクシヌス教の元神官に指摘され、キルクルス教の元神学生が、何かを恐れる目を宙に彷徨わせる。
「並行して、若者の教会離れが起きたわ」
「バルバツム連邦やバンクシア共和国が、アーテルを支援すんのは、悪しき業を使う邪悪な魔法使いを倒すって、大義名分でネモラリスを叩いて、教会の威信を取り戻そうってハラか」
「そうでしょうね」
プートニクのイヤそうな声にロークとフィアールカが同時に頷く。
両国は、星の標を国際テロ組織に指定済みだ。
アーテル共和国をテロ支援国家と目しつつ、バンクシア共和国の大聖堂は、ルフス光跡教会に司祭を派遣し、バルバツム連邦は、無人機を格安で提供した。
「キルクルス教徒なら経済力や社会階層に関係なく、魔法生物を使役する魔法使いや、その属する組織は、問答無用で敵認定するから、ネモラリスはいいスケープゴートよね」
緑髪の運び屋は、鼻で笑った。
同じく、緑髪の呪符屋が渋面を作る。
「ラキュス・ネーニア家がご健在だから、ネモラリス領全体を征服すんのはムリだけどよ、リストヴァー自治区だけでも手に入りゃ、そこを足場に色々できそうだよな」
「この戦争がいつまで続くかわかりませんけど、このままでは将来に亘って、格差が固定されて拡大し続けます」
「そうね。格差に基づく不満とかが紛争の火種になるわ」
「でも……」
言いかけたスキーヌムは、フィアールカと目が合った瞬間、黙った。
「この戦争が終わっても、格差の固定や貧困から解放されない限り、また何度でも繰り返すでしょうよ」
「な……何故ですか?」
スキーヌムが拳を握って俯いたまま、問いを絞り出した。
「ウチが貧乏なのは、戦争で会社が潰れたせいだ。だから、何もかもネモラリス人が、魔法使いが、フラクシヌス教徒が悪いんだって考える奴や、そう思うように仕向けて、不満の矛先を逸らそうとする政治家や宗教家が居る限り、何回でも、半世紀の内乱みてぇになンぞ」
元神学生のスキーヌムは、ゲンティウス店長の答えの重みを背負うように顔を上げなかった。
☆ルフス神学校の聖職者クラス……「744.露骨な階層化」参照
☆家庭環境や入学の経緯……家庭環境「796.共通の話題で」「801.優等生の帰郷」~「803.行方不明事件」、入学の経緯「809.変質した信仰」「810.魔女を焼く炎」参照
☆聖職者クラスの子は(中略)金持ちばっか……「796.共通の話題で」参照
☆カネとコネがあれば、ルフス神学校にも捻じ込める……「924.後ろ暗い同士」「925.薄汚れた教団」参照
☆インターネットの普及(中略)聖典に魔法が載ってることが知れ渡った……「433.知れ渡る矛盾」「434.矛盾と閉塞感」参照
☆両国は、星の標を国際テロ組織に指定済み……「369.歴史の教え方」「629.自治区の号外」「811.教団と星の標」「812.SNSの反響」「0993.会話を組込む」「1007.大聖堂の司祭」「1278.違う種類の闇」参照
※ アーテルとラニスタでは合法……「492.後悔と復讐と」「560.分断の皺寄せ」「625.自治区の内情」参照
☆ルフス光跡教会に司祭を派遣……「1024.ロークの情報」参照
☆無人機を格安で提供……「309.生贄と無人機」「325.情報を集める」「752.世俗との距離」参照
☆リストヴァー自治区だけでも手に入りゃ、そこを足場に色々できそう……「1112.曖昧な口約束」参照




