1527.継続する理由
ロークは、スキーヌムの反応を面倒臭いと思った。
だが、素材屋プートニクに聞かせる為と割り切って、調査目的を説明する。
「極端な格差を放置すると戦争が終わりませんし、仮に停戦できても、火種が燻り続けるからです」
「何故、アーテルの国民に格差があると、戦争が続くのですか?」
スキーヌムが、眼鏡の奥から泣きそうな目を向ける。
ロークは、カウンター席の客二人に意識を向け、苛立ちを抑えた。
「富裕層は、国民の中でもほんの一握りです。開戦前までは、日々の食費にも苦しむ貧困層は少なかったようですが、今は、戦費の増大と湖上封鎖による物流の停滞で、失業者が増えて、物価が上昇して、中流から貧困層に転落した世帯が増えています」
スキーヌムは殴られたような勢いで、運び屋フィアールカに顔を向けた。
「新聞やラジオで毎日、会社が倒産したニュース、あるでしょ?」
「……はい」
「家族経営の零細企業なら、社長一家が。従業員を雇う規模なら、従業員とその家族が収入源を失って、路頭に迷うの。企業の規模が大きければ大きい程、倒産で苦しむ人が増えるのよ」
スキーヌムが、初めて知ったと言いたげな目で、緑髪の運び屋を見詰める。
黒髪の素材屋プートニクが、店番の動揺に目を眇めた。
「新聞記事の向うにゃ、人が居る。知らねぇで数字だけ追っかけてたのか?」
スキーヌムは息を呑んで素材屋に顔を向け、正直に頷くと、そのまま項垂れた。
……データしか見てない……か。
ロークは、星界の使者のリゴル代表が、リストヴァー自治区に救援物資を送った件を思い出した。
活動がインターネット中心でも、ファーキルは、ラクリマリス領でネモラリス難民と直接会って聞き取り調査を行い、アンケート用紙を配布する際にも、難民の困難を肌で感じ取っただろう。
アンケートの集計も行い、困難の渦中にある人々の生の声に接してきた。
データの向うに居る人の存在を意識する。
その意識の有無が、データの読み方を変え、行動を変えるのだ。
……何で、そんな当たり前のコトに気付けないんだ?
「特に食料品の値上がりが凄くて、仕入れできなくなった個人商店が軒並み潰れて、商店街はシャッターだらけです」
「俺もイグニカーンス市で見た。一家無理心中があって、死体から涌いた魔物を片付けに行くって駆除屋に何回も会ったぞ」
素材屋プートニクは、素材になる魔獣を屋上へ狩りに行っただけでなく、情報収集もしたらしい。
ロークは、二百年近く前まで王国軍の騎士だった魔法戦士を見た。
……そう言や、出版社の依頼で、湖西地方の色んな情報を集めて、それが図鑑になったって言ってたよな。
魔獣退治だけでなく、情報収集も得意なのかもしれない。
「失業や物価の高騰で、パンすら買えなくなった人たちが、あちこちでデモをして、警察や治安部隊と衝突して、死傷者や逮捕者が出ています」
小麦相場を操作して、アーテル社会に混乱を招いたフィアールカは、涼しい顔でロークを見る。
元神官は計算ずくで、アーテル国民が死ぬまで経済苦で追い詰め、現政権への不満を煽った。
データの向うの人を救うのも、苦しめるのも、その者次第だ。
「基地が破壊されて、アーテル軍の兵士に多数の死傷者が出ました。貧困層の若者の中には、大学への進学を諦めて、軍に入る人も居ます」
「食いっぱぐれねぇし、食費が一人分、浮くもんな」
イグニカーンス市で何を見たのか、プートニクの声が同情を帯びる。
「現職のポデレス大統領は、外国企業を誘致して雇用を創出することで、貧困層の歓心を買おうとしています」
「でも、湖底ケーブルが切れて、ネットが繋がらなくなったから、頓挫寸前なのよね」
「どこの、誰が、何故、アーテルの通信網を寸断したのか不明ですが、アーテル政府やマスコミが、ネモラリス軍やネモラリス人ゲリラの仕業だと喧伝すれば、不満の矛先がそちらに向きます」
「国内で暴動起こしてた連中を軍に放り込めば、魔獣退治の捨て駒にも、対ネモラリスの戦闘員にもできるって寸法だ」
呪符屋のゲンティウス店長が、客二人に香草茶を出しながら言う。清涼な芳香がカウンター周辺に漂い、蒼白だったスキーヌムの顔色が、僅かによくなった。
緑髪のフィアールカが、タブレット端末をつつきながら冷たく言い放つ。
「国債の利子を払う為に赤字国債を発行したから、バルバツム連邦の格付け会社が、アーテルの評価を二段階下げたわ」
「えっ? 一気に二段階も?」
ロークはインターネットが使えなくなって以来、外国の情報源が、アーテル共和国内で発行される新聞と、同志がまとめた報告書しかない。
「国民が国債買わなくなるから、アーテルでは全く報道されないけど、アミトスチグマ本社版の湖南経済新聞や、バルバツムのニュースサイトには、普通に出てるわよ」
「格付けがそのまんまでも、外国の機関投資家は、政治か宗教の柵でもねぇ限り、手ぇ出さんだろうよ」
呪符屋の店長が、鼻を鳴らす。
スキーヌムが恐る恐る聞いた。
「……何故ですか?」
「勝利条件がわからん戦争を二年もやってんだぞ?」
まだわからない顔のスキーヌムに聞かせる為、ロークは説明した。
「この戦争が終わらない限り、湖底ケーブルは復旧しないし、経済も立て直せません。それがわかる人たちは、ヒュムヌス候補とかに票を入れましたけど、感情だけで動く人とか、目先のコトしか考えられない人、周りに流されがちな人とかは、ポデレス大統領とか好戦的な候補に投票して、まだ戦争を続けようとしています」
「そもそも、投票に行かない無関心な層もかなり厚いのよねぇ」
ロークが一息に言うと、運び屋フィアールカは喉の奥で笑った。
☆星界の使者のリゴル代表が、リストヴァー自治区に救援物資を送った件……「1358.積まれる善意」~「1360.多くの離反者」参照
☆ファーキルは、ラクリマリス領でネモラリス難民と直接会って聞き取り調査……「651.避難民の一家」~「653.難民から聞く」「667.防衛線の構築」「668.大衆食堂の兵」参照
☆アンケート用紙を配布する際……「674.大規模な調査」「677.駆け足の再会」参照
☆難民の困難を肌で感じ取った……「675.見えてくる姿」参照
☆アンケートの集計も行い……「729.休むヒマなし」参照
☆商店街はシャッターだらけ……「800.第二の隠れ家」「0999.目標地点捕捉」「1290.工場街の調査」参照
☆出版社の依頼で、湖西地方の色んな情報を集めて、それが図鑑になった……「1338.記録の古代神」参照
☆パンすら買えなくなった人たちが、あちこちでデモ……「440.経済的な攻撃」「800.第二の隠れ家」「870.要人暗殺事件」「907.同級生の被害」「1105.窓を開ける鍵」参照
☆小麦相場を操作し、アーテル社会に混乱を招いた……「588.掌で踊る手駒」=「424.旧知との再会」「440.経済的な攻撃」「448.サイトの構築」参照
☆湖底ケーブルが切れて、ネットが繋がらなくなった……「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」参照
☆頓挫寸前……「1262.沈みゆく泥船」参照
☆国債の利子を払う為に赤字国債を発行……「440.経済的な攻撃」の時点でCCC-だった。
☆戦争が終わらない限り、湖底ケーブルは復旧しない……「1261.対クレーマー」参照
☆ヒュムヌス候補……「868.廃屋で留守番」「1139.安らぎの光党」「1157.国会に届く歌」参照




