1526.提訴の意味は
運び屋フィアールカが、冷めた紅茶をゆっくり口に含む。
ロークはティーポットの茶葉を捨て、香草茶を一杯だけ淹れて、運び屋と素材屋の間の空席に置いた。
「ラクリマリス王国が、アーテル共和国を国際司法裁判所に訴えれば、湖南語だけじゃなくて、共通語の報道機関も記事を書くし、少なくとも、世界中の国際法学者や、国際政治学者が注目するわ」
「アーテルに与する国は、報道しないかもしれませんよね?」
ロークが指摘すると、運び屋フィアールカと呪符屋のゲンティウス店長は、同時に頷いた。
「でもね、どこか一社でも、共通語で報道すれば、規制のない国には広まるわ」
「広めるんですね?」
「まぁね」
緑髪の運び屋は、唇に不敵な笑みを含ませて言った。
「明確な国際法違反として提訴すれば、アーテルが中立を守る国を巻き込んで非人道的な侵害を行ったのが、国際社会に知れ渡るわ」
「国連抜けて、裁判もバックレたら、信用ガタ落ちだよな」
素材屋プートニクが「上手くゆけばな」と、付け足して苦笑する。
「アーテルの現政権が星の標と繋がってるコトや、アーテル領内では、星の標が堂々と活動して、ネモラリス領内で爆弾テロをした件や、リストヴァー自治区でネミュス解放軍と武力衝突した件とかも、一緒に広まったら、多国籍企業はアーテル共和国への進出計画を見直す可能性があるわ」
「外国企業の進出で雇用創出して、景気対策ってのを潰して、兵糧攻めにするんだな?」
プートニクは冷めた紅茶を一気飲みし、ニヤけた口許を手の甲で拭った。
「明確な国際法違反をしておきながら、お咎めなしなんてあるワケないでしょ」
「アーテルが賠償に応じなくて、常任理事国も動かなかったら、あっちも批難されますよね」
フィアールカに言われ、ロークは頷いた。
ラクリマリス人のプートニクは、渋い顔で空の茶器を弄ぶ。
「あいつら強国ばっかだから、辺境の弱小国家に何言われようと、痛くも痒くもねぇだろうけどよ」
「その弱小国家は、アーテルの周りにたくさんあるのよ」
フィアールカの冷たい声で、四人の目が集まった。
「周辺国が、アーテルに対する国家承認を取り消すかもしれないわ」
「ンなコトできんのかよ?」
プートニクがカウンターに茶器を置いて、身体ごとフィアールカに向き直る。
「湖南地方の国は、アーテルとラニスタを除いて、みんな魔法文明国だから、外交使節を派遣してなくて、正式には国交を樹立してないの」
「何だそりゃ?」
ゲンティウス店長が面食らう。
魔哮砲戦争の開戦前までは、スクートゥム王国の行商人が、アーテル領ランテルナ島に出入りした。現在も、アミトスチグマ王国をはじめとする湖南地方各国の農産物や、工業用の原料などが、アーテル本土に輸入され、また、アーテルからも輸出がある。
「湖南地方で、アーテルに大使館を置いてるのは、ラニスタ共和国だけなの」
「でも、商売はしてるよな?」
プートニクが自信なさそうに聞く。
「民間企業が、湖東地方の第三国を通じて勝手にやってるだけよ」
「えぇッ?」
「国家としては、アーテルに国際法上の国家承認を与えてないけど、否定する声明も出していない……何となく黙認してる状態なの」
「ええッ? ……あ、あぁ……あー……うん」
「何故、そんなコトになるのですか?」
呪符屋と素材屋は一瞬、驚いたものの、納得したが、スキーヌムはカウンターから身を乗り出して、緑髪の運び屋に食いついた。
「そんなの、ラキュス・ネーニア家と、ラクリマリス王家に楯突いたアーテルに『キルクルス教を国教にして独立します』っつわれて、フラクシヌス教の国が『ハイそうですか』って、認められるワケねぇだろ」
呪符屋のゲンティウス店長が、元神学生の店番に呆れた顔を向ける。
「でも、三十年も黙認して、貿易を続けたのに、今頃になってそんな……」
「そりゃ、おめぇ、ラクリマリス王家が、『コイツら、こんな酷ぇコトしやがったんだ』って出るとこ出ンのに、アーテルと商売続けたら、王家の不興を買うだろうがよ」
プートニクにも呆れられ、スキーヌムは俯いた。
「それに、ラクリマリス政府は、内乱の和平直後にアーテルの独立を承認して、正式に国交を樹立して、南北のヴィエートフィ大橋を再建させたわ。それなのに、アーテル側がたった十年で、一方的に断交を宣言した件もあるし」
「ラクリマリスが正式に国家承認したのに、何故、周辺国は中途半端な……」
スキーヌムは、恐る恐る質問を続けたが、語尾が震えて消えた。
「ネモラリス政府は、アーテルを承認してないの」
「ラクリマリス王国は、承認しましたよね?」
スキーヌムが、何故、ネモラリスの話をするのかと訝る。
「湖南地方には湖の民が多いんだから、ラキュス・ネーニア家の怒りを買うような真似、したくないでしょうよ」
緑髪の運び屋に言われ、スキーヌムはますます小さくなった。
素材屋プートニクが手を伸ばし、空席に置かれた香草茶を取った。
「でもよ、もし、アーテルが馬鹿正直に出廷して、非を認めたとして、賠償金、払えると思うか?」
呪符屋の店内が、沈黙で満たされた。
「……まあ、ムリでしょうね」
「何故、そう思うのですか?」
フィアールカが答えを口にすると、スキーヌムがすかさず問いを発した。
「彼が調べてくれたんだけど、自国の貧困層に学習支援もできないくらい、財政が切羽詰まってるのよ」
運び屋に視線で促され、ロークは簡単に説明した。
「まだ、調査の途中ですけど、アーテル本土は、魔獣の出現で休校措置が取られました。でも、湖底ケーブルの破断で、インターネットが使えません」
スキーヌムが、上目遣いにロークを見る。
「個別に家庭訪問するのは、先生が危ないですし、一日で全員に教えて回るなんて不可能で、学校側からは、学習支援ができません」
「まあ、そらそうだろうな」
プートニクが茶器を差し出し、ゲンティウス店長が香草茶をスキーヌムの前に置いた。
「富裕層は、学習塾に車で送迎したり、住み込みの家庭教師とか雇えますけど、貧困層はどちらもムリです」
「塾へ行くおカネがない方々には、教会で学習支援ボランティアが……」
説明するスキーヌムの声が震える。
ロークはぴしゃりと言った。
「それは次回、実施状況を調べる予定です」
「あの……ロークさんは、戦争を終わらせる為に活動するのですよね?」
「そうだけど?」
何を言い出すのかとスキーヌムを見る。
眼鏡の奥で、淡い色の瞳が揺れた。
「魔獣が出て危険なのに、わざわざそんなコトを調べに行くのですか?」
「君には関係ないコトです」
「減るモンじゃあんめぇし、ワケくらい教えてやりゃいいじゃねぇか」
ロークは、いつものことだと突き放したが、素材屋プートニクが苦笑して割り込んだ。
☆アーテルの現政権が星の標と繋がってるコト……「0957.緊急ニュース」参照
☆アーテル領内では、星の標が堂々と活動……「0953.怪しい黒い影」「0954.献花台の言葉」「0967.市役所の地下」「0968.黒い都市伝説」参照
☆ネモラリス領内で爆弾テロをした件……「1085.書庫での会議」参照
☆リストヴァー自治区でネミュス解放軍と武力衝突した件……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」参照
☆外国企業の進出で雇用創出して、景気対策……「1022.選挙への影響」参照
☆でも、商売はしてる……「285.諜報員の負傷」参照
☆南北のヴィエートフィ大橋を再建……「0103.連合軍の侵略」「299.道を塞ぐ魔獣」参照
☆アーテル側がたった十年で、一方的に断交を宣言……「0161.議員と外交官」「0164.世間の空気感」「299.道を塞ぐ魔獣」「395.魔獣側の事情」「1145.難民ニュース」参照
☆湖底ケーブルの破断で、インターネットが使えません……「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」参照




