1525.国際司法裁判
スキーヌムが、買って来た素材を作業部屋へ置きに行く。
ゲンティウス店長は後ろ姿を見届け、素材屋プートニクに聞いた。
「ご無事で何よりですが、しばらくランテルナ島にご逗留で?」
「いや。ここの買物が終わったら帰るぞ。いい加減、店開けねぇと」
「左様で」
「親爺にも聞いてもらおう。スクートゥム水軍のストラージャ湾巡視船団が、アーテル領すれすれまで出張って、陸地に居た化け物を攻撃した」
「えぇッ?」
ロークと呪符屋の店長、それに運び屋フィアールカまで、声を裏返らせた。
「それって、アーテル人を守る為にってコトですか?」
「スクートゥムの情報屋も、そこまでは知らねぇとよ」
「他に情報は?」
緑髪の運び屋がせっつく。
素材屋プートニクは半信半疑の顔で答えた。
「水軍の魔装兵が、真っ黒な化け物に【光の槍】を撃ったら、スゲー膨らんだとかって、噂ンなってるらしい」
どこかで聞いたような話だ。
運び屋フィアールカが、イヤな顔で笑う。
「魔法の攻撃を受けて膨らむ黒い化け物……ねぇ」
「心当たりでもあんのか?」
ゲンティウス店長が聞くと、フィアールカは無言でタブレット端末をつつき、カウンターに置いた。
「……これ?」
新聞記事の画像だ。
ロークもかなり前、報告書で読んだことがある。
「清めの闇? ……あぁ、あの失敗作」
素材屋プートニクがざっと目を通して納得する。旧ラキュス・ラクリマリス王国時代、彼は王国軍で武器の出納官吏として勤めた。約七百年前に開発された魔哮砲の件を知る機会もあっただろう。
ゲンティウス店長が、タブレット端末から目を上げて首を捻る。
「するってぇと何か? ネモラリス軍の魔哮砲が、夜明け前にアーテル領の西の端っこに居て、スクートゥム水軍と鉢合わせして戦闘ンなった……と?」
「まだ暗いのに真っ黒なのって、わかるんですか?」
力なき民のロークが聞くと、元騎士のプートニクが教えてくれた。
「そりゃアレだ。【暗視】とかだよ」
「夜目が利くようになる魔法があるんですね」
「あぁ」
ロークは呪符の束を専用の封筒に詰め、プートニクの前に置いた。
「いつもそんな時間に巡回するのか、その夜、何かあって出動して偶々みつけたのか、わかりますか?」
「情報屋もそこまでは知らなかった」
スクートゥム水軍の兵士に広がる噂を拾っただけなら、情報の確度もアヤシイところだ。
「アーテル領の陸地に居るヤツを……わざわざ巡視船から攻撃?」
ゲンティウス店長が、腑に落ちない顔で同族の運び屋を見る。
「スークス通信衛星アンテナ基地は、通信会社が設置する時、ガレアンドラ王国に警備の依頼を仲介してもらってたから、そっち経由で、今も警備が続いてるのかもしれないけど、調べてみないとわかんないわ」
素材屋プートニクは、呪符の封筒を背負い袋に押し込み、運び屋フィアールカに顔を向けた。
「で、そっちが持ってるラクリマリス方面の情報ってなぁ何だ?」
「ラクリマリス政府が、訴訟の準備に入ったらしいわ」
「訴訟?」
プートニクと店長が、同時に首を傾げた。
スキーヌムが作業部屋から出て、カウンターの端で立ち止まる。
「アーテルの陸軍が、ネーニア島のラクリマリス領に侵入して、腥風樹の種子を植え付けたでしょ」
「あぁ、あれな」
王都ラクリマリスに店を構えるプートニクは、苦い顔で応じた。
スキーヌムが、視界の端でオロオロする。
「ラクリマリス政府はあれから一年以上、複数の国を通じて、水面下でアーテル政府に損害賠償を求めてたんだけど」
「払わねぇのか」
「黙殺を続けてるの」
素材屋プートニクが大袈裟に目を剥き、ロークの視界の端で、スキーヌムが小さくなった。
アーテル陸軍の戦車部隊が、魔哮砲戦争に関して中立を守るラクリマリス王国領に侵入しただけでも、大問題だ。
その部隊は、どこからか手に入れた腥風樹の種子をツマーンの森の南端、プラーム市とモースト市跡地の中間辺りに植え付けた。
この異界の植物は、植え付け直後に発芽。毒を撒き散らしながら、森林内を徘徊する。
周辺の農村と漁村、そしてプラーム市の住民が、ラズーリ湾の対岸にあるグロム市や、フナリス群島の王都ラクリマリスなどへ避難した。
腥風樹は、根を引き抜いて土の上を移動するが、石の上は移動できない。
ラクリマリス王国軍は、民間人やネモラリス難民も動員し、ツマーンの森に石畳を敷いて、防衛線を構築した。
王族も駆除に乗り出し、辛うじて腥風樹の本体を駆除できた。
だが、腥風樹の毒素で汚染された農地の除染や、毒で死んだ家畜の処分など、後始末にも多大な費用と労力が発生する。
避難中、働けなかった人々の逸失利益なども含め、賠償は莫大な金額に上った。
「裁判して、払うと思うか?」
プートニクが、確認する調子で聞くと、運び屋フィアールカは頷いた。
「国際司法裁判所自身には、強制力がないから、出廷しない可能性が高いし、欠席裁判で敗訴しても、賠償金を払わないでしょうね」
「王家は何だってそんなムダなコトしようってんだ?」
プートニクが呆れた声を出す。
「そう言えば、アーテルって国連を脱退しましたよね?」
ロークが聞くと、フィアールカは忌々しげに頷いた
「国際司法裁判所は、国連機関だから、利用できるのは基本的に加盟国だけど、常任理事国が認めれば、非加盟でも使えるわ」
「常任理事国? アルポフィルム以外、みんなキルクルス教国じゃないですか」
「他にも、訴えられた側が応訴すれば、裁判の管轄権が認められるけど」
「アーテルが出廷する利益って、ありませんよね?」
……意味があるのか? その裁判?
「仮に欠席裁判で、ラクリマリス側が勝訴しても、アーテルが賠償に応じなければ、ラクリマリスが、常任理事国に何らかの対応を求めることになるんだけど」
「動くワケねぇだろ」
プートニクが乾いた笑いと共に吐き捨てた。
☆ストラージャ湾内巡視船団が、アーテル領すれすれまで出張って、陸地に居た化け物を攻撃……「1401.人を殺さずに」「1423.あたたかな闇」参照
☆新聞記事/清めの闇/あの失敗作……「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」参照
☆彼は王国軍で武器の出納官吏……「1313.檻から出ても」参照
☆スークス通信衛星アンテナ基地は、通信会社が設置する時、ガレアンドラ王国に警備の依頼を仲介……「1254.防人の巡視船」参照
☆アーテルの陸軍が、ネーニア島のラクリマリス領に侵入して、腥風樹の種子を植え付けた……「449.アーテル陸軍」「455.正規軍の動き」「488.敵軍との交戦」「498.災厄の種蒔き」「500.過去を映す鏡」参照
☆腥風樹……「382.腥風樹の被害」「649.口止めの魔法」参照
☆周辺の農村と漁村、そしてプラーム市の住民が(中略)避難……「489.歌い方の違い」「490.避難の呼掛け」「496.動画での告発」「544.懐かしい友人」参照
☆ツマーンの森に石畳を敷いて、防衛線を構築……「668.大衆食堂の兵」「0986.失業した難民」参照
☆王族も駆除に乗り出し……「635.糸口さえなく」参照
☆腥風樹の本体を駆除……「862.今冬の出来事」参照
☆腥風樹の毒素で汚染された農地の除染(中略)後始末にも多大な費用と労力が発生……「862.今冬の出来事」「0986.失業した難民」参照
☆アーテルって国連を脱退……「0168.図書館で勉強」「249.動かない国連」「259.古新聞の情報」「326.生贄の慰霊祭」「363.敵国の背後に」「364.国際政治の話」「687.都の疑心暗鬼」「750.魔装兵の休日」参照
☆常任理事国? アルポフィルム以外、みんなキルクルス教国……「249.動かない国連」「751.亡命した学者」参照




