1521.新旧の電話機
公衆電話を待つ列が進み、昼前になってやっと、区役所の玄関まで入れた。
小型の掲示板には、公衆電話を使用する際の注意書きが貼ってある。
◆公衆電話をご利用のご来庁者のみなさまへ
一回の通話は、五分以内でお願いします。
都内宛は、硬貨二枚分が目安です。
相手先一ケ所毎に最後尾に並び直して下さい。
短時間の通話でも、並び直しをお願いします。
連続使用は、他のみなさまのご迷惑になります。
トイレ等で列を離れると、元の位置には戻れません。
最後尾への並び直しをお願いします
大声での通話、及び、待ち時間中のおしゃべりはご遠慮下さい。
会話は必要最小限、声は小さめでお願いします。
他のみなさまのご迷惑になります。
硬貨詰まりや故障の際は、電話会社へご連絡下さい。
区役所では対応致しかねます。
みなさまのご理解とご協力をよろしくお願いします。
ルフス東地区 区長
……注意書き多いなぁ。
それだけ揉め事が多かったのだろう。
今の区役所ロビーは、小声で話す電話以外、誰も口を開かず、静かなものだ。
ロビー右手の大理石の壁には、作りつけの棚が設けられ、公衆電話が間隔を開けて三台並ぶ。
石造りの棚には、配線用の小さな穴と、本体と同じ形の変色があった。ここには元々、七台あったらしい。
順番を待つ人々は一列に並び、誰かが通話を終える度に移動する。
ロークの位置からは、通話の内容までは聞き取れなかった。声の調子で、個人的な話ではなく、仕事の用だとわかる。
何事もなければ、ロークは大学に入学する年齢だが、まだ高校生だと言っても信じてもらえる。だが、流石にもう中学生には見えなかった。
設定を練り直して、順番を待つ。
待機列の前から六番目まで進んでやっと、話の内容が断片的に聞き取れた。
資材を発注する声、郵送で受付けた内容に不備があり、訂正を求める声、支払いを督促する声……
大人たちは、早口に用件を伝え、しばらく口を閉ざして先方の声に耳を傾け、再び早口で返事をする。どの声にも切迫感があり、世間話など、余計なことを口にする余裕などなかった。
ロークはタブレット端末の画像フォルダを開き、新聞の写真を表示させた。
複数の電話会社が連名で出した全面広告だ。公衆電話を触ったことのない若い世代に向け、使い方を図入りで説明する。
使用経験はあるが、ロークが知るネモラリス共和国の機種とは大きく異なる。
祖国の公衆電話は、入れられる硬貨が一種類だ。受話器を上げて硬貨を入れ、ゼロから九までの数字が書かれた円盤を指で回して掛ける。
停止位置に最も近いのは「1」で、遠いのは「0」だ。
円盤の各数字部分に開いた穴に指を入れ、右側の停止位置まで回す。一旦、手を離し、円盤が転がって元に位置に戻るのを待つ。
傍に居れば、停止位置まで回す「ジー」と、元の位置に戻る「コロコロ」と言う音の長さで、手許を見なくても電話番号がわかった。
だが、アーテル共和国の電話機は、数字と記号のボタンが並ぶプッシュホンだ。電話番号の一桁目を押した後、二桁目を押すのに待ち時間が発生しない。
……こんなとこでも情報伝達に差が出るんだな。
小さなことだが、積み重なれば、大きく差がつく。
ネモラリス共和国は、隣のラクリマリス王国やアミトスチグマ王国とは、国交も商取引もある。プッシュホンの存在を知る機会は、幾らでもあった筈だ。
国内製造が無理にしても、何故、輸入すらしなかったのか。
……インターネットみたいに大規模な設備投資が要るワケじゃないのに。
そのインターネットも、工事不要の衛星移動体通信システムを設置すれば、局所的にでも、利用可能になる。
ネモラリスの逓信省が、通信インフラを半世紀の内乱時代のまま、全く発展させない理由がわからなかった。
アーテル共和国は、すべて民間の電話会社や通信事業者だが、ネモラリス共和国では、逓信省の電話公社とその下請けの電話工事会社が、通信事業を担う。
ネモラリスの下請け電話会社は、全て民間企業だが、電話公社や地方の電話局からの発注がなければ、電柱の工事など大きな仕事ができない。
今回の調査の為、フィアールカ経由でファーキルを通じ、ラクエウス議員に聞いてもらったところ、電話機本体は、電話公社が自社開発する場合が多いと教えられた。
家電の製造企業が、独自に開発した製品を公社に売り込むこともある。
公社が受付け、逓信省の認可が下りれば、家電売り場などでその機種を販売できるようになり、事業所や家庭への設置工事は、民間の電話工事会社が施工する。
民間の電話工事会社は、電話機の販売店を持つ所が多い。
ロークはネモラリスに居た頃、家電量販店でも、電話屋でも、プッシュホンを目にしたことがなかった。
……そう言や、レーチカとクレーヴェルの間の回線って復旧したのかな?
ルフス神学校を抜けて以来、ずっとアーテル領で活動し、ネモラリスの情報は、移動放送局プラエテルミッサのみんなや、同志がまとめた報告書でしかわからない。自分で調べに行けないのが、もどかしかった。
……クレーヴェルからギアツィントまでの回線復旧状況を調べてくれる人が居ないか、クラウストラさんに聞いてみよう。
もうすぐ順番が回って来る。
もう一度、公衆電話の使い方を確認した。
プッシュホンの数字の並びは、何故か電卓とは異なる。商業高校の授業で手に馴染んだ並びと間違えないよう、念入りに確かめる。
……あれっ? 電卓の押しボタン作れるってコトは、アーテルみたいな電話も作れるんだよな?
何故、作る技術を持ちながら、敢えて不便な旧式の機種を使い続けるのか。
不意に背中をつつかれ、端末から顔を上げる。正面の台が無人だ。
ロークは、二番目の会社員に会釈して、公衆電話に駆け寄った。




