1520.電話待ちの列
日曜にも拘らず、アーテル共和国の首都ルフス東地区の官庁街は、人出が多い。区役所や警察署が、公衆電話のある一階ロビーや地下の食堂を解放するからだ。
三月とは言え、ラキュス湖から時折吹き寄せる北風は、まだ冷たい。それでも、公衆電話の順番を待つ行列は、ロビーから溢れて外まで続く。
周辺の飲食店は、彼らをアテにして開ける所が多い。コイン駐車場はどこも満車だ。飲食店へ食材を届けるトラックも、頻繁に通る。
……公衆電話特需……か。
ロークは、転んでもタダでは起きない庶民の強かさに感心した。
「では、私は警察署へ」
「お願いします」
後で落ち合う場所は決めてある。
ロークは区役所の行列に加わり、クラウストラの後ろ姿を見送った。
事務員風の大人っぽい服装で、長い黒髪を結い上げてある。
今日も例の青薔薇の髪飾りだ。どんな恰好でもしっくり合うところを見ると、汎用性の高い優秀な意匠なのだろう。お陰で、【化粧】の首飾りでどんな顔に変わっても、彼女だとわかる。
先程、雑居ビルの拠点で、学習塾の電話番号一覧を半分伝えた。
ロークは前半分、クラウストラは後ろ半分を手分けして掛けるが、この分では、今日一日では終わらないのは確実だ。
行列を観察する。
カラーコーンとロープで仕切られ、警備員が誘導する。
アーテルの警備会社の制服には、身を守るいかなる呪文も呪印もない。腰のベルトに警棒を吊るしてあるが、あんな物で戦えるのは、小さい銀鱗の虫魚くらいなものだ。
……こんなに人が集まってたら、テロの標的にして下さいって言ってるようなモンなんだけどな。
ロークは、大統領選挙の第二回予備選の惨状を思い出し、身震いした。
ネモラリス憂撃隊は、構成員の大部分が入替り、ロークが知る者は殆ど居ない。
現在も生き残って活動を続ける者たちは、それだけの強さがあり、アーテル人への恨みや憎しみが深い。
ロークが知る古参の構成員は、警備員オリョール、老婦人シルヴァ、呼称を知らない小柄な呪符職人の三人だけだ。
リーダー格のオリョールは、【急降下する鷲】学派の魔法戦士で、戦力としては相当なものだ。
彼の方針に合わない者は、仲間でも情け容赦なく命を奪う。それで女の子たちが助けられたことがあり、ロークとしては複雑だ。
シルヴァは、別荘を拠点として提供し、資金援助、物資調達、情報収集、負傷者の世話、ゲリラの勧誘など、主に後方支援を行う。
ロークたち移動販売店プラエテルミッサの一行が拠点を脱出した後も、様々な手段で、アーテルのキルクルス教徒に報復を続ける。
神学生ヂオリートにゲリラが遺した【魔道士の涙】を渡し、彼の従姉ポーチカの復讐に手を貸した。
ルフス光跡教会を襲ったのは、武闘派ゲリラのメドソースとポーチカが憑いた双頭狼だ。
ロークは、シルヴァが毎年老いる常命人種か、ゆっくり老いて何百年も生き続ける長命人種か知らない。だが、老いた身で、これだけの行動力を発揮する意欲の源を思うと、恐ろしさと同時に同情も湧いた。
あの時、メドソースの記憶の断片に触れなければ、こんな気持ちにはならなかっただろう。
呪符職人は、割と話せる人物だと思ったが、それとアーテル人への復讐の意思は別だ。
アクイロー基地で使った【召喚符】の実績を見た限り、連続爆破の直後に多種多様な魔獣が出現した件も、彼の呪符によるところが大きいのだろう。
ルフス神学校の礼拝堂爆破事件では、元軍人と建築の専門家が、新たに加わったとわかった。
……アーテルの街も建物も、【跳躍】除け全然ないし、テロし放題なのに。
ロープで仕切られ、九十九折りのようになった行列の大半は、背広できっちり身を包んだ会社員風の男性だ。女性は、どこかの店の制服や、店名入りのエプロンを着けた人が多い。
……会社も休日出勤? 取引先も出社してるのか。
これだけ人が居ながら、区役所前は静かだ。公衆電話の順番を待つ人々は、互いに言葉を交わすことなく、新聞や、どこにも繋がらないタブレット端末をつついて過ごす。
世間話でもする者が居れば、そこからある程度、情報収集できるが、これではお手上げだ。
仕方なく、人々の様子を観察する。
女性は、スーパーマーケットや飲食店の従業員が多い。ロークのすぐ前に並ぶ女性は、画像フォルダを開き、子供の写真を眺める。
少数だが、事務員風の女性も居た。
……そっか。ここ、住宅街から遠いし、また休校になるくらい魔獣が出るのにわざわざ役所まで来て、外で並ばされるんじゃ、怖くて無理だよな。
行列には、子供の姿が一人もない。男性が多いのも、女性より力が強く、少なくとも銀鱗の虫魚が相手なら、勝ち目があるからだろう。
不動産関連など、日曜が定休日ではない業界もあるが、この長蛇の列は、一業種だけとは思えなかった。
男性や女性事務員は皆、似たような服装で、外見からは業種がわからない。
少なくとも、勤務時間中なのは確かだ。
まだ午前十時を少し過ぎたばかりで、昼休みには遠い。
社用で公衆電話に並び、待ち時間の長さも織り込み済みらしく、見える範囲には苛立ちを露わにする者が居ない。
各自、時間潰しになる物を持参して、静かに待つ。警備員の行列整理の指示だけが耳を打った。
……電話の係、一社に一人だから、知り合いが居なくて静かなのか。
高校生風のロークに怪訝な目を向ける者もあるが、何も言われなかった。
☆大統領選挙の第二回予備選の惨状……「1344.投票所周辺で」参照
☆彼の方針に合わない者は、仲間でも情け容赦なく命を奪う/それで女の子たちが助けられた……「470.食堂での争い」「471.信用できぬ者」参照
☆神学生ヂオリートに(中略)ポーチカの復讐に手を貸した……「924.後ろ暗い同士」「925.薄汚れた教団」参照
☆メドソースとポーチカが憑いた双頭狼……「1074.侵入した怨念」~「1077.涸れ果てた涙」参照
☆あの時、メドソースの記憶の断片に触れ……「1076.復讐の果てに」「1077.涸れ果てた涙」参照
☆呪符職人は、割と話せる人物だと思った……「362.パンを分けて」~「364.国際政治の話」参照
☆アクイロー基地で使った【召喚符】の実績……「460.魔獣と陽動隊」「465.管制室の戦い」参照
☆連続爆破の直後に多種多様な魔獣が出現した件……「1223.繋がらない日」「1253.攻撃者の目的」「1289.諜報員の心得」「1310.生情報の爆弾」「1316.きな臭い噂話」参照
☆ルフス神学校の礼拝堂爆破事件……「868.廃屋で留守番」「869.復讐派のテロ」参照
☆元軍人と建築の専門家……「924.後ろ暗い同士」「0954.献花台の言葉」参照




