1519.学習機会喪失
アーテル大統領選挙の投票日が、二月から五月に延期された。
だからと言って、ロークが暇になる筈もなく、呪符屋の定休日には毎週、クラウストラと連れ立って、アーテル本土の街へ調査に行く。
跳んだ先は、首都ルフスにある雑居ビルの拠点だ。
日曜だが、クラウストラは事務員風の恰好で銀行へ行った。
ロークは業種別の電話帳を開き、学習塾の番号をメモする。
我が子をルフス神学校に入れたい親の多さを反映して、学習塾の電話番号は、見開きで七ページ分もあった。
広告枠を使う塾が多い。
ルフス神学校の中等部以上は、欠員が出ない限り募集しない。
他校は毎年募集する為、進学校の受験対策を基本に据えて、あわよくば、ルフス神学校へと考える家庭が多いようだ。「ルフス神学校の空き枠対策も万全です!」などの宣伝文句が並ぶ。
初等部と中等部の入試対策専門とわかるところは除外し、まずは、対象が中高生と明記する所の名称と番号、所在地をタブレット端末に控える。
端末がインターネットに繋がらなくても、文字の入力、写真や音声、映像の撮影ならできる。広告のないものも、名称からそれとわかるものは入力した。
……ヂオリート君みたいに裏から手を回して、辞めさせてまで枠を作る例って、他にもあるのかな?
聖職者クラスと一般クラスは、稀にしか学年の途中で欠員が出ない。
星道クラスは、実習の授業がかなりキツいのか、教会の教えと聖典の星道記の矛盾に気付いて心折れるのか、毎年のように自主退学が出る。
ロークの中で、演じる人物像が組上がった。
この拠点は、アーテル人の同志が用意した架空の会社だ。
怪しまれないよう、事務机などそれらしく見える物は一通り揃えてある。固定電話もあるが、交換局などが爆破され、電柱も小型基地局の爆破に巻き込まれ、多数が倒壊、断線した為、今はただの置き物だ。
連続爆破事件の後、ビルの屋上に上がった作業員が、魔獣に捕食される被害が相次いだ。
魔獣の駆除が進んだ頃、今度は銀鱗の虫魚が大量発生し、復旧作業がなかなか進まない。
通信関連施設の連続爆破は、昨年十一月だが、年を跨いだ三月現在も、電話回線が復旧した地域は、首都ルフスを中心とした一部地域に限られる。
アーテル政府の中枢や、資力に余裕のある事業所などは、衛星移動体通信のシステムを導入し、インターネットも細々と復旧させた。だが、中小企業や地方の役所などは、高騰した衛星移動体通信の機材に手が届かず、全く目途が立たない。
学校も、魔獣の出現で休校と再開を繰り返す。
インターネット回線が復旧しない為、オンライン授業への切替えもできない。
教科書が、昔ながらの紙の本や、ダウンロードした電子書籍の学校はまだマシだが、クラウドで共有する先進導入校は、目も当てられない状態だ。
キルクルス教社会では、学力や学歴を非常に重視する。だが、このままでは学習の遅れは必至。教科書が手許にあっても、家庭学習だけでは限界がある。
キルクルス教国のアーテルは、公立私立の別なく、正式な学校の学費をすべて公費で負担する。但し、学習塾や家庭教師、学校以外の通信教育代などは、全額自己負担だ。
学習塾へ通うにも、魔獣に捕食される危険性は通学と変わらない。
裕福な家庭は、学習塾に月謝を払い、親が自家用車で送迎できる。あるいは、部屋数の多い家なら、通学の目途が立たない大学生などを家庭教師として、住み込みで雇える。
経済的な余裕のない家庭には、いずれも不可能だ。
事務室の真ん中に突然、人の姿が現れた。クラウストラだ。
「お帰りなさい。銀行、どうでした?」
「ATMは開いてて、ちゃんと両替できたよ」
事務員風の大人っぽい恰好で、女子高生のように無邪気な笑顔を向け、棒状に束ねられた硬貨を事務机に置く。
今日は日曜で、同じフロアの事業所は、どこも休みだ。
逆に学習塾は、学校が休みの日曜祝日こそ全日開ける。
「ATMコーナーの貼紙」
クラウストラは、ロークにタブレット端末を向けた。
公衆電話での利用急増を受け、当面は、土日も両替機を稼働させるとの趣旨だ。
アーテル共和国では、個人用の携帯端末の普及に伴い、この十年余りで公衆電話の設置台数が激減した。
それでも、役所や病院などには残存する。回線の輻輳時には、優先的に接続される上、災害などによる断線が生じても、一般回線より先に復旧される。
昨秋以来、周辺の企業や個人商店などが、電話の繋がる場所へ掛ける為、平日は僅かに残る公衆電話に長蛇の列ができる。
通信各社は、公衆電話の使い方を知らない若い世代の為、各新聞に説明の広告を出した。
また、ウェブマネーなど、現金不要の決済手段も普及し、需要が減少した為、金融機関の小さな支店には、両替機を設置しない所もあった。
今回の件で突然、公衆電話用の硬貨需要が増し、両替機の利用時間が拡大されたのだ。
「色んなとこに影響出るんですね」
「そうだな。両替機の補充や、故障対応で休日出勤を増やさねばならん。儲かるどころか、人件費だけでも完全に持ち出しだ」
急に大人びた表情で悪影響を語られ、ロークはギョッとした。
電話会社も、すぐ硬貨がいっぱいになる公衆電話の対応で、余分に人を動かさなければならない。
……でも、そんなの、ネモラリスに比べたら被害の内に入んないよ。
空襲で全てを焼き払われ、破壊し尽くされた故郷の風景を思い出し、ロークの心は冷たく固まった。
「先程、同志に確認した。この付近の公衆電話の所在地だ」
クラウストラは、手書きで印を付けた地図の写真を表示させた。
☆アーテル大統領選挙の投票日が、二月から五月に延期……「1478.葬儀屋の買物」「1483.出版社に依頼」「1514.イイ話を語る」参照
☆首都ルフスにある雑居ビルの拠点……「1292.修理できない」参照
☆ルフス神学校の中等部以上は、欠員が出ない限り募集しない……「925.薄汚れた教団」参照
☆ヂオリート君みたいに裏から手を回して、辞めさせてまで枠を作る例……「924.後ろ暗い同士」「925.薄汚れた教団」参照
☆星道クラスは(中略)毎年のように自主退学が出る……「744.露骨な階層化」参照
☆交換局などが爆破……「1218.通信網の破壊」「1223.繋がらない日」「1253.攻撃者の目的」参照
☆電柱も小型基地局の爆破に巻き込まれ、多数が倒壊、断線……「1290.工場街の調査」「1291.庶民の恨み節」参照
☆ビルの屋上に上がった作業員が、魔獣に捕食される被害……「1253.攻撃者の目的」参照
☆銀鱗の虫魚が大量発生……「1442.大繁盛の理由」「1478.葬儀屋の買物」参照
☆アーテル政府の中枢や資力に余裕のある事業所などは、衛星移動体通信のシステムを導入……「1257.不備と不手際」「1230.又とない好機」参照
☆中小企業や地方の役所などは、高騰した衛星移動体通信の機材に手が届かず……「1293.ずれた解決策」参照




