1517.陸の民の参画
「損する者がなるべく少ない案で、多くの理解と賛成を得られるよう、能う限り丁寧に説明する他ないのだが……」
「説明が長ければ、それだけで、忙しい人や、面倒臭がりな人は耳を貸しませんし、新聞や広報を読まずに捨てて、後で文句を言います」
ベテランのラクエウス議員は口を濁したが、若手のクラピーフニク議員はきっぱり言い切った。
ラジオで説明しても、聞き逃せばそれまでだ。
そもそも、貧しい人や忙しい人は、聞けない。
たった一度、放送で聞いただけで全てを理解し、問題点の指摘や改善案、あるいは賛成の意思を役所や議員に伝える有権者が、果たしてどれだけ居るのか。
「今回のホールマ市市会議員選挙で、昔から住む湖の民の有権者が、前回と比べて、大幅に投票率を下げた理由は明らかです」
モルコーヴ議員が険しい顔で言うと、現地の情報を持って来たクルィーロは、間髪入れず反応した。
「誰の公約にも納得できなかったから……ですね?」
同じく、現地で情報収集したラゾールニクが、満足げに頷いて、ファーキルに目顔で合図する。
ファーキルがノートパソコンを操作すると、アミトスチグマ様式の白い壁に新聞の切り抜きが表示された。
プロジェクターの投影は、アミエーラがリストヴァー自治区の学校で見たOHPよりずっと鮮明だ。
アミトスチグマ王国も両輪の国だが、科学はネモラリス共和国よりずっと進み、便利な機械がたくさんある。
この国にも力なき陸の民は居るが、ネモラリスより楽に暮らせるだろう。
……どうしてネモラリスは、アミトスチグマやラクリマリスみたいに科学を発展させないの?
アミエーラは引っ掛かったが、会議に関係ないので口には出さなかった。
投影されたのは、クルィーロが先程、タブレット端末に表示させた記事だ。
湖水日報リャビーナ版は、一面二番手の扱いで、ホールマ市議会の現職候補落選を嘆く。
落選原因の分析は、思ったより冷静だ。
湖の民の投票率低下と、湖水の光党現職三候補が、魔哮砲の使用を容認した為だとある。
当選した現職二人が、告示後の公開質問で、魔哮砲の使用に反対する立場を示したことを根拠に挙げる。
「これはまぁ、表から見える理由としては妥当かなって」
「オモテ……裏の理由があるんですね?」
現地の新聞を持って来たラゾールニクが鼻で笑い、パソコンを操作するファーキルが確認した。
「政治面の“陸の民による参画と協働、新局面へ”って記事にチラっと書いてあるけど、陸の民だけとか、湖の民だけの地方だと、半世紀の内乱で和解案に盛り込まれた民族融和なんて、ないのと同じだからね」
ファーキルはすぐ、その記事を真っ白な壁面に投影する。
魔哮砲戦争の開戦から二年余りの間、ホールマ市に避難した陸の民は、一方的に保護を与えられるだけだった。
だが、今回のホールマ市市会議員選挙では、湖の民から保護を与えられるだけの弱者ではなく、民主主義国家の有権者として、この地で彼らが自立できる環境を構築する為、権利を行使した。
力なき陸の民の票は、大半が同じ陸の民であるナウチールス候補に投じられたとみられる。
湖の民……魔法使いだけが暮らすホールマ市には、公共交通機関がなかった。自家用車の保有率も極めて低い。
市内各所に設けられた【跳躍】許可地点を覚えさえすれば、必要ないのだ。
覚える為に最低一度は、その場所を訪れなければならないが、それも自分の足で歩く必要はない。そこを知る誰かに【跳躍】で連れて行ってもらえば、事足りる。
力なき陸の民は、自家用車などを保有しない限り、毎回、歩いて行かざるを得ない。仮設住宅近隣の「力なき民でも就労可能な事業所」は極僅かだ。
ナウチールス氏が掲げた唯一の公約「ホールマ市に公共交通機関としてのバス路線設置」は、この地へ逃れた力なき民に就労の足を与えるだけでなく、そのものが雇用の受け皿となる。
車輌の購入などに多額の初期費用を要し、バス停や車庫の用地取得など、実現への壁が厚く、何年掛かるか不明だが、バス停を【跳躍】許可地点のない場所に設ければ、湖の民も利便性が上がる。
「出身地や隣のリャビーナ市など、他所には路線バスがあって、先行する導入事例から具体的に想像しやすいのも、多くの票を集められた要因でしょう」
「ナウチールス氏を支援した団体が、リャビーナにあるのも、大きいですね」
モルコーヴ議員に続いて、リャビーナ選挙区選出のクラピーフニク議員が言う。
「どうして支援者が他所に居るのがいいんですか?」
「今のリャビーナは、湖東地方の品物がたくさん入荷してるんですよね?」
アミエーラが聞くと、クラピーフニク議員は、現地調査したクルィーロに確認した。アミエーラの隣で、同じ金髪の青年が頷く。
「はい。量販店とかは、食料品や消耗品がほぼ湖東地方からの輸入品でした。個人商店も、文房具とかの工業製品はそんなカンジです」
「もし、リャビーナの“星降る湖”が、湖東地方の企業と取引できる伝手を持ってたら、中古車輌を安く手に入れられる可能性があります」
「あ、じゃあ、思ったより早く実現できるんですね」
アミエーラは期待で声を明るく弾ませたが、クラピーフニク議員は暗く沈んだ声で応えた。
「落選者を含めた全体の得票総数だと、湖の民候補者が九割。つまり、陸の民の案を支持する湖の民の有権者は、ほぼ居ないんですよ」
半世紀の内乱を生き延びたラクエウス議員が、重々しい声で恐ろしい可能性を指摘する。
「貧困層は、力なき民に仕事を奪われると危惧するやもしれん。貧富を問わず、内乱時代を知る大人は、陸の民による侵略の一歩と解釈するやもしれん」
アミエーラはその可能性に愕然とした。
※ 誰の公約にも納得できなかったから投票率が低下……アーテルの投票例「1164.信任者の実数」参照
※ OHP……「1282.支援の報告会」のあとがき参照
☆この国にも力なき陸の民は居る……「1186.難民支援窓口」参照
☆ホールマ市の現職候補落選……「1500.広報を読む力」「1513.喜べない理由」参照
☆告示後の公開質問……「1512.夜の選挙速報」参照
☆今のリャビーナは、湖東地方の品物がたくさん入荷……「1431.商品棚の事情」参照
☆個人商店も、文房具とかの工業製品はそんなカンジ……「1439.代わりに陳情」参照
☆星降る湖……「1509.街を守る支援」参照




