1514.イイ話を語る
「ルベル、トポリ神殿の再建工事が完了したぞ」
ラズートチク少尉は、ベッドの枕元で嬉しそうに言うが、魔装兵ルベルには、その笑顔がどこか遠くに感じられる。
二人は、トポリ基地の陸軍病院に居た。
トポリ基地には、ネーニア東部方面司令本部が所在する。
ルベルは水軍のトポリ基地から、陸軍総司令本部の特命部隊に移された為、この基地の指揮官に従う必要がなくなって久しい。そんな身分でここに入院するのは、妙な気分だ。
「外交官たちの働きで、ワクチンも行き渡り始めた。当面は、接種済みの者だけの参拝になるが、その内、状況も落ち着くだろう」
応答のないルベルを置き去りにして、少尉はイイ話を続ける。
「北ザカートとゼルノーの防壁が完成した。神殿はもう少しだが、来月には何とかなるだろう。住民の帰還は、麻疹の流行が落ち着いて、発電所と上下水道が再建されてからになるが、力ある民や湖の民ならば、早期帰還も夢ではない」
持ち船でネーニア島のラクリマリス領へ逃れた漁師が戻れば、地元だけでなく、周辺部への食糧供給が太くなり、更に帰還が進む。
魔装兵ルベルの原隊は、ゼルノー市の治安部隊だった。
市内と防壁の外で急速に発展した「地図にない街」が管轄で、魔物や魔獣から住民を守るのが主な任務だ。
暴徒……人間を攻撃対象として出動命令が出たのは、星の道義勇軍の武装蜂起が初めてだった。
隊員に動揺が走る。隊長が叱りつけ、偵察と住民救助を兼ねて、どうにか出動する。現場到着後、予想外の事態を報告する為、ルベルは一人、ネーニア東部方面司令本部に戻され、その後、原隊がどうなったか全くわからない。
自治区民の暴動初日、ゼルノー市は家屋や商店、工場などが炎に包まれ、ルベルが肉眼と【索敵】で視認しただけでも、多数の死傷者を確認できた。
その数日後、アーテル・ラニスタ連合軍の空襲で、ルベルの管轄区域は全て灰燼に帰したと知らされた。
それからしばらくして、ルベルは魔獣の討伐隊に組み入れられ、同じく廃墟と化したマスリーナ市に派遣される。
そこで初めて、魔哮砲を間近に見た。
遠い昔に感じるが、記憶が、ほんの二年前だと訂正する。
ルベルは、元の持ち場の復興が進んだと知らされても、心が動かなかった。
全身に痛みがあり、息をするのも億劫だ。
ルベルの身体には、傷ひとつない。傷だらけなのは魔哮砲だ。
傷付いた使い魔は現在、ガルデーニヤ市の廃墟のひとつで給餌され、療養中だと教えられた。
ネーニア島の東端と西端に隔てられても、魔哮砲の痛みが我が事として、ルベルを絡め取る。
肥大した魔哮砲の縮小作業後は、たった一度、視聴覚情報の共有を許されただけだ。それも、魔哮砲のガルデーニヤ移送後、世話係の隊長を見せ、【花の耳】越しに「俺がもういいと言うまで、この人の指示に従え」と命令を与えたに過ぎない。
世話係の部隊は、爆撃を受けて【結界】が切れたビルの廃墟で、魔哮砲の面倒を看る。
焼け跡で拾った遺品や、焼け残った骨の一部をせっせと持ち込み、生きながら焼かれた者の無念が生む雑妖を魔哮砲に与えた。
双頭狼に食い千切られた無数の傷は、蠢く闇の塊を見てもわからない。だが、闇色の魔法生物は、確かに傷を負い、未だ癒えぬ痛みに苦しむ。
ルベルは傍へ行って、満身創痍の使い魔を抱き締めて撫でてやりたいが、見舞いに来たシクールス陸軍将補に【制約】で禁じられた。
あの闇の塊は、雑妖を喰らい、魔力に変換して吸収する。
食事の様子を確認できないのは残念だが、魔哮砲に食欲があるのは、不幸中の幸いだ。
傷が自然に癒えるまで、どれ程の時を要するのか。
観察と研究の為、世話係の他、チャール軍事研究所から所員が派遣された。
医官に【癒しの風】や【癒しの水】、魔法の傷薬などを使わせたが、魔哮砲の傷は癒えない。
記録によると、人工的に創り出された魔法生物は、それらが有効な個体と、そうでない個体がある。魔哮砲は後者で、自然治癒に任せるしかなく、世話係の部隊は給餌が忙しいらしい。
トポリ基地の軍医に何か言われたのか、ラズートチク少尉はルベルの枕辺に来ては、明るい話題を耳に入れる。
「それから、クルブニーカとキパリースの防壁も、今月中に完成するそうだ」
医療産業都市クルブニーカが復興すれば、傷や病で命を落とす者が減る。
住宅街が多かったキパリースのインフラが復旧すれば、難民キャンプやネモラリス島の仮設住宅から、帰還する者が増えるかもしれない。
故郷のアサエート村や、特命部隊の工兵ナヤーブリたちが、どこで何をするかなど、ルベルが知りたい話題はひとつも出なかった。
吉報を伝える少尉の明るい声が、右から左へ抜けてゆく。
アーテルの大統領選挙は、二月の予定だったが、五月に延期された。何者かが銀鱗の虫魚を大量に召喚した影響もあるようだ。
……あんなの、フツーに足で踏み潰すだけで倒せるのに。
力なき民しか居ないアーテルでは、そんなモノさえ脅威になるのだ。
ルベルたちの特命部隊は、湖底ケーブルを切断し、アーテル領内の通信網を寸断した。
内乱後、科学文明国となったアーテルは、インターネットが使えなくなっただけで社会が大混乱に陥った。多数の企業が倒産し、失業者が溢れる。
……それでもまだ、戦争をやめようとしないんだよな。
魔哮砲の傷が癒えれば、また、戦いに駆り出される。
ルベルはいっそ、このまま癒えない方がいい気がした。
☆ルベルは水軍のトポリ基地……「756.軍内の不協和」~「758.最前線の攻防」の頃はまだ水軍のトポリ基地所属だった。
☆陸軍総司令本部の特命部隊に移された……「1170.陸水軍の会議」~「1172.対誘導弾防空」「1197.湖底ケーブル」「1214.偽のニュース」~「1218.通信網の破壊」参照
☆外交官たちの働き……「1117.一対一の対話」「1118.攻めの守りで」「1167.流れを変える」「1195.外交官の連携」「1196.大使らの働き」「1249.病の情報拡散」「1256.必要な嘘情報」「1258.揺さぶる伝言」参照
☆(トポリ市内の)状況……「1474.軍医の苛立ち」参照
☆持ち船でネーニア島のラクリマリス領へ逃れた漁師……「633.生き残りたち」「669.預かった手紙」「699.交換する情報」参照
☆魔装兵ルベルの原隊/予想外の事態を報告……「0025.軍の初動対応」参照
☆防壁の外にできた地図にない街……「0184.地図にない街」参照
☆原隊がどうなったか全くわからない……「0136.守備隊の兵士」参照
☆ルベルは魔獣の討伐隊……「0221.新しい討伐隊」「227.魔獣の討伐隊」「233.消え去る魔獣」参照
☆全身に痛み/肥大した魔哮砲の縮小作業……「1473.身を切る痛み」参照
☆チャール軍事研究所……「0996.議員捕縛命令」「0997.居場所なき者」参照
☆トポリ基地の軍医……「1474.軍医の苛立ち」「1475.使い魔との壁」参照
☆ルベルたち特命部隊は(中略)通信網を寸断した……「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」参照




