1513.喜べない理由
選挙事務所を探りに行った三人は、翌朝八時過ぎに戻った。
三人とも徹夜のハズなのにやたら元気だ。
「クルィーロ君、【跳躍】イケそう?」
「大丈夫です」
戻ったばかりのラゾールニクが、新聞の束を半分置いて、魔法使いの工員を連れてゆく。アマナの声が、その背を追った。
「お兄ちゃん、朝ごはんは?」
「夏の都で食べるから」
ラゾールニクが、振り向きもせず片手を振って答え、クルィーロの背中を押して行く。
ピナが二人分の食器を重ね、兄貴が何事もなかったかのように配膳を続ける。少年兵モーフは、あまりの慌ただしさに呆然と見送った。
昨夜は、遅くまでラジオを聞いて、みんな寝不足だ。モーフ自身、頭の芯がぼんやりして、全てが薄い幕の向こうの出来事に見える。
上の空で朝食を口に入れながら、昨夜、メドヴェージのおっさんが言ったコトを思い返した。
ナウチールス候補が当選するのは良くないらしい。だが、当選の速報が出ても、おっさんは「ジョールチさんに教えてもらえ」の一点張りで、何がいけないのか説明せず仕舞いだ。
ラジオでは、ホールマ大学の偉い先生が、投票結果を分析する特別番組が始まったが、モーフには難し過ぎて一行もメモできなかった。
クルィーロがタブレット端末で録音するので、邪魔にならないよう、誰もが無言だ。ペンの走る音だけが響いた。
大人たちは内容をメモするのに忙しい。アマナの父ちゃんの手は、信じられない速さでどんどん字を書いた。どれだけ稽古すれば、あんなに速くたくさん書けるようになれるのか。
モーフの目は、アマナの父ちゃんの手許に釘付けになり、ラジオの声は右から左へ抜けてしまった。
翌日の夕刊に載るが、要約されるので、みんなで頑張って全部記録したのだ。
ラゾールニクとクルィーロは、朝メシもなしで、大量の情報を持って、アミトスチグマ王国で待つ同志の許へ跳んだ。
……選挙のニュース、小学校の勉強しただけじゃ、わかんねぇんだな。
どれだけ勉強すれば、偉い先生のハナシがわかるようになれるのか。木箱にぎっしり詰まった中学の教科書を横目に見て、気が遠くなりそうになった。
腹が満たされ、眠気が増す。
「今回のホールマ市市会議員選挙は、任期満了による半数改選ですが、大荒れに荒れました」
ラジオのおっちゃんが話し始め、モーフは気合いを入れ直した。いつものラジオと同じ声が、昨夜の偉い先生のハナシよりわかりやすく選挙を語る。
八議席を十二人で争った結果は、投票前の下馬評が大きく外れ、湖水の光党の現職候補三人と、無所属新人が落選した。
投票率は、全体で見れば平和な頃と大差ないが、内訳を見ると、ホールマ市に住民登録した陸の民は、九十六パーセントで、棄権者を捜すのが難しい高率だ。対して、以前から住む湖の民は、前回選挙と比べ十七パーセントも低い。
路線バスの新設のみを公約に掲げたナウチールス候補は、無所属初出馬ながら、得票数七位で当選を果たした。
ホールマ市へ逃れた陸の民だけでなく、湖の民の地元民も、ホールマ市政初の力なき陸の民候補に票を入れたのだ。
「ナウチールス氏の出馬は、リャビーナ市の慈善団体“星降る湖”のお膳立てで行われました」
ラジオのおっちゃんジョールチは、ピナとモーフが聞かなくても、当選を喜べない理由を説明してくれた。
仮設住宅への支援で知り合い、ナウチールス氏らにホールマ市への住民登録を頻りに勧めた。
ネモラリス島内ではどこの仮設住宅でもそうだが、ネーニア島からの避難民は、住民登録を元の居住地に残す者が多い。
子供の学校など、現住所への登録変更が必須の用でもない限り、その手続きの為だけにわざわざ役所を訪れる者は稀だ。
トポリ市など、臨時政府主導で復興事業が展開する都市では、元住民を優先雇用し、住宅用地取得でも、優遇措置がある。
役所で記録を遡れば、開戦前の居住地を確認できる為、ネモラリス領内なら、どこに住民登録を移そうと、帰還支援の優遇を受けられる。
だが、臨時政府の通達が一般国民には充分伝わらず、依然として、住民登録を動かさない者が多かった。
星降る湖の勧めに従ったのは、極僅かで、ナウチールス氏もその一人だ。
「残念ながら、当分はこの街から動けないでしょう」
「それなら、ホールマ市政に参画して、力なき民が暮らしやすくする為に働いてみませんか?」
「選挙活動のお手伝いは全力でさせていただきます」
星降る湖の者たちは、住民登録を移したと言う仮設の住民に声を掛けたが、実際に明確な目標を持って出馬の意思を示したのは、ナウチールス氏一人だった。
星降る湖の支援は、供託金をリャビーナ市内で集める募金活動、電話回線の設置とその料金の支払い、選挙関連の各種手続きや、演説の草稿作りなど、多岐に亘った。僅かだが、投票日の数日前からホールマ市に泊まり込み、最終演説の手伝いをした者まで居る。
「当確速報直後の選挙事務所は、仮設の住民と報道関係者だけでなく、リャビーナ市から来た星降る湖の支援者も集まって、お祭ムードでした」
ナウチールス氏は、星降る湖の言う通りに住民登録を移して立候補し、彼らの支援を受けて当選したのだ。
「この団体については、スニェーグさんたちリャビーナ市民楽団に調査を依頼しました」
「団体名からは、湖の女神様の信徒団体か、隠れキルクルス教徒かわかりませんものね」
薬師のねーちゃんが難しい顔で言う。
「私とレーフもリャビーナ市に滞在中、調べたのですが、わかりませんでした。彼らの思惑は確認できませんが、少なくとも、湖の民が多数派の地域でも、地方選挙に陸の民を送り込み、市外の支援者の意向を受けて動く政治家を作り出すことに成功しました」
「星の標が同じ手段を使う可能性があるんですね」
漁師の爺さんが言うと、ラジオのおっちゃんは険しい顔で頷いた。
☆路線バスの新設のみを公約に掲げたナウチールス候補……「1500.広報を読む力」「1504.陸の民の候補」参照
☆リャビーナ市の慈善団体“星降る湖”……「1509.街を守る支援」参照
☆避難民は、住民登録を元の居住地に残す者が多い……「0981.できない相談」「1414.放送の管轄区」参照
☆トポリ市など、臨時政府主導で復興事業が展開する都市……「1175.役所の掲示板」参照
☆供託金をリャビーナ市内で集める募金活動、電話回線の設置とその料金の支払い……「1504.陸の民の候補」参照
☆選挙関連の各種手続きや、演説の草稿作りなど、多岐に亘った……「1505.市外の支援者」参照




