1511.選択の難しさ
移動放送局プラエテルミッサのみんなが、仕事や情報収集、家事や買出しなどで忙しい。
モーフ一人が、トラックの荷台に引っ込んで教科書を読み耽っても、誰も咎めなかった。
それどころか、メドヴェージと葬儀屋のおっさんは、そんなモーフを勉強熱心だと褒める始末だ。
……本読んでるだけで何もしてねぇのに。ヘンなの。
だが、ピナと一緒に働ける日でも、魚の工場へ行く気にはなれなかった。
今日は、葬儀屋のおっさんも出掛けた。
漁協の駐車場に残るのは、ピナの兄貴と漁師の爺さん、メドヴェージのおっさんと、モーフだけだ。大人三人は、爺さんが今朝、漁の手伝いをしてもらった大量の魚を捌くのに忙しい。
モーフは先日、漁協の工場で魚の鱗を上手に取るコツを教わった。だが、滑って転んで魚のハラワタが入った樽をひっくり返してからは、工場の手伝いに行かなくなった。
そればかりか、何となく全体的にヤル気が出ない。
薬師のねーちゃんに買出しの荷物持ちを頼まれ、商店街に行った時は、少しマシだったが、他はずっとこんな調子だ。
……そう言や、俺、買物……自分でしたコトねぇな。
リストヴァー自治区に居た頃は勿論、貧しくて何も買えなかった。
父を工場の事故で亡くした後は、当時小学生だったモーフを含め、一家総出で働いた。姉ちゃんは足が不自由で外へ働きに行けないが、母ちゃんと近所のねーちゃんアミエーラが取ってくれた内職をして稼いだ。
給料は現金ではなく、食べ物で払われることが多い。
モーフが工場で働けた日は、残り物や、余った食材で作ったものを昼に食べさせてもらえる。古いパンなど、持ち帰れる物が出たら、姉ちゃんの晩飯にした。
商店街へ行くのは、萎びた野菜や残飯などを分けて欲しいと頼む時だけだ。
モーフは現金を手にしたコトがなく、買物をしたコトもなかった。
成り行きで移動販売店プラエテルミッサの一員になってからは、売る側の立場になったが、未だに価格設定の基準や値段交渉の仕方がわからない。
同じ蔓草細工でも、場所によって、客によって、売値が変わる。
一番高く買ってくれたのは、ランテルナ島の地下街に居るヘンな恰好の店長だ。メドヴェージのおっさんが拵えた買物籠を魔法の道具に加工したら、よく売れたとかで、魔法のリボンと交換してくれた。
リボンはその後、モーフたちの冬服に変わった。
服屋に連れて行かれたが、モーフ自身は、何を基準に服を選ぶかわからず、質問もできない。メドヴェージのおっさんがさりげなく選び、結局、運び屋の姐ちゃんが見立てたものに決まった。
値段の交渉をしたのは、ピナの兄貴と運び屋の姐ちゃんだ。
運び屋はピナの兄貴より一枚も二枚も上手で、服屋のおっさんが半泣きになるくらい値引きさせた。
モーフは定食屋で何を食べるかさえ、ロクに決められず、高校生のロークに手伝ってもらった。それでも決められず、メドヴェージのおっさんに言われるまま、目をつぶって指差したものを注文したのだ。
必要な物も、欲しい物も選べない。
……俺、何で買物ひとつできねぇんだ?
自治区では経験がなかったが、この二年ばかりは他のみんなが買物するのを見学できたし、店の立場でも、客がどうするかずっと見て来た。
勉強する機会はたくさんあったのだ。
それでも、野菜の目利きひとつできない。つい先日、やっと「傷んだ部分がないもの」と言う最低限の基準はわかったが、それ以外は、どこをどう見て選べばいいかわからない。
教科書には、今のところ買物の説明はなかった。
今日は、ホールマ市市会議員選挙の当日だ。
他のみんなは、商店街へ食料品の買出しついでに情報収集する組、選挙事務所の様子を見に行く組、仮設住宅の様子を見に行く組に分かれて、市内各地に散った。
みんな夕方まで戻らず、ラジオのおっちゃんジョールチ、ソルニャーク隊長、ラゾールニクは、投票時間終了後も各陣営の様子を見に行き、朝まで戻らない。
ホールマ市には、新聞社の支社や支局がない為、号外は出ない。
夜はラジオを点け、当選確定の速報を聞き逃さないよう、交代で起きて耳を傾ける手筈だ。
……じゃあ、俺、今の内に寝た方がいいのか?
今日しか得られない情報があるとかで、留守番組は最小限の人数だ。
留守番組の大人三人は、大量の魚を捌き終え、ピナの兄貴とメドヴェージのおっさんは開いた身に塩を擦り込み、漁師の爺さんは鍋で魚のハラワタを煮始めた。
小学校六年生の教科書は、「ネモラリス共和国は、半世紀の内乱後も民主主義を続け、国や街のことを決める偉い人は、選挙してみんなで決めます」と説明する。
国全体のコトを決める人は国会議員、地元のコトを決めるのは市会議員。国会議員は、ネモラリス領をたくさんの区域に分け、その中で選ばれた各地の代表者だ。
代表者は、地元の住民から要望や困り事を聞く。それらを解決できる案を国会に出して、議員やその件の専門家などが話し合って、どうするか決める。
決まったコトは新しく法律を作ったり、古い法律を変えたりして、役所が実行する。禁止事項などは勿論、国民も守る義務がある。
仕組みがわかった上で改めて思い返すと、ラクエウス議員はリストヴァー自治区の代表者で、自治区の困り事などを他の偉い人たちと話し合う仕事をするのだと、すんなり理解できた。
……これって、他の奴らに反対されたら、案出しても潰されンだよな?
自治区の代表者は、ラクエウス議員一人だけだ。
つまり、キルクルス教徒の国会議員も、一人だ。
たった一人で、大勢のフラクシヌス教徒を相手に何ができたのか。
……大人になったら、誰に国とかの仕事を任すか、決めなきゃなんねぇのか。
モーフは、荷物持ちには何度も行ったが、自分から必要な物や欲しい物を買いに行った経験がない。買物をする時は、誰かに助けてもらわなければ、ロクにできなかった。
会ったコトもない奴らが何人も「自分が代表者の仕事をする」と手を挙げた中から、たった一人、正しい代表者を選べる気がしなかった。
☆モーフは先日(中略)工場の手伝いに行かなくなった……「1498.戦時下の選挙」参照
☆薬師のねーちゃんに買出しの荷物持ちを頼まれ、商店街に行った時……「1507.魔道書の本屋」「1508.買う物の基準」参照
☆一番高く買ってくれたのは、ランテルナ島の地下街に居るヘンな恰好の店長……「413.飛び道具の案」「454.力の循環効率」「502.懐かしい日々」「532.出発の荷造り」参照
☆リボンはその後、モーフたちの冬服になった……「532.出発の荷造り」参照
☆定食屋で何を食べるか(中略)ロークに手伝ってもらった……「493.地下街の食堂」参照




