1508.買う物の基準
「ねーちゃん、何の本、買ったんだ?」
モーフは薬師のねーちゃんが抱えた包みを見たが、無地の紙袋からは何もわからない。
「魔道書よ。【思考する梟】学派の中級の本」
「難しいのか?」
「そうね……大学で習ったけど、呪文をみんな暗記してるワケじゃないから、これで確認しようと思って」
モーフは驚いて薬師のねーちゃんを見た。
「エラい学校卒業したのに、まだ、勉強すんの?」
「そうよ。確認して覚え直せば、作れるお薬の種類が増えて便利だもの」
「ふーん」
薬師のねーちゃんに普通の顔で言われ、少年兵モーフも普通に頷く。学校をひとつも卒業できなかったモーフから見れば、学校を幾つも出た上、まだ勉強するねーちゃんは、雲の上の人に思えた。
……長生きだから物識りなんじゃなくて、スゲー勉強するから物識りなんだ。
薬師のねーちゃんは、半世紀の内乱時代に生まれた。今のモーフが「戦争中だから勉強できない」と思うのは、言い訳にもならない。
明日から三月だ。
……キリがいいし、今日は籠とか作って、明日から教科書読もう。
買ってもらった教科書は、まだ一度も開いたことのないものが多かった。小学校の分を全部読み終えられたのは、国語だけだ。
たくさんあるどれかには、メドヴェージのおっさんでも知っていた「営業時間」のコトも書いてあるかもしれない。
漁師の爺さんと薬師のねーちゃんが、八百屋の店先で足を止めた。
看板にある営業時間は、朝八時から夕方四時まで、休みは水曜だ。
緑髪の二人が野菜を品定めするのをぼんやり眺める。
……美味い野菜って、どうやって見分けりゃいいんだ?
それも、教科書に説明があるのだろうか。
ピナと兄貴はパン屋で、食べ物のプロだから目利きできるのだと思った。だが、薬師のねーちゃんと漁師の爺さんも、野菜を手に取って何か調べて、買う買わないを決めるようだ。
モーフは、緑髪の兄妹の手許をじっくり見た。
大きさかと思ったが、そうでもないようだ。爺さんは大きいのを棚に戻し、小さい方のキャベツを買物籠に入れた。
……あのキャベツともう一個の奴、どこがどう違うんだ?
「坊主、どうした? 腹減ったのか?」
「何でも……キャベツ買う時って、どこ見て買やぁいいんだ?」
「あ? そんなモン、俺に聞くなよ」
案の定、メドヴェージのおっさんは知らなかった。自動車学校では、トラックの運転しか習わなかったらしい。
地元の湖の民も、リャビーナ市から買出しに来た陸の民も、野菜の何かを調べて籠に入れる。中には、ねーちゃんが見て売り場に戻した南瓜を買う者も居た。
……ねーちゃんがダメだと思っても、他の奴は買うって、何でだ? 陸の民だからか?
だが、薬師のねーちゃんは、自分の為だけでなく、移動放送局プラエテルミッサのみんなの為に買出しに来たのだ。十五人分も買うから、一軒では済まないし、魔法の袋を使わない時は、荷物持ちが要る。
八百屋の隅で、陸の民が群がる一角に気付いた。気になって近付くと、おっさんもついて来る。
人垣の真ん中にあるのは、段ボール箱だ。開いた蓋の一枚で、「見切り品」と油性マジックの文字が躍る。
中身は、モーフがよく知る傷んだ野菜だった。葉が萎びたものや、茶色くなったもの、半分腐ったものまである。
一人が萎びたホウレンソウを手に取り、レジに直行した。現金の値段は、棚にあるホウレンソウの半分くらいだ。
……そうか。なるべく傷んでねぇのを買うんだ。
ラジオのおっちゃんは、八百屋が仮設住宅に来て、売れ残りの野菜で炊き出しすると言った。
いい野菜が売れ残るとは思えない。傷んだ見切り品を貧しい陸の民が買い、彼らさえ手を出さなかったどうしようもない物しか、仮設暮らしの力なき民には回らないらしい。
食べ物は、リストヴァー自治区に居た頃のモーフと大差ない。
少年兵モーフは拳を握ったが、すぐ緩めた。それでも、立派な仮設住宅に住める分、マシなのだ。
……仕事もねぇのに食わしてもらえるだけ、有難ぇンだよな。
モーフは工場で下働きした日だけ、昼飯を食べられた。冬の休日はシーニー緑地に草もなく、マズい井戸水だけ飲んで過ごす日が多かった。
「坊主、どうした?」
「仮設の炊き出しって……」
「ウチは毎週水曜に高校へ行くのよ。坊や、ここらじゃ見ない顔だけど、どこの仮設の子?」
緑髪が半分以上白い婆さんが、前掛けで手を拭きながら話に混ざる。
口ごもったモーフの代わりにおっさんが答えた。
「俺たちゃ旅のモンなんだ。住むとこなくなって、どっか落ち着けるとこねぇか探してんだが、どこもかしこもいっぱいでな」
「気の毒にねェ。水曜に高校の仮設へ行けば、ごはん食べさせてあげるよ」
店の婆さんは、モーフにニコニコ笑顔を向けて言った。
「住んでねぇのに……いいのかよ?」
「一人や二人増えたってどうってコトないのよ。前の日の在庫をみんな持ってくからね」
「売れ残り?」
「面白いコトいうねぇ。まだ売りに出してないのも持ってくから、新鮮よ」
モーフは驚いて婆さんを見た。
皺に埋もれた緑色の目は真剣で、嘘を吐くように見えない。
「でも、タダなんだろ?」
「そうよ。お代は……後で働けるようになってからでいいのよ」
「儲かンねぇのに?」
「毎日は無理だけど、私ら、このくらいしかできないからねぇ。ホントは役所がもっとどうにかしてくれりゃいいんだけど」
「まぁ、どこも不景気で、税金もアレですからねぇ」
「そうですねぇ」
近くにいた緑髪の客が口を挟み、メドヴェージもいつになく丁寧に応じた。
「ウチは運転できる人を一人、仮設から雇ってるけど、仕事は朝の仕入れの時だけだからねぇ」
「給料安いんだ?」
「まぁね。ウチもそんなに儲かってないから、生でも食べられるお野菜で払ってるけど」
「ここもやっぱ、家も仕事もねぇンだな」
地元民から改めて聞くと、ラジオのおっちゃんたちが仮設で聞いた話とは随分、違う気がした。モーフには、どちらが本当か、これだけではわからない。
「生きてればその内、家や仕事があるとこに引越せるかもしれないからね。リャビーナの方がマシなんでしょ?」
「わかんねぇ」
モーフは、星の標の幹部が社長をする倉庫会社が、力なき民だけを雇ったのが、悪くないような気がして来た。
布教されても、ハナシを聞いた奴が星の標の思想に染まらなければ、丸儲けだ。
モーフは、薬師のねーちゃんから、膨らんだ買物袋を受取り、考え事をしながら次の店へ向かった。
☆小学校の分を全部読み終えられたのは、国語だけ……「1113.知の灯を識る」参照
☆八百屋が仮設住宅に来て、売れ残りの野菜で炊き出しする……「1505.市外の支援者」参照
☆星の標の幹部が社長をする倉庫会社……「1468.社長夫婦の話」「873.防げない情報」「1372.ノチリア企業」参照
☆ハナシを聞いた奴……「1459.付け込む布教」参照




