1505.市外の支援者
ホールマ市で市会議員選挙が始まって以来、初の陸の民候補者は、段ボールで囲まれた奥の席から、ソルニャーク隊長の手前まで出て来た。
「いえ、今回、初出馬です」
「初めてだったんですか!」
レノは驚いた。
ホールマ市でバスを運行させる為だけに自ら市会議員候補に立候補する。
その発想と勇気は、どちらもレノが持ち合わせないものだ。
四十代半ばのナウチールス候補が、どんな人生を歩んでここに辿りついたのか、想像もつかない。
「選挙事務所の起ち上げも、お一人で?」
ソルニャーク隊長が、仮設住宅の集会所の隅に目を遣る。
「いえ、それも、立候補を勧めて下さったボランティアのみなさんが……」
「リャビーナ市の団体ですか?」
「えぇ、パジョーモク議員の支援者の方が、色々教えて下さったんです」
「えーっと……確か、秦皮の枝党の議員……でしたっけ? 国会議員?」
ラゾールニクが素知らぬフリで確認する。
「そうです。パジョーモク先生も力なき民だから、準備は似たようなものだろうとのことで」
「市会議員の任期って、何年でしたっけ?」
「四年です」
「平和になっても、ガルデーニヤに帰らないんですか?」
レノは反射的に聞いた。
「はい。帰っても、私ひとりですし……ホールマ市民の中には、生まれて初めて陸の民……それも、私のような力なき民を見る方もいらっしゃいます。偏見や憐みの目を向けられることもありますが、大抵の方は、力なき民のことがわからないなりに親切にして下さいます。だから、ここの方々の為に力を尽くそうと思っています」
「邪魔だから追い出そうみたいなハナシって、ないんですか?」
ラゾールニクが、集会所の者たちを見回す。
「……そう言われてみれば、面と向かって言われたコト……ないわ」
「八百屋さんとか、三日に一回くらい売れ残りの野菜持って来て、炊き出ししてくれますし」
「道歩いてて、ヘンなモノ見るような目でじろじろ見られるくらいだな」
「私もそうです。【跳躍】許可地点の近くで演説しても、罵声を浴びせられたことはありません」
ナウチールス候補も、言われて初めて気付いた顔だ。
「では、ホールマ市民は、あなたの意見に好意的なのですか?」
ソルニャーク隊長が聞くと、ナウチールス候補は首を傾げた。
「うーん……まだ、そこまではわかりません。魔力がなくて可哀想だとか、力なき民にどう接していいかわからない、と言われたことならありますが」
「陸の民を排除すれば、半世紀の内乱の再来になりかねません」
隊長の静かな声で、住民が何人も納得を呟いた。
「実際、票に繋がるかわかりませんが、応援して下さる方もいらっしゃいます」
「湖の民で、バス欲しい人、居るんですか?」
ラゾールニクが露草色の目を見開く。
「はい。選挙公報にも書きましたが、魔法が使えても、よく知らない場所、初めての場所には、【跳躍】できません。それに……」
若い親が、乳幼児を連れて買物へ行く際、子供を抱き上げ、買物袋を抱えて跳ぶのは大変だ。子供の人数が増えれば、難易度が上がる。魔力の弱い人なら、そもそも子供を連れて跳べない。
半世紀の内乱中、この街も、キルクルス教徒や主神派のフラクシヌス教徒、共和制維持派と神政復古派の戦場になった。
頼りになる身内が、近くに居ない家庭も多い。
「ホールマ市を湖の民とは別の視点から、備に観察すると、公共交通機関に対する潜在需要……つまり、現状で困っていても、自分が何に困って、どうすれば解決できるかわからないせいで、声を上げられない人が意外と多いとわかりました」
「魔法が使えても、不便なコトってあるんですか」
レノは想像もつかなかったことを言われ、ナウチールス候補をまじまじと見た。
四十代半ばのどこにでも居そうな普通のおじさんだ。
……あ、でも、クルィーロも地元に居た頃、【跳躍】できなかったよな。
幼馴染が【跳躍】の呪文を覚える気になり、練習するようになったのは、戦争が始まって、命を守る必要に迫られたからだ。
湖の民にも、クルィーロのような人が居るかもしれない。
「幸い、この街には大型トラック用に車道が整備され、交通事故対策も進んでいます。車輌や燃料の調達、バス停用地の確保、運転士の育成など、難しい問題はたくさんありますが、困っている市民の為に一生を懸けて全力を尽くします」
ナウチールス候補の声が次第に熱を帯び、住民から拍手が起こった。
拍手が消えた途端、年配の女性が肩を落とした。
「でも、私じゃ力になれないのよね」
「どうしてです?」
ラゾールニクが聞くと、隣の男性が申し訳なさそうに答えた。
「住民登録、地元に残したまんまのヤツが多いんだよ。俺もだけど」
「学校に通う子が居ないと、特に用事がないからねぇ」
「出馬が決まった時点で移しても、今回の選挙には間に合わないんだよな」
五十代半ばくらいのおばさんも、編み針を置いて申し訳なさそうに俯いた。
「お気遣い、ありがとうございます。元々私たちは、まだ選挙権のない子供たちを含めても五千人くらいしか居ません」
「でも、落ちたら供託金が……」
「地元の方々が、自分でも気付かなかった困り事に目を向けるきっかけになれば、今回、落選したとしても、出馬した意義は残ります」
「それに、湖水の光党の現職は、みんな魔哮砲の利用に賛成らしいからな」
「そっちの票が流れたら、初出馬で初当選なんて快挙も……ひょっとしたら」
男性たちの目が俄かに熱を帯びる。
「連中、アーテルの空襲に対抗するには、あれしかなかったなんて言うけど」
「あいつのせいで戦争吹っ掛けられたんだぞ。本末転倒だ」
「えっ? そのハナシ、どこで聞いたんです?」
ラゾールニクが初耳のような顔で聞くと、住民たちは口々に教えてくれた。
「大分前にリャビーナ市民楽団が、慰問演奏会に来て」
「カルテットの人たちが、外国の新聞をくれたんです」
「アミトスチグマの湖南経済本社版とか」
「ラクリマリスの見たことない新聞もあったな」
「その時、炊き出しに来てた商店街の人たちも読んだから、今頃、湖の民にも広まってると思いますよ」
……スニェーグさんたち、そんな活動もしてたのか。
今回のホールマ市市会議員選挙にどの程度、影響するか不明だが、ナウチールス候補にとって、追い風になるかもしれない。
「長居しちゃってすみません。しばらくは漁協の駐車場に居ますし、御用聞きであちこち回ってますんで、何かあったら、お声掛け下さい」
「俺たちも住民登録、地元のままなんで、投票はできないんですけど、応援してます。頑張って下さい」
「こちらこそ、無駄足を踏ませてすみません」
四人は仮設住宅の選挙事務所を後にした。
レノひとりでは、到底、こんなたくさんの情報を引き出せなかっただろう。
「ちょっと商店街の呪符屋さんに寄ってもいいかな?」
「何をするのです?」
ラゾールニクが、ジョールチの囁きに答える。
「売り込み」
何をする気かわからないが、反対する理由はなく、商店街に向かった。




