1502.両者の隔たり
公園での昼食後、レノたち三人は、ホールマ市役所周辺の仮設住宅を回った。
ここも他所と同じで、プレハブ本体には何の術も掛かっておらず、【魔除け】や【耐寒】などの呪符が部屋毎に必要だ。
主にラゾールニクが住民に声を掛け、レノは彼の補助、アナウンサーのジョールチは記録係に徹して無言でメモを取る。
「こんにちはー。俺たち、今、漁協の駐車場に来てる移動販売店なんですけど、ご入用の品、ありませんか?」
「移動販売店?」
「欲しい物は色々あるけど、なんせ、おカネがないからねぇ」
「いいから早く戸を閉めとくれ。寒いったらありゃしない!」
老婆が毛糸の肩掛けで我が身を包み、ラゾールニクを睨んだ。
三人は集会室に入り、戸をしっかり閉めて向き直った。
二十人ばかりの中高年が、呪符作りや編み物などの作業をするようだ。
吐息が白くなる程ではないが、レノは身震いした。見回したが、ストーブなどの暖房器具は見当たらない。部屋の壁には、一枚の呪符もなかった。
老婆が編み物を再開した。その手は皸だらけだ。
「移動販売店で、何を売ってるんだ?」
男性が、呪符を書く銀のペンを置き、両手を擦り合わせて温めながら聞く。
レノが店長として応えた。
「パンとクッキーと香草茶、蔓草細工です。それから、交換品で手に入った日用品とかも、少しあります」
「ストーブはないのか?」
呪符書きの男性が聞くと、他の者たちが口々に反対した。
「品物だけあったって、おカネがないんだから買えないじゃないの」
「電気ストーブはダメだぞ。なんせ、仮設に電気引いてないからな」
「石油ストーブも、灯油が高くて買えないし……」
「薪ストーブは、煙突がないから一酸化炭素中毒になって危ない」
「って言うか、こんな街の中で使ったら、煙で近所迷惑よ」
ジョールチとラゾールニクが、無言で顔を見合わせた。
レノは、服の【耐寒】で守られた力ある民の二人にもわかるよう、自分の両肩をさすりながら言う。
「ここ、暖房なくって寒いですよね。お部屋で作業なさらないんですか?」
「ウチは子供がまだ小さいから、部屋で呪符書きの内職なんてできないよ」
「大勢居るとこの方が、あったかいからね」
……えっ? 部屋にも暖房とか【耐寒符】とかないのか?
レノは驚いた。
「ここ、【耐寒符】もないんですか?」
「何せ、カネがねぇからな」
年配の男性が溜め息混じりにぼやく。
「オバーボクとか北部の仮設は、見習いの職人さんが練習で作ったのとか、呪符を各部屋に配って雑妖や防寒の対策してましたけど」
レノが言うと、呪符書きの内職をする者たちが、口々に声を上げた。
「ここには、元々湖の民しか居ないから、【耐寒】とかを服や建物に組込む配列は知ってても、呪符にする配列は知らないんだとよ」
「えっ? 呪文って、全部一緒じゃないんですか?」
レノが驚くと、銀のペンを握った女性が、呪文入りの服を着たジョールチをチラリと見て言う。
「私もこの内職するまで知らなかったんだけど、服も建物も立体でしょ? 平面の呪符とは、魔力の巡らせ方がそれぞれ全然違うって教えてもらったわ」
「プレハブの建物は、材質の都合で無理って言われたし」
「それ系の呪符って全部、力なき民向けだから、この街の呪符屋はどこも在庫がないし、作り方もわかんないんだってさ」
年配の女性が吐き捨てると、ラゾールニクが額に手を当てて大袈裟に納得した。
「あー……そっか。需要ないと、そうなっちゃうのかー」
レノは、ジョールチを見た。【化粧】の首飾りで顔は変えたが、国営放送アナウンサーの彼が声を出せば、すぐ何者かバレてしまう。無言でペンを走らせ、手帳から目を離さなかった。
「でも、隣のリャビーナには……」
「あっちはもう、国内難民がいっぱいで、居場所なんてどこにもないよ」
「呪符とかも、向こうの分だけで手いっぱい、こっちまで回せないって」
「内職したら、十枚に一枚は手間賃としてもらえるから、頑張ってんだ」
「古着や毛布は、リャビーナのボランティア団体が、ホールマの仮設にも分けて下さったので、まだ何とかなっていますけど」
呪符や、呪印のない普通の夏服や冬服、毛布や毛糸、暖房器具などは、すべて力なき民向けの物品だ。
元の住人が湖の民ばかりのホールマ市では、需要がないのだから、在庫どころか中古品すらなくて当然だ。
リャビーナ市からホールマ市までの距離は近いが、隔たりは大きかった。
「じゃあ、衣類と寝具は足りてるとして、他に足りない物ってあります?」
ラゾールニクが聞くと、仮設住まいの力なき民は、困った顔で御用聞きを見た。
「何もかも足りんよ」
「品物持って来てくれたって、何せ、おカネがないのよ」
「この辺にゃ、力なき民でもできる仕事があんまりないし」
「食べ物とかはどうしてるんです?」
レノが聞くと、仮設の住民は、苦悩の色を濃くした。
「平日は、商店街の人が売残りの野菜やらなんやらくれて、休日は、リャビーナのボランティア団体が持って来てくれるパンや堅パン、缶詰とかだよ」
「料理したくても、電気とガスがないし、街の中で焚火なんてできないから」
「それと、漁協の人たちが、焼魚とかくれる日もあるな」
「どうしても栄養が偏るけど、食べられるだけマシよ」
レノは、諦め混じりの答えに怯んだが、思い切って聞いてみた。
「難民キャンプには、行かないんですか?」
「子供らを学校へ行かせてやりたいからね」
「空襲で家財道具全部なくしても、知識って財産だけはなくならんからな」
「役所のラジオで言ってたけど、難民キャンプには学校がないんでしょ?」
「今はよくても、大人になってから困るじゃない」
「外国じゃ、貯金取り崩して暮らすなんてムリだろ? 支店がないんだから」
「知の灯があれば、手に職もつけられる。学校に行けば、昼飯は給食が出る」
レノはギョッとして、呪符の内職をする男性を見た。震えそうになる声を抑えて聞く。
「ち……ちの、ともしびって、なんですか?」
「知識は将来の進路を照らす光って喩えだな」
「リャビーナのボランティアの人が言ってた」
「上手いコト言うわよね」
「それで、石にかじりついてでもここで頑張ろうって、呪符屋に頼み込んで内職の仕事取って来たんだ」
レノが頷くと、ラゾールニクが話題を変えた。
「料理は【炉】の呪符とか【炉盤】があれば、できそうですけどね」
「ボランティアの人に魔力入れてもらって……?」
女性たちは、諦めきった顔で肩を落とした。
「鍋も何もないのにそれだけあったってねぇ」
「暖房器具にもなりゃしない」
ホールマ市の仮設住宅は、これまで見たどこよりも、力なき民への支援が足りなかった。




