1500.広報を読む力
三人は、ラゾールニクがタブレット端末で撮った地図を頼りに歩き、迷子にならずにホールマ市役所に着いた。
市役所の玄関、庇が張り出した下に臨時の掲示板がある。
近付いてよく見ると、掲示板ではなく、ホワイトボードだ。藁半紙に刷った選挙公報を磁石で留めてあった。
来庁者は湖の民ばかりで、立ち止まってじっくり読む者は、一人も居なかった。
今回のホールマ市市会議員選挙は、半数改選の八議席を十二人で争う。
現職候補は、湖水の光党が五人、渡る漣党は二人、両輪の軸党が一人だ。
新人候補は、両輪の軸党が一人、無所属が三人。
無所属の内、一人だけ陸の民で、他はすべて湖の民だった。
「市会議員選挙に立候補できると言うことは、少なくとも、届出日の三カ月以上前から、ホールマ市に住民登録と居住実態がある人物ですね」
「えッ? そんな制限あったんですか?」
レノは、ジョールチの囁きに思わず声を上げた。
市役所の玄関前に立つ警備員が、こちらを見る。
ラゾールニクが笑顔で会釈すると、何も言わず正面に向き直った。
ジョールチがメモを取る影に隠れ、ラゾールニクがタブレット端末で選挙公報を撮る。
レノは、陸の民の候補者が掲げた選挙公約に目を通した。
市営の路線バスを実現します!
私を含め、戦争とクーデターでこの地へ逃れた力なき民は、昨年末時点で五千人以上に上ります。
開戦前のホールマ市民は約四万人。
通勤・通学をご近所の方々のご厚意にばかり甘える訳には参りません。
私たち力なき民には、公共交通機関が必要です。
湖の民の方々も、【跳躍】許可地点から遠い場所へ行くのが便利になります。
私は空襲で焼け出されるまで、ガルデーニヤ市で民間のバス会社に勤務しておりました。
当選の暁には、民間で得た知識と経験を活用し、全ホールマ市民の為、公共交通機関の設立に全力を尽くします。
どうやら、ホールマ市には、バスが一台もないらしい。
しかも、力なき陸の民は、想像以上に流入したようだ。
他の候補者は、仮設住宅の早期解消や、景気対策を掲げるものが多かった。
ホールマ市も、校庭や民間の駐車場などが、プレハブの仮設住宅で埋まり、一部は【魔除け】などが施されたテント暮らしらしい。
民間アパート建設に補助金を出す案や、住み込みの仕事で力なき民を雇用した事業所に補助金を出し、住宅難と失業を同時に解消する案が、特に目を引いた。
……アパートだけ建ったって、仕事がなきゃ家賃払えないんだよな。
ジョールチが、険しい顔で手帳にペンを走らせる。
……住み込みの仕事増やすの、いいな。
三人が市役所の玄関ホールに入ると、掲示板に今月と先月の広報紙が貼り出してあった。
広報ホールマの各戸配布は、印暦二一九一年八月から、休止しております。
市民のみなさまにご不便をお掛けしますが、各町内会の掲示板等でご覧下さい。
横に添えられた赤字の貼り紙が物悲しい。
先月の広報紙は、開戦二年目で初開催される合同慰霊祭のお知らせが、大きな扱いで載る。
隣のページは、昨年末時点でのホールマ市関連の避難者に関する統計特集だ。
ホールマ市が受け容れた国内避難民は、延べ一万七九五一人。その内、四五八八人は、アミトスチグマ王国の難民キャンプに移動。六三一九人は、国内の他地域へ転出した。
残る七〇四四人の内、五一三六人は陸の民で、力ある民はたった二十四人。一九〇八人が湖の民だ。
ホールマ市内に残った避難民の内、湖の民の大半が、親戚を頼って住居と仕事を確保できたのに対し、五一一二人の力なき陸の民は、現在も仮設住宅で暮らす。
力ある陸の民が居る世帯は、仕事を得て仮設住宅から民間アパートに移ったが、力なき陸の民は、今すぐ就労可能な者に絞っても、失業率が七十一パーセントにも上る。保育所や高齢者施設などが利用できれば働きに出られる人を含めると、もっと酷い状態だ。
多くの避難民の世帯は、ここに来た当初、貯金を取り崩して暮らした。開戦から二年経つ現在は、多くの世帯で貯金が底をつき、福祉に頼らざるを得ない。
……あ! さっきのバスの公約!
力なき民が働きたくても、就労場所が仮設住宅から遠ければ、通勤できない。
小さな街ではあるが、徒歩や自転車で市内全域、通勤できるかと言えば、それは無理だ。
漁協から市役所まででも、ジョールチの【跳躍】で商店街を端から端まで飛ばさなければ、今日中に行って帰れなかったかもしれない。
ゼルノー市と隣のマスリーナ市には、力なき陸の民が多い。
レノは、路線バスが走るのを当たり前の光景として育った。
クルィーロの母は毎日、マスリーナの会社にバス通勤した。
ゼルノー市当局は、あの日、住民避難に市バスの車輌を使った。
「私たち力なき民には、公共交通機関が必要です」
この訴えは、ホールマ市民の大多数を占める湖の民に届くだろうか。
……いや、でも、あの人が当選したからって、すぐバスが走るワケないよな。
公約の実現には、車輌の調達や、バス停の整備などに多額の初期費用が必要だ。
避難民の流入で人口が急増し、ホールマ市の財政が大変なのは、レノにも想像がつく。だが、公共交通機関がなければ、力なき陸の民が経済的に自立できず、福祉予算の負担を減らせない。
……やっぱ、手っ取り早いのって、通勤しなくていい住み込みの仕事を増やすコトか。やっぱ、議員とか目指す人たちって、頭イイんだな。
後でジョールチに聞いてみようと思い、レノは今月分の広報紙に目を移した。




