1499.知らないこと
「ジョールチさん。掲示板とか見に行くの、俺もついてっていいですか?」
「私は構いませんよ」
レノが思い切って話を戻すと、ジョールチは助かったとばかりに即答した。
「俺、もっといろんなコト勉強したいんで、よろしくお願いします」
ついさっき、葬儀屋アゴーニから、食品関連に集中してくれた方が有難いと言われたばかりだが、ポスターなんて大きな物を見落とすようでは、てんでハナシにならない。
何に注意して街を見ればいいか、情報収集の視点を増やしたかった。
「では、私とクルィーロ君で、力なき民が入居可能な物件があるか、不動産屋を回ろう」
「えッ? ここに住むの?」
アマナが素早く父と兄を見て、ソルニャーク隊長に視線を定めた。
「陸の民……特に力なき民の定住状況を調べるだけだ」
「あ、お兄ちゃんは写真係なんですね」
クルィーロが、ホッとした妹に苦笑する。
「俺だって、物件情報くらい読めるよ」
「クルィーロ、一人暮らししたかったのか?」
パドールリクが意外そうに聞く。
実家のパン屋を継ぐ筈だったレノは勿論、工場勤務のクルィーロも、ずっと実家暮らしだった。
レノは、不動産屋の店頭に掲出される物件情報をじっくり見たことがない。通りすがりに何となく視界に入る風景の一部でしかなかった。
……やっべ。俺、物件情報の読み方、全然わかんないや。
間取図とか言う部屋の設計図的なものなら、見覚えがある。だが、あの図面に書いてあるたくさんの記号の意味は、全く知らない。どこをどう見れば、居心地のいい部屋と、不便な部屋を見極められるのか、全くわからなかった。
レノの焦りを他所に幼馴染の父子は話を続ける。
「違うよ。会社の先輩に物件探しを手伝わされただけだよ」
「物件探しの手伝い? 何をしたんだ?」
「結婚決まったから、新居探すの手伝ってくれって、婚約者さんが書いた条件のメモ渡されたんだ。で、俺と先輩入れて五人で手分けして、不動産屋さん回っただけだよ」
「そんなコトしてたのか」
パドールリクが苦笑する。
「お昼奢ってくれたし、俺も将来、結婚する時の参考になるかなって」
クルィーロの顔が暗くなる。
開戦前から特に浮いた話はなかったが、今は自分たちの暮らしが浮草で、結婚など考えるのも無理だ。
たくさんの街を訪れ、大勢の人と出会って別れたが、その視点で「公開生放送や物販のお客さん」を見る発想すらなかった。
……読み方、後でクルィーロに教えてもらおう。
レノは気持ちを切り替えて、夕飯の後片付けをした。
夜明け前。
まだ星が瞬く時間に卸と仕入れの喧騒が始まった。
日が昇る頃、魚の取引を終えた保冷トラックが去り、再び静かになる。
昨夜、この世の終わりのようにしょんぼりだったモーフは、レノがパンを焼く匂いで、いつもの元気を取り戻した。
メドヴェージは、いつものようにモーフをイジらず、嬉しそうに見守る。
……魚の内臓塗れ……か。
想像しただけでキツい絵面だ。
ラキュス湖の魚は、内臓に銅を蓄積したものが多く、レノたち陸の民には食べられない。
逆に湖の民は、手軽に美味しく銅を補給できる健康食品として、魚の腸を塩と香草で漬け込んだ瓶詰や、アラ煮の缶詰を好んで食べる。
……ま、元気になってよかったよ。
何事もなかったかのように朝食を終え、今日は五組に分かれて活動する。
レノ、ジョールチ、ラゾールニクは役所へ選挙の情報収集。アビエース、ピナ、パドールリクは、西の商店街で物価などの調査に出掛け、クルィーロとソルニャーク隊長は、昨日、レノたちが行った東の商店街で、不動産情報の調査だ。
アウェッラーナとティス、アマナは、水産加工場で、おばさんたちを手伝うついでに地元の話を聞くと言う。
残りは、昨日集めた情報メモや新聞記事の整理だ。
何となく、みんなの目がモーフに向く。
「俺、中でカゴ作っとく」
モーフは、とぼとぼトラックの荷台に引っ込んだ。
葬儀屋アゴーニが緑色の頭を掻く。
「元気なのは、メシ時だけか」
「まだ引きずってやがンのか」
メドヴェージも肩を落とした。
「工場の人にキツく当たられたんですか?」
レノが聞くと、昨日、モーフと一緒に作業した三人は、首を横に振った。
「逆にみなさん、やさしくしてくれました」
「怪我ぁねぇか、スゲー心配されただけだ」
「弁償してとかも、言われませんでしたよ」
「引き続き、そっとしておくしかあるまい」
ソルニャーク隊長の一言で、それぞれの用に散った。
アナウンサーのジョールチが、ホールマ漁協の正門脇に立つ案内板を確認する。ラゾールニクは、タブレット端末で素早く地図を撮った。
ホールマ市の官庁街は、漁協からかなり離れた所にある。
「商店街の手前から、反対側までは私が【跳躍】します」
「ここ、市バスとかなさそうだもんな」
ラゾールニクが、ポケットから【魔力の水晶】を出して言う。
「えっ? どうしてそう思うんです?」
ジョールチが、歩きながら教えてくれた。
「先程の地図には、バス停の記号がありませんでした。漁協など、大規模な事業所の前には、通勤用にバス停が設置される場合が多いのですが、ここにはありません」
「地元民、湖の民が多いって言ってたし、【跳躍】と魚運ぶトラックで間に合うから、路線バスが要らないかもってコト」
「じゃあ、力なき民は全然、住んでないんですね?」
「ここ二年余りで急増したなら、路線の選定、車輌の調達、運賃の決定などが協議中の可能性があります」
レノは、早合点をジョールチにやんわり修正され、頭を掻いた。
ホールマ漁協から、商店街前の【跳躍】許可地点まで、東に歩く道すがら目を凝らしてみたが、バス停の看板はひとつもなく、走行中のバスも見掛けなかった。
車道を走るのは、魚の絵が描かれた保冷トラックや、家畜運搬車、野菜の段ボールを満載した軽トラが多い。
時々、リャビーナ方面から乗用車が来た。普通なら、通勤の時間帯だが、乗用車の数は、ゼルノー市の同じ時間帯よりずっと少ない。
報道人と情報ゲリラの説明を頭に入れて見る街は、昨日とは全く別の場所に感じられた。




