1498.戦時下の選挙
スープが煮える頃、漁協の手伝いに行った四人が、トラックに戻った。
モーフの顔がいつになく暗い。
他の三人も、どこかぎこちなく、俯いた少年兵から目を逸らす。
……え? これ、何があったんだ?
聞き辛い雰囲気だ。レノは、ピナたちと視線を交わして黙々と配膳した。
微妙な空気の中、夕飯を始める。
「お兄ちゃん、東の商店街どうだった?」
「品揃えが凄く充実してて、安かったよ」
「地元の方々は、湖の民が多いようですが、お客さんはリャビーナ市などから車で来られる人も居て、半分程度が陸の民でした」
ジョールチが、大人たちに向かって付け足した。
ソルニャーク隊長が顔を顰める。
「星の標が侵入しても、不審に思われんな」
「えぇ。それもありますが、仮設住宅も含め、どの程度、陸の民の定住者が居るか、調べる必要がありそうです」
「陸の民のお客さん、地元の人も居るかもってコトですか?」
レノが聞くと、ジョールチは頷いて、スープの入ったマグカップを置いた。
「商店街で、市会議員選挙の投票日を告知するポスターをみつけました」
「えっ? あッ……すみません。全然、気付きませんでした」
「兄ちゃんはパン屋で、食いモンのプロだ。食いモンの値段と質に目ぇ光らすのに集中してもらった方が有難ぇ」
レノが顔を上げると、葬儀屋アゴーニは白い歯を見せてニカッと笑った。
「俺も、選挙云々のポスターにゃ気付かなかったぞ」
「候補者のものは見ましたが、投票日のお知らせには気付きませんでした」
パドールリクが、ジョールチを見る。
国営放送のアナウンサーは、選挙開始のニュース原稿を読み上げるような口調で言った。
「任期満了に伴うホールマ市市会議員選挙の投票日は、印暦二一九二年三月十日で、即日開票されます。既に届出期間が終わり、候補者が出揃った筈です」
「えぇッ? 戦争中なのに選挙するの?」
ティスが有り得ないと言いたげにジョールチを見る。
「この辺りは、空襲の被害がありませんでしたからね。中止する理由がないのですよ」
「通常なら、選挙公報の各戸配布が終わった頃だと思いますが……」
パドールリクが濁すと、DJレーフが難しい顔で言った。
「ここらは割と物資があるけど、全国的には足りないし、新聞もペラッペラだからな」
「最悪の場合、ラジオの政見放送のみか、選挙公報が出ても、内乱終結直後のように少部数で、役所での掲出のみの可能性があります」
ジョールチが暗い声を出すと、逸早く食べ終えたラゾールニクが、お茶の用意をしながら言った。
「じゃあ、明日、俺も役所とか見に行くよ」
「よろしくお願いします」
タブレット端末で撮影できる者が一緒なら心強い。
「アーテルの国政選挙は、投票率ダメダメだったみたいだけど、ホールマ市はどうかな?」
「選挙は平時でも、蓋を開けてみなければわかりませんからね」
ジョールチは、クルィーロの何気ない呟きにも律儀に答えて苦笑した。
「ごちそうさん。……もう寝る」
「えっ? モーフ君、お茶は?」
終始項垂れて黙々と食べたモーフが、空の食器を置いて席を立つ。
その背を薬師アウェッラーナの気遣う声が追ったが、モーフは無言で首を横に振ると、一人でトラックの荷台に入った。
動きを止めて見送ったメドヴェージが、スープの残りを掻き込んで、何とも言えない顔をする。
……メドヴェージさんがこんな顔するなんて、何があったんだ?
レノは、質問の言葉を探した。
「えっと、あの……」
「どこか具合でも悪いんですか?」
ピナが、モーフと一緒に漁協の水産加工場へ行った薬師に聞くと、アウェッラーナはアビエースを見た。老漁師は妹の視線を受け、荷台をチラリと見て、重い口を開く。
「店長さんたちが商店街へ行った後……」
レノたち四人が出た直後、水産加工場の従業員が通りかかった。シフトの交代で来たパート職員だと言う。
漁師のおかみさんたちは、物珍しさからか、トラック暮らしの一行にあれこれ話し掛けた。
アビエースがざっと事情を説明すると、ここに居る間だけでも雇ってもらえないか、工場長に掛け合うと言う。
やんわり断ったが、「遠慮しないで」云々と励まされた。
程なく、漁協の職員と先程のパート職員の一人が来て、五人までならパートで雇えると言う。
折角なので、アビエースとアウェッラーナの兄妹が行こうとすると、モーフも手伝うと言い出し、メドヴェージもついてきた。
仕事は、付近の漁村から納品された魚を干物とアラ煮の缶詰にする作業だ。
この辺りの水域は、鱗の硬い魚が多く、捌く前に鱗取りの工程がある。
実家が漁師の兄妹は捌く班、初心者の二人は鱗取りの班に入れられた。
アビエースが口を閉ざし、再び荷台を見遣る。
メドヴェージが老漁師と視線を交わし、続きを引き取った。
「初めてにしちゃ、調子よく行ってたんだ。おばちゃんたちに筋がいいって褒められたりしてよ」
トラックの運転手は、荷台を見て声を落とした。
「……けどよ、坊主が途中で便所行く時に足滑らしてな。アラ溜めてた樽ひっくり返して、まぁ、あれだ。弾みでな」
「工場の人たちは、後で水と塩分を抜いて、肥料にして農家に売るから、アラ煮にできなくても無駄にならないし、弁償は気にしなくていいって言ってくれたんですけど」
アウェッラーナの声も沈む。
葬儀屋アゴーニが片手で顔を覆い、声もなく天を仰いだ。
メドヴェージが小声で早口に語る。
「ハラワタ塗れンなった坊主は、ねーちゃんが丸洗いしてくれて、キレイさっぱりだし、ぶちまけたハラワタも回収できたんだが、まぁ、あれだ」
「怪我とか、大丈夫でしたか?」
「それは大丈夫。気にしないで明日も来てって言われたけど……」
ピナの質問に薬師アウェッラーナが即答する。
「しばらくそっとしておくしかあるまい」
ソルニャーク隊長が、溜め息と同時に言った。
☆アーテルの国政選挙は、投票率ダメダメ……「1162.足りない信任」「1164.信任者の実数」「1343.低調な投票率」~「1346.安定には遠く」参照
【参考】開戦前のネモラリスの投票率……「0950.みんなの責任」参照




