1497.ホールマ商圏
色々な立場の人たちから聞き取った情報をまとめると、どうやら、ネモラリス共和国の首都クレーヴェルは、クーデターを起こしたネミュス解放軍に掌握されたらしい。
レノは、呪医セプテントリオーとの別れ際、一緒にアミトスチグマ王国の難民キャンプについて行こうか、気持ちが揺らいだ。
以前より生活環境がよくなって、少し楽になったらしい。
正式な学校はないが、難民の中に居る先生や元教員、大学生などが、集会室で勉強を教えてくれる。
レノたちの調理や縫製の技術、バザーでの商売のコツは、重宝されるだろう。
首都の内部がどうなったかわからない不安はある。
それでも、やはり、クレーヴェルに行くと決めた。
……麻疹のワクチンの原料仕入れて、首都の製薬工場で作らせて、科学の医師団を結成して、ネモラリス島の北の田舎へ予防接種に行かせるって、中の状態が落ち着いてて、それなりに余裕がないとムリだよな?
それらを賄う資金が、どんな手段で調達されたか考え始めると、不安になる。
レノは、考えたところで、実際に見てみないことにはわからない件について、考えるのをやめた。
わからないのが不安の原因になるなら、行って確かめればいいのだ。
ピナとティスも、西へ進むのに反対しなかった。
呪医セプテントリオーは、難民キャンプの医療支援で抜けたが、情報ゲリラのラゾールニクは、もうしばらく一緒に居てくれると言う。
クルィーロと同じで、特定の学派の徽章を持たない。彼も日常生活の用をこなす【霊性の鳩】学派なのだろうが、魔法使いが一人増えれば、それだけでも心強い。
今朝、移動放送局プラエテルミッサの一行は、ウーガリ古道から湖岸沿いの国道へ降り、ホールマ市内に入った。
リャビーナ市よりずっと小さな街だが、防壁は厚く、見るからに堅牢だ。
「ホールマも、かなり古くからある街ですよ」
アナウンサーのジョールチが教えてくれたが、劣化を防ぐ術で守られた防壁は、新品と全く見分けがつかない。
老漁師アビエースが交渉し、ホールマ漁協の駐車場に停めさせてもらえた。
ジョールチとDJレーフは念の為、運び屋フィアールカから借りた【化粧】の首飾りで顔を誤魔化す。
相談の結果、最初の情報収集には、レノ、ジョールチ、アゴーニ、パドールリクの四人で行くことになった。
住民の大半が湖の民だと聞いたが、商店街は、様々な髪色の買物客で賑う。
……こっちにも、クーデターから逃げて来た人の仮設住宅とかあるのか?
魚屋は勿論、八百屋の店先にも、品物がたっぷりあった。
「南岸や西岸と違って、人口の急増による食糧難からの物価高騰は、なかったようですね」
パドールリクが、長い商店街の中程で、誰にともなく呟いた。
食料品店に限らず、あらゆる品物が潤沢にある。工業製品は、リャビーナ市と同じで、湖東地方からの輸入品が多かった。
「ここ、物資が足りてるから、物販しても売れなさそうですね」
「足りない所に持って行く方が喜ばれるし、ムリに投げ売りする必要はないよ」
レノが、我知らず声を落とすと、パドールリクが励ましてくれた。
ホールマ市の商店街には、「少量の商品に群がり、怒号が飛び交う人垣」など、ひとつもなかった。
クーデター直後の首都クレーヴェルや、避難民が大量に流入したレーチカ市、ギアツィント市などで、毎日のように目にした殺伐とした光景が、ここにはない。
どの店も、客と店主が少人数で、和やかに談笑しながら売買する。
物価は、開戦前がどうかわからない為、比較できないが、現在のリャビーナ市より二割くらい安かった。
商店街のそこかしこで、のんびり世間話をする人の輪がある。
女性五人組が、膨らんだ布袋を両手に提げ、晴れ晴れとした笑顔で歩く。
「小麦粉は、やっぱりこっちの方が安かったわね!」
「車出してもらえて、助かっちゃった。ありがとね」
「燃料はリャビーナが安いのね」
「ガソリン代、ホントに小麦粉とオリーブ油でいいの?」
「足りなかったら遠慮しないで言ってね」
「ウチも、子供の面倒みてもらったりとか、助けてもらってるし、お互い様よ」
「そんなコト言わないで! 後で清算するから!」
「そっか。車持ってるモンが、買出しに来てンだな」
葬儀屋アゴーニが、頻りに頷いて合点した。
レノたちは商店街の端まで行って折り返す。
住民は、湖の民の方が多いと言うのは、呪医セプテントリオーの記憶通りのようで、店主も従業員も、緑髪ばかりだ。
だが、買物客は、半分くらいが様々な髪色をした陸の民で、マフラーをしっかり巻いて、コートを着込んだ力なき民もそこそこ居る。
これでは星の標や、隠れキルクルス教徒が紛れ込んでも、わからないだろう。
ジョールチが何か言いたそうな顔をしたが、国営放送アナウンサーの彼がここで声を出せば、これまでとは別種の騒動になるかもしれない。
レノは、リャビーナ市内の駐車場で、夜明けの少し前に不審者が来た件を思い出し、気を引き締めた。
新鮮な冬キャベツとリンゴを買って、みんなの待つトラックに戻った。
漁協の駐車場は、漁村の卸売と鮮魚店の仕入れで、早朝には込むと聞いたが、今の時間帯はガラガラだ。
架空の運送会社に擬装した移動放送局のトラックと、これまた架空企業の社用車に化けたFMクレーヴェルのワゴン車以外は、職員の車が二台だけ停まる。
トラックの隣の区画に簡易テントと長机を置いて、ピナたちが、ラゾールニクと料理の準備中だ。
「ただいまー」
「おかえりー」
「キャベツ安かったぞ」
「えッ? スゴーい!」
「こんなおっきいの、久し振りに見た」
取敢えず三玉買ったが、どれも大人の頭くらいある。
「こんだけあったら色々作れるねー」
「なに作ろっかなー?」
「私、キャベツと干し肉のスープがいいなー」
ピナとティス、アマナが、キャベツを囲んで瞳を輝かせる。
ラゾールニクが、片手で持って重さを確め、何度も頷いた。
「坊主たち、どこ行ったんだ?」
アゴーニが荷台を覗いて首を捻る。中からDJレーフの声が答えた。
「干物作るの手伝いに漁協の工場へ行きましたよ」
「バイト?」
「工場のおばちゃんに声掛けられて、アビエースさんとアウェッラーナさんと、メドヴェージさんとモーフく……」
「干物? 坊主に作れンのか?」
「さぁ?」
トラックでも、薬師アウェッラーナと老漁師アビエースが魚を獲って、捌いて干物にしてくれるが、乾かす工程はいつも魔法だ。
メドヴェージはどうか知らないが、モーフはレノたちと出会うまで、魚を見たこともなかった。一緒に暮らすようになってからも、一度も魚を捌いたことがない。
レノもうっすら心配になった。
「えぇっ? 大丈夫なのか?」
「アビエースさんたちが一緒だし、大丈夫だろ」
荷台から降りて来たクルィーロに軽く言われ、何となく納得して夕飯の準備に加わった。




