1490.共同墓地の碑
新聞屋のワゴン車が、すっかり変わった東教区の街を南へ走る。
「無理を言ってごめんなさいね」
「お安いご用ですよ。近頃は求人情報やらなんやら目当てで、一棟単位で共同購読する仮設が増えましてね」
「あら、儲かってるのね?」
「商店街の連中が買えなくなった分の埋め合わせにゃ、まだ足りませんけどね。ちっと持ち直してきましたよ」
「そう。でも、よかったわ」
明るい兆しを話しながら向かう先は、リストヴァー自治区東教区の共同墓地だ。
クブルム山脈の山裾と住宅街の境にあり、人が訪れるのは、葬儀か、年に一度の合同慰霊祭の時くらいのものだ。
魔哮砲戦争の開戦前までは、弟のラクエウス議員と共に毎年、クフシーンカも参列した。
昨年も、冬の大火による犠牲者などの為に行われたが、クフシーンカは生き残った罹災者への支援事業で忙しく、初めて欠席してしまった。
「店長さん、ホントに一人で大丈夫ですか?」
「えぇ。今日は割と暖かいし、心配ないわ」
「じゃあ、あの、集金、すぐ戻りますんで」
新聞屋は、クフシーンカを墓地の門前で降ろすと、車を急発進させた。
クブルム山脈から吹き下りる風は冷たいが、空はよく晴れ、日向は暖かい。
クフシーンカはコートの前を合わせ、マフラーを巻き直して歩きだした。今まで全く気付かなかったが、杖を突く足下の敷石にも、山道と同じ【魔除け】が刻んである。
東教区の墓地には、個人所有の墓は一基もない。
魔物対策の為、遺体は併設の火葬場で、骨まで灰にする。
共同の慰霊碑は、地下に遺灰を納める空洞があり、誰も彼も、亡くなった順でここに眠る。
納灰所が「満員」になれば、新しい慰霊碑が建立される。
フリザンテーマが眠るのは、飾り気のない第三慰霊碑。最新の碑は第十一だ。
自治区として中央政府からあてがわれたこの地で、たった三十年の間にあまりにも多くの命が失われた。
親友のフリザンテーマは、七十歳になる前に亡くなった。
死因は恐らく、栄養失調だ。
クフシーンカは、会う度に食料品を袋に詰められるだけ詰めて持たせたが、彼女は自分で食べず、娘や孫にすべて与えてしまった。
「あなたも食べないと」
「私は大丈夫よ。お水だって、キレイなのを毎日たっぷり飲めるんだから」
フリザンテーマは、魔女であることを隠し、キルクルス教徒の夫と共にこの地へ来た。
クフシーンカは親友が自宅を訪れる度、うんと甘くて、持ち帰れないムースや、季節の果物をふんだんに使ったショートケーキなどを食べさせ、紅茶には砂糖と牛乳、ジャムをたっぷり入れて飲ませた。
だが、月に一度、来るか来ないかの彼女は、会う度に痩せてゆく。
彼女が身を削って守ろうとした孫たちは、祖母の後を追うように次々と命を落とした。
親友の一家は今、唯一人生き延びた孫娘のアミエーラを除いて、みんなここに眠る。そのアミエーラも、魔力があることがわかり、自治区を出て、遠く離れたアミトスチグマ王国に身を寄せる。
ここで眠る大勢の貧しい人々は、「ここで暮らせて幸せだった」と、胸を張って言えるだろうか。
貧苦に耐え、信仰に殉じる人生は、誰の為のものだったのだろう。
西教区には、個人所有の墓地がある。
そこも、ネミュス解放軍の侵攻後、すべての区画が売れてしまった。
団地地区と農村地区はの住民にはおカネがあり、食に事欠く心配はなかったが、ワクチンの不足で、何かの病気が流行る度に大勢が亡くなった。
魔獣に襲われる者は勿論、野菜泥棒と星の標の戦闘に巻き込まれる者や、穢れた力を持つ疑いを掛けられ、殺される者も後を絶たなかった。
農業指導者の一家は、自治区の人口増加に収穫が追い付かないことに加え、ある年の天候不順による不作の責任を問われ、暴徒化した西教区の住民に殺された。
おカネがあるだけでは、心の貧しさを埋め合わせるには足りないのだ。
……信仰心の篤い人が、ここへ移住した筈なのにね。
「店長さん、お待たせしました」
「あら、早かったのね」
「まぁ、何せ、一軒で一部しか取らねぇんで。寒かったでしょ。ささ、乗って下さい」
新聞屋は、ワゴン車を東教区の商店街へ走らせながら言う。
「寄付の鍋やなんやかんやが、店のみんなに行き渡ったでしょ」
「えぇ。まさか、中古であんな立派なのが届くなんて思わなかったけれど」
予想以上に新品同様の箱入りが多く、営業を再開できた飲食店だけでなく、開業準備中の者にまで行き渡った。
あの冬の大火で、住居兼店舗を失った店主にとっては、圧力鍋やフライパンひとつでも、貴重品だ。
学校で大人向けの料理教室をする件も、仮設工場を作る菓子屋たちの他、飲食店の店主も講師に加わり、思った以上に盛況だ。
実習で作った料理で一食浮くだけでなく、「腕に見込みのある者は、講師の食品工場や、飲食店で採用される可能性がある」との話が広まり、実技試験感覚の受講生も多い。
料理と言っても、東教区で手に入る食材には限りがある。
第一回を担当した菓子屋の夫婦は、小麦粉を水と塩で溶いて、油を引いたフライパンで焼いただけの「パン」とも呼べない代物を教えるしかなかったと嘆いた。
そんなものでも、東教区の住民は、生の小麦粉が食べられる形になったと無邪気に喜んだらしい。
第二回には、シーニー緑地で採った食用の野草を混ぜて焼いた。
菓子屋の夫婦はヤル気に火が点いて、段階を踏んで料理らしい料理を目指すと意気込む。
「ここのスープがおいしいって評判なんスよ」
新聞屋に案内されたのは、アシーナが手伝いをしたと嘘を吐いた定食屋だった。
☆冬の大火……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」「212.自治区の様子」~「214.老いた姉と弟」参照
☆罹災者への支援事業……「294.弱者救済事業」「372.前を向く人々」「373.行方不明の娘」「406.工場の向こう」「418.退院した少女」「419.次の救済事業」「420.道を清めよう」「442.未来に続く道」「453.役割それぞれ」「480.最終日の豪雨」「550.山道の出会い」参照
☆フリザンテーマは、魔女であることを隠し、キルクルス教徒の夫と共にこの地に来た……「0059.仕立屋の店長」「0090.恵まれた境遇」「0091.魔除けの護符」「554.信仰への疑問」「555.壊れない友情」参照 フリザンテーマ
☆ワクチンの不足で、何かの病気が流行る度に大勢が亡くなった……「1247.絶望的接種率」「1359.ワンマン経営」、ネモラリス共和国全体の接種状況「1202.無防備な大人」参照
☆農業指導者の一家は(中略)暴徒化した西教区の住民に殺された……「0046.人心が荒れる」参照
☆学校で大人向けの料理教室をする件……「1452.頭の痛い支払」~「1454.職場環境整備」参照
☆アシーナが手伝いをしたと嘘を吐いた定食屋……「0940.事後処理開始」参照




