1484.民心への干渉
バルバツム連邦には、アーテル共和国の存在を知る若者らが居る。
約三十年前に分離・独立したばかりの小国で、バルバツムが属するアルトン・ガザ大陸から遠く離れたチヌカルクル・ノチウ大陸に位置する為、大人でも知る者が少ない。
ポップカルチャー好きの若い世代は、瞬く星っ娘を通じて辺境の小国を知り、キルクルス教系慈善団体で活動する者は、異教徒に囲まれた辺境の地で信仰を守る国として知る。
バルバツム連邦をはじめとする共通語圏……キルクルス教文化圏と重なる国や地域でも、多少はこの魔哮砲戦争や、自国に関連するアーテル共和国の経済ニュースが報道される。
だが、その量はあまりにも少なく、アーテル政府やキルクルス教団などが、インターネットで一方的に発表した情報を裏取りもせず垂れ流す。
ファーキルが作ったサイト「旅の記録」でも、ラキュス湖南地方の歴史などを共通語訳して載せるが、バルバツム連邦など、アーテル共和国を支援する国からのアクセスは少なかった。
ファーキルが“真実を探す旅人”として運用するSNSのアカウントは、湖南語だけでなく、共通語でも情報発信するが、寄せられるコメントは、湖南語が圧倒的に多い。
別の同志が、真実を探す旅人をフォローするアカウントを全て調べてくれたが、現在地情報を湖南地方の国々に設定するものが大多数を占めると言う。
バルバツム連邦など、共通語圏のアカウントが反応する投稿は、平和の花束に関するものが殆どだ。
それら少数派を更に詳しく調べてもらったところ、瞬く星っ娘のファンクラブ会員か、アイドル歌手を広く浅く支持するアカウントだったと言う。
動画共有サイト「ユアキャスト」でも、公開当初は膨大なアクセスがあったが、今はその百分の一以下だ。
平和を呼掛ける歌は、難民支援などの寄附には繋がったが、実際に平和を取り戻す行動には到らなかった。
……今すぐ平和をどうのって活動じゃなくても、バルバツム人の信仰を揺さぶれたら。
インターネットの普及によって、誰でも情報発信できるようになった。
掲示板など匿名で使えるウェブサービスはたくさんある。それまで言えなかったコトも、ネット上の匿名の場でなら言える。
魔術関連のサイトは、両輪の国で星の数程も作られた。
その多くは、力ある民用の学習サイト、力なき民向けの便利な豆知識、魔術関連の法律情報、特定の学派を究める研究者向けの学会公式や大学公式、導師が運営するサイトなどだ。
様々な角度から魔術を説明するサイトは、どこの誰でも自由に閲覧できる。
ネットの普及率が上がるにつれ、何の説明もなく、星道の職人用の聖典を捲るだけの動画が、ユアキャストに何本も投稿されるようになった。
それと前後して、若年層を中心に教会への不信が広がり、礼拝の参列者が激減する。
きっかけは興味本位でも何でも、キルクルス教国で暮らす者の一部が、魔術の情報に接し、呪文と聖典の記述との一致に気付いたのだ。
キルクルス教国で生まれた力ある民も、何らかのきっかけで、自分が「穢れた力を持つ者」であると気付くことがあった。
彼らは、信仰で固められた母国の空気に圧し潰されそうになりながら、辛うじて身を潜めて暮らす。彼らが苦悩を吐露できるのは、広大な電脳空間で、匿名の一人になれた時だけだ。
その一部は、同じ境遇で悩み苦しむ者たちと縁が繋がり、ひとりではなかったと安堵を得る。
「キルクルス教徒の親が、穢れた力を持つとわかった我が子を殺した」との黒い噂も実しやかに流れる。
実際、ロークの婚約者の両親は、長男を事故に見せかけて殺害した。
バルバツム連邦にも、キルクルス教団に疑念を抱く人々が少なからず居る。
聖者への信仰が、揺らぎつつある人々をもう一押しすれば、どうなるのか。
「毎日大変ね。少しは休んだら?」
ファーキルは不意に声を掛けられ、弾かれたように隣を見た。いつの間に来たのか、お茶のワゴンを押すタイゲタが、パソコン部屋の入口に居る。
ファーキルは、ノックにも戸が開く音にも全く気付かなかった。
「休んだらその分、作業が溜まるからね」
「でも、アーテルの選挙って、延期になったんでしょ?」
「うん。その間にしておきたいコトや、調べたいコトが色々あって」
「何か手伝えるコト、ある?」
タイゲタは二人分の紅茶を淹れ、隣に腰を降ろすと、マグカップを差し出した。
ファーキルは、紅茶をマウスの脇に置いて、指折り数える。
「まず、アーテル領のあちこちで、銀鱗の虫魚を大量に召喚するのが何者か」
「ネモラリス憂撃隊の仕業じゃないの?」
「違うと思う」
きっぱり言うと、歌手の少女は眼鏡を掛け直して聞いた。
「え? 何で?」
「憂撃隊は、ルフス光跡教会を双頭狼で襲ってたから、もっと強い魔獣を召喚できるよ」
ネモラリス憂撃隊を名乗る前も、アクイロー基地襲撃作戦では、小柄な呪符職人が作った【召喚符】で、鱗蜘蛛や毛谷蛇などを異界から呼び寄せて放った。
恐らく、秋の連続爆破と同時に多数出現した魔獣や、ビルの屋上に術で固定されたモノもそうだろう。
大統領予備選では、投票所付近でかなりの有権者が食い散らかされた。
「じゃあ、ネモラリスの政府軍?」
「本物の軍隊が、わざわざ弱いの召喚するかな?」
銀鱗の虫魚は、小さい個体なら、踏み潰すだけで倒せる。
厄介なのは、数の多さと、死骸を速やかに焼却しなければ、他の魔物が涌く可能性があるコトだ。
「あー……そう言われてみれば、なんかヘンね」
「それで、現地に潜入した同志が集めた目撃情報とか、詳しく見てるんだ」
「ふ~ん……それ、私も手伝えそう?」
「歌の練習は?」
「今日はお休み。みんなはお買物とかで留守」
「行かないの?」
「うん」
「そっち、休日なのに俺の作業手伝ったら、休みじゃなくなるよ」
「私も気になるから……他に気になるコトは?」
「アーテルの有権者の動き」
「新聞の世論調査じゃダメなの?」
タイゲタが、ファーキルが使用中のパソコン画面に目を向ける。
同志が星光新聞アーテル版をスキャナで取り込んでPDF化したものだ。
「世論調査は、報道規制で偏向があるからね。アーテル政府が国内世論をどう誤魔化して、どこに誘導したいかってのの参考にはなるけど、ホントのコトはわかんないよ」
「でも、アーテル人みんなに聞いて回るなんてムリでしょ?」
「そうなんだけどね。数が集まれば、ある程度の傾向は見えてくるよ」
ファーキルは苦い思いで答えた。
アーテルの回線が健在なら、力なき民のファーキルでも、巷の声をある程度は、SNSなどから拾えるが、今は実際に現地まで行かなければ情報を得られない。
淹れたての紅茶を一口啜り、ホッと息を吐いた。
☆サイト「旅の記録」……「448.サイトの構築」参照
☆ラキュス湖南地方の歴史などを共通語訳して載せる……「421.顔のない一人」「426.歴史を伝える」「570.獅子身中の虫」参照
☆公開当初は膨大なアクセスがあった……「289.情報の共有化」「290.平和を謳う声」「291.歌を広める者」「306.止まらぬ情報」参照
☆平和を呼掛ける歌は、難民支援などの寄附には繋がった……「306.止まらぬ情報」「324.助けを求める」「325.情報を集める」「350.平和への活動」「378.この歌を作る」「402.情報インフラ」参照
☆星道の職人用の聖典を捲るだけの動画……「0982.番組の準備中」参照
☆若年層を中心に教会への不信/礼拝の参列者が激減……「431.統計が示す姿」~「433.知れ渡る矛盾」「568.別れの前夜に」参照
☆キルクルス教国で生まれた力ある民も(中略)匿名の一人になれた時だけだ……「812.SNSの反響」参照
☆黒い噂/ロークの婚約者の両親は、長男を事故に見せかけて殺害……「795.謎の覆面作家」参照
☆憂撃隊は、ルフス光跡教会を双頭狼で襲ってた……「1073.立ち止まろう」~「1077.涸れ果てた涙」参照
☆アクイロー基地襲撃作戦……「459.基地襲撃開始」~「465.管制室の戦い」参照
☆小柄な呪符職人が作った【召喚符】……「399.俄か弟子レノ」参照
☆秋の連続爆破と同時に多数出現した魔獣……「1290.工場街の調査」~「1292.修理できない」「1232.白い闇の中で」「1334.武官らの働き」「1341.何の為に働く」「1343.低調な投票率」~「1346.安定には遠く」参照
☆ビルの屋上に術で固定されたモノ……「1253.攻撃者の目的」「1304.もらえるもの」参照
☆投票所付近でかなりの有権者が食い散らかされた……「1344.投票所周辺で」「1345.当落要因分析」参照
※アーテルの世論調査の例……「803.行方不明事件」参照




