1483.出版社に依頼
クラウストラからの報告に目を通し、ファーキルは内心、小躍りした。
アーテル共和国の大統領選挙の投票日が、来週日曜から三カ月後の五月へ延期が決定したらしい。
投票日前、最後の週末演説会直後の発表で、各陣営は慌てふためいたが、アーテル中央選挙管理委員会の決定は覆らなかった。
ファーキルにとっては好都合だ。
早速、運び屋フィアールカにメールを送る。
〈お疲れ様です。
アーテル大統領選の投票日が、五月に延期されました。
衛星移動体通信システムの配備を進めて、電子投票するそうです。
それで、例の件、どうなりました?〉
フィアールカは、ラゾールニクが改善したファーキルの案を了承し、あれからすぐ動いてくれた。
〈お疲れ様。
デシウスの社長、かなり乗り気よ。
湖南語と共通語がわかる翻訳者を紹介して欲しいって頼まれたわ〉
株式会社デシウスは、バルバツム連邦に本社を置く娯楽産業の企業だ。
三十年あまり前にゲームセンター経営から出発した。インターネットが一般に普及する頃には、ブラウザゲームの制作部門を起ち上げ、ゲーム制作にも進出する。
プレイヤーらが、漫画やシナリオ形式、あるいは小説などでプレイ日記を自主制作し、個人運営のサイトやブログなどで公開。同人誌即売会では一大ジャンルを形成した。
株式会社デシウスは、ランキングサイトなどからそれらの人気に着目する。自主制作漫画の作者に接触して原稿を集め、中堅の出版社から公式漫画アンソロジーを刊行。ブラウザゲームの攻略本は、先に同じ出版社から出した為、相乗効果で一山当てた。
現在は、タブレット端末の普及に合わせ、ゲームアプリの開発、運営などに精を出す。
運び屋フィアールカとは十年以上前、ゲームで使用する魔法設定の資料集めで縁ができ、社長とは今も懇意なのだと言う。
〈協力は惜しまないと思うわ〉
〈どうしてゲームの会社が……?〉
〈平和でないとゲームを楽しむ余裕なんてないでしょ。
教会の顔色を窺いながら作るの窮屈って言ってたし、自社の利益にもなるし〉
〈あ、そっか。ありがとうございますってお伝え下さい〉
〈前から自前の出版部門が欲しかったらしくて、社長も喜んでたわ。
踏ん切りがついてよかったって〉
株式会社デシウスは、運び屋フィアールカが話を持ち掛けてすぐ、グロッスス文庫株式会社の買収に動く。
バルバツム連邦の弱小出版社は、長引く不況で風前の灯。買収話に一も二もなく飛びついた。
株式会社デシウスに合併され、グロッスス文庫株式会社は消滅するが、全従業員の雇用継続、「グロッスス文庫」のレーベル存続と、複数抱えるシリーズ物を完結まで出版することで、合意が成立したと言う。
〈新規の出版は、事業が軌道に乗るまでの間、電子書籍で様子見よ。
電子でアタリが出れば、紙も出版する可能性があるけど〉
〈共通語圏で出版してもらえるなら、どっちでも有難いです〉
〈今、版元のデカーヌス書店と交渉中。
ラニスタ支社の返信を見た限り、好感触だそうよ〉
デカーヌス書店株式会社は、アーテル共和国最大手の出版社だ。
半世紀の内乱前、ラキュス・ラクリマリス共和国が神々の祝日を廃止した年に設立された老舗でもある。
キルクルス教関連の宗教書出版から出発し、半世紀の内乱時代は、政治色のある書籍も多数手掛けた。
各地で個人商店の焼討ちが横行する頃、原稿と既刊の在庫を焼失から守る為、隣国のラニスタに倉庫を設置した。
内乱の激化によって国内での出版が難しくなったが、倉庫をラニスタ支社に変えて出版を継続。文芸書や思想書の出版を通じ、アーテル党を支援した。
和平成立後、キルクルス教を国教と定めて独立したアーテル共和国内で、一気に事業を拡大する。
アーテル共和国は、キルクルス教団や信仰を同じくする国家からの支援、世界中の信徒らから寄せられた義捐金で、急速に復興しつつ経済成長を遂げた。
その波に乗り、絵本や漫画など子供向けのものから、神学書、法律書などの専門書、小説などの文芸書、共通語などの語学関連書籍、料理や手芸などの実用書、趣味の旅行案内など、手広く出版するが、いずれもキルクルス教色が濃い。
〈今は、本社と作者から、バルバツム連邦での電子書籍出版の許諾待ち。
デカーヌス書店にとっても、渡りに船なんじゃないかしらね?〉
〈湖底ケーブルの切断で、アーテル国内では売れなくなったからですね。
じゃあ、断られる心配って、全然なさそうですか?〉
〈うーん……利鞘を何割にするか……とかのおカネ関係。
作者が、教団本部や共通語圏で叩かれるのを恐れて断るセンも考えられるわ〉
〈作者……アーテルでも結構、評価が分かれてますよね?〉
〈キルクルス教の本場で否定されるのは、また別かもよ?〉
〈そう言うモンなのかな? でも、こっちでどうこうできるコトじゃないし〉
〈そうね。作者がどこの誰かもわかんないんじゃ、手の打ちようがないわね〉
アーテルの若者に人気の「冒険者カクタケア」シリーズの作者は、筆名のアル・ファルド以外、一切が不明の覆面作家だ。
ファンフォーラムやSNSでは、正体について様々な憶測が飛び交う。
〈今の段階から、翻訳者に声掛けるんですか?〉
〈出版、大統領選の投票前の方がいいんでしょ? それも、なるべく早く〉
〈そりゃ、早ければ早いに越したコトありませんけど〉
万が一、版元か著作権者に断られ、カクタケアシリーズの翻訳出版の件が白紙撤回されると、予定を空けてくれた翻訳家の迷惑になるのではないかと気になった。
〈デシウス側は、第一弾として、無料サイト公開分だけで様子見したいそうよ〉
無料の小説投稿サイトに掲載されたのは、本編第三話までと外伝の最新話で、文庫本四冊分になる。
アーテルに繋がる湖底ケーブルが切断された為、小説サイトは閲覧できないが、出版社には原稿データが保管してあるだろう。最悪の場合、販売中の紙の本からでも翻訳できる。
〈フィアールカさん、もう翻訳家の人に声掛けたんですか?〉
〈これからよ。リストヴァー自治区の学生さんに頼むつもり。
バイト代は私が出すから、先に進めてもらうわ〉
〈じゃあ、もう読んでるから、早いでしょうね〉
〈校正に手間取るでしょうから、早めに手を打っとかないとね〉
ファーキルはお礼の言葉を送って、運び屋フィアールカとの通信を終え、報告書に画面を切替えた。




