1482.難民への謗り
「今日は、ウーガリ古道の近くで採れた素材を売りに来たんです」
「お疲れ様です」
王都西神殿の神官が、薬師アウェッラーナを労う。
「それから今日と明日、二日掛けてなるべくたくさんの神殿にお参りして、新聞とかを買って帰る予定なんですけど、アミトスチグマで何かあったんですか?」
緑髪の薬師アウェッラーナが答えると、湖の女神に仕える同族の神官は、小さく首を振った。
「アミトスチグマの街にも、身内や知り合いを頼って渡ったネモラリス人が居るのですよね?」
「直接会ったコトはないんですけど、報告書には書いてありました」
ラクリマリスの神官たちが、運び屋フィアールカから、報告書をどこまで開示されたかわからないが、アウェッラーナは正直に答えた。
「あちらの慈善団体の方々がお困りだとの記述は、拝読しました。実は、こちらでも似たような状況なのですよ」
「難民キャンプ行き希望の人は、もうみなさん、アミトスチグマに渡れたんですか?」
返事に困ったアウェッラーナに代わって、兄のアビエースが聞く。
「はい。神殿や宿にお泊りの方々は、みなさん、先週の便で」
「それなら、少し安心ですね」
ピナティフィダがにっこり笑う。
女神の神官は、更に声を潜めた。
「難民キャンプの住居や食糧生産、医療体制が整ってきたとの記事が、湖南経済新聞に度々載るのですが、ご存知ですか?」
「いえ……新聞、時々しか買えないんです」
ピナティフィダが肩を落とす。
「それ自体は、少しでも暮らしやすくなって、喜ばしいのですが……」
神官は緑色の眉を下げ、奥歯に物が挟まったように言い澱んだ。
「何か……あったんですか?」
ピナティフィダが、不安を抑えきれない声で聞く。
神官は、苦い顔で僅かに顎を引いた。
「身内などを頼って、王国内に留まる方々への風当たりがキツくなったのです」
「あッ……あぁ……」
様々な感情が入り混じり、四人の口から言葉にならない声が漏れた。
「ラクリマリスの臣民すべてが、ネモラリス難民を謗るワケではありません。しかし、何せ、彼らは、巷でもインターネットでも、声が大きいので、それに流される臣民が増えつつあるのです」
「でも確か、ラクリマリスの法律では、王国民に親戚が居る力ある民は帰化……国籍を移せるんですよね?」
「よくご存知ですね。制度上はそうです。しかし……」
アウェッラーナが聞くと、神官は暗い声で肯定し、再び言い澱む。
アウェッラーナは、報告書の記述に宿屋の主人と渡守の愚痴があったのを思い出した。
難民が長逗留で客室を塞ぎ、宿の収入が落ち込んだ。
戦争当事国に挟まれた地理的条件、湖上封鎖と腥風樹の被害が重なって、ラクリマリス王国の観光業界は大打撃を蒙った。
宿賃を払えるか微妙なネモラリス人のせいばかりではないが、目の前のわかりやすい問題が気になるのが、人情と言うものだ。
パドールリクが以前、薬師アウェッラーナと共にアミトスチグマ王国の公共職業安定所で情報収集した件を話す。
「アミトスチグマでは、力なき民を中心に『難民に仕事を奪われる』と反感を抱く人が居ますが、その類のことでしょうか?」
「残念ながら、我が国でも同様……いえ、アミトスチグマより力なき民が少ないので、彼らでもできる仕事自体が元々少なく、戦争による景気の悪化で少ない枠の奪い合いになって、更に憎しみを募らせる臣民も居るのですよ」
「それで、フィアールカさんがアミトスチグマ政府の対策を掴んでないか、知りたいんですね」
兄アビエースが確認すると、神官は溜め息と共に深く頷いた。
……アミトスチグマ政府が対策したら、あっちの公式サイトや広報誌、それに湖南経済新聞とかにも載るから……ないんでしょうね。
役所が何か手を打って、効果が上がったなら、民間の支援団体が困る事態にはならないだろう。
猫を多頭飼いする際の注意点が、薬師アウェッラーナの脳裡を過った。
新しく猫を迎え入れる場合、感染症対策として、予防接種が済むまで別室に隔離し、トイレや食器も別に用意する。飼い主や先住猫の匂いを付けたタオルなどを新参猫の寝床に敷き、同居者を認識させる。
予防接種後、今度は新参猫の匂いを付けたタオルなどを先住猫が居る部屋に置き、新入りの匂いを教える。
一日か二日様子を見た後、柵越しに一頭ずつ対面させて相性を見る。
先住猫が、敵対的な態度を示さなかった場合は、たっぷり褒める。拒絶の意思表示をした場合は、決して叱らず、引き続き匂い付きタオルなどを置いて、間接的に新入りの存在に慣れさせる。
新参猫も、新しい環境に慣れるまでは、隔離を続ける。
ある程度、お互いの存在に慣れた段階で、新参猫に自由行動させる。
その際、先住猫を殊更に可愛がり、新入りを構い過ぎぬよう注意する。
先住猫が嫉妬やストレスで、粗相、摂食障害、過度な毛繕いによる皮膚障害、新入りへの攻撃など、問題行動を起こす可能性がある為だ。
……人間にそのまま当て嵌めるのはどうかと思うけど、似たようなモノよね。
自国の貧困層を差し置いて、戦争で流入した難民を手厚く保護すれば、反発する者が現れるのは、当然の成り行きだ。
難民保護の費用が税金で賄われるとなれば、猶更だろう。
「神殿でも、打てる手は全て打ったのですが、なかなか……」
「お力になれなくてすみません」
「何かありましたら、フィアールカさんにお伝えしますね」
「よろしくお願いします」
リストヴァー自治区の小麦粉と、アミトスチグマ王国で集めた中古の調理器具を交換する件は、結果がどうなるかわからない為、言わずに別れた。
☆アミトスチグマの街にも、身内や知り合いを頼って渡ったネモラリス人が居る……「1185.変わる失業率」「1283.網から漏れる」「1378.成すべきこと」「1424.歌ってみた者」参照
☆アミトスチグマの慈善団体の方々がお困り……「1282.支援の報告会」「1283.網から漏れる」「1306.自助の増強を」参照
☆ラクリマリスの法律では、王国民に親戚が居る力ある民は帰化……「229.待つ身の辛さ」「271.長期的な計画」「596.安否を確める」参照
☆宿屋の主人と渡守の愚痴……「1145.難民ニュース」参照
☆アミトスチグマ王国の公共職業安定所で情報収集した件……「1186.難民支援窓口」「1187.紛れ込む犯罪」参照




