1481.王都の難民は
薬師アウェッラーナの予想通り、ラクリマリス王国の薬素材の店では、高く買ってもらえた。
ウーガリ古道付近で採った樹皮など、これだけでは使えない素材でも、平和で物資が豊富な場所なら、取引がすんなりゆく。
薬師アウェッラーナは、対価として受取った他の薬素材や【魔力の水晶】を鞄に詰め、複雑な思いで店を出た。
「お待たせしました」
明るい声と表情を作って同行者と歩きだす。
アビエースは、妹の作り笑いに気付いたようだが、何も言わなかった。
パドールリクとピナティフィダは、クルィーロから預かったタブレット端末で、地図を確認するのに忙しい。
数少ない来訪の記憶と、王都のそこかしこにある巡礼者向けの案内板、操作が覚束ない端末の地図を頼りに神殿を巡る。
最初に足を運んだのは、湖の女神パニセア・ユニ・フローラを祀る西神殿だ。
ランテルナ島脱出後、移動販売店プラエテルミッサのみんなで参拝したのが、遠い昔のようだ。
この神殿で、初対面の参拝者たちが、アミエーラと大伯母カリンドゥラが会えるよう、動いてくれた。カリンドゥラが有名な歌手でなかったら、アミエーラが大伯母と似ていなければ、参拝者が歌手ニプトラ・ネウマエのファンでなかったら、出会えなかっただろう。
同じ神殿で、レノ店長は常連客の高校生と再会できた。
彼はロークの友人でもある。
アウェッラーナは、世の中にこんな偶然があるものなのかと人の縁の不思議に驚いた。
カリンドゥラは、歌手ニプトラ・ネウマエとして、この王都ラクリマリスを活動拠点に慈善コンサートを行う。
アミエーラも、アミトスチグマ王国で難民キャンプの支援や、慈善コンサートの活動を続ける。
ロークは、ネモラリスの首都クレーヴェルの帰還難民センターで父と再会した。父と共にレーチカ市へ行ったが、隠れキルクルス教徒の支援によって、アーテル共和国の首都ルフスに渡り、神学校に入学した。
色々あってランテルナ島に渡り、今は地下街チェルノクニージニクの呪符屋でアルバイトをして生計を立てつつ、運び屋フィアールカらの指示で情報収集を行う。
かつての仲間と離れても、アミトスチグマ王国に渡ったファーキルがまとめてくれる報告書を通じて、元気なのがわかるのも、何とも不思議な気持ちになる。
今の西神殿には、ネモラリス人の難民も、腥風樹から逃れたネーニア島南部のラクリマリス人も居ない。ラクリマリス軍が腥風樹の駆除を終え、ラクリマリス人はみんな地元へ帰れたのだ。
薬師アウェッラーナは、参拝者に目を凝らしたが、ネモラリス難民らしき、疲れた人の姿はなかった。
窓から集会室を覗いてみたが、会議用の長机とパイプ椅子が整然と並ぶだけで、誰も居ない。寝具代わりの段ボールも、辛うじて持ち出せた身の回りの品も、何もなかった。
「ネモラリス難民の移送、ほぼ完了したそうですね」
アウェッラーナは、パドールリクに言われ、以前読んだ報告書を思い出した。
「どうしようか迷ってた人たちも、結局、難民キャンプに行くって決めたんですね」
あの呪符屋の一家は、難民キャンプに関するよくない噂を懸念して、この集会所に留まった。自らの意思で難民輸送船に乗ったならいいが、ラクリマリス政府やフラクシヌス教団の都合で追い出されたなら、遣る瀬ない。
……でも、二年近くも保護してくれてたし、文句いっちゃいけないわよね。
アーテル・ラニスタ連合軍の爆撃を防ぐ為、ラクリマリス王国は湖上封鎖を敷いた。王家の使い魔は、ラキュス湖に棲む魔物でこの世の肉体を持たない為、科学の軍しかない両軍には、対抗できない。
王家の使い魔は、周辺国の商船の航行も同様に妨げ、迂回分の運賃や【跳躍】の人件費と【無尽袋】代が上乗せされ、物価が軒並み上がった。
また、【無尽袋】の需要が急増し、品薄と価格の高騰も招いた。現在、品薄は解消されつつあるが、価格は高止まりが続く。
……ラクリマリス軍が、魔哮砲は兵器化された魔法生物だって発表したから、居辛くなって当然だと思うけど。
半世紀の内乱後、分離独立して以来、ネモラリス共和国とアーテル共和国は、国交が一切なかった。
何の前触れもなく、宣戦布告と同時に無差別絨緞爆撃を敢行され、ネモラリス難民は「一方的に理不尽な攻撃に晒された被害者」として、手厚い保護と支援を受けられた。
発表後は、民主主義国家であるが故、ラクリマリス王国民から、厳しい目を向けられるようになったであろうことは、想像に難くない。
……ん? じゃあ、アーテル人も?
アーテル共和国の国政選挙と、大統領予備選の投票率と結果を見た限り、戦争を推し進める現政権を支持する国民は少なそうだ。
政府ではなく、国民ひとりひとりとなら、話し合いの余地がありそうだ。
だが、アーテルでは、星の標が堂々と活動する。
報告書には、アミエーラたちから聞き取ったリストヴァー自治区の様子を記した箇所があった。
アーテルでも同様なら、星の標の目が届く場所で、平和について……特にネモラリスとの共存については、話せないだろう。
四人は、順路に従い、神殿の奥へ進んだ。
祈りと魔力を籠めた【魔力の水晶】を捧げ、平和を望む人々との縁を祈る。
「新聞は一箇所で一紙だけ買って、なるべくたくさんお店を回るんでしたね」
ピナティフィダが大人たちに確認する。
「そうだね。物価や品揃え、お客さんの様子、それと噂話とかもなるべくメモするように頑張ろう」
「それから、通行人の様子も……でしたっけ? お兄ちゃんたち、こんな大変なコトしてたんですね」
パドールリクの答えに頷いて、ピナティフィダが物珍しげに神殿前の水路をゆく舟客を見遣る。
「あっ……お久し振りです」
「あぁ、薬師さん。お久し振りです」
アウェッラーナが会釈すると、運び屋フィアールカの伝手で知り合った神官は、明るい顔で小走りして来た。
「お陰様でご縁が繋がって兄と再会できました」
「おめでとうございます。水の縁が幸いと結ばれますように」
「今日は来ていませんが、あの時、一緒にいた子も、こちらのお父さんと再会できたんです」
初対面の兄アビエースが軽く頭を下げ、パドールリクが礼を述べる。
「子供たちが大変お世話になりましたそうで、ありがとうございました」
「こちらこそ、フィアールカ神官によろしくお伝え下さい」
神官は型通りに返して声を潜めた。
「今日はフィアールカ神官から、何かアミトスチグマの情報を?」
アウェッラーナは何故、そんなコトを聞かれるのか気になったが、取敢えず今日の予定を答えた。
☆ウーガリ古道付近で採った樹皮など……「1446.旧街道で待つ」参照
☆ランテルナ島脱出後、移動販売店プラエテルミッサのみんなで参拝した……「539.王都の暮らし」「542.ふたつの宗教」参照
☆参拝者たちが、アミエーラと大伯母カリンドゥラが会えるよう、動いてくれた……「540.そっくりさん」「541.女神への祈り」「543.縁を願う祈り」参照
☆レノ店長は常連客の高校生と再会/彼はロークの友人……「543.縁を願う祈り」「544.懐かしい友人」参照
☆腥風樹から逃れたネーニア島南部のラクリマリス人……「489.歌い方の違い」「490.避難の呼掛け」「544.懐かしい友人」参照
☆ラクリマリス軍が腥風樹の駆除を終え、ラクリマリス人はみんな地元へ帰れた……「1032.王国側の反応」参照
☆以前読んだ報告書……「1272.買物で助ける」参照
☆どうしようか迷ってた人たち/あの呪符屋の一家……「737.キャンプの噂」参照
☆ラクリマリス軍が、魔哮砲は兵器化された魔法生物だって発表した……「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」「788.あの日の歌声」参照
☆アーテル共和国の国政選挙……「868.廃屋で留守番」「1156.掴ませる情報」「1157.国会に届く歌」参照
☆大統領予備選の投票率と結果……「1164.信任者の実数」「1344.投票所周辺で」~「1346.安定には遠く」参照
☆アミエーラたちから聞き取ったリストヴァー自治区の様子……「858.正しい教えを」~「861.動かぬ証拠群」参照




