1480.寄付品の理由
ネモラリス陸軍が今になって何故、イーニー大使を通じて、アミトスチグマ王国へ亡命した「リストヴァー自治区選出の国会議員」に対して、間諜の存在を明かしたのか。
ラクエウス議員は、アル・ジャディ将軍の真意を量りかねた。
イーニー大使は説明を続ける。
「間諜は、SNSを始めてからも、インターネット上では信仰について触れません。飽くまでも趣味の模型作りを通して、共通語圏の人々と交流を続けます。このように時折、星界の使者による広報を何も言わずに拡散する程度です」
星界の使者の活動では、幹部とまではゆかないが、リゴル代表に近付く機会がある立場に到る。
湖南語話者として、湖南経済新聞、星光新聞アーテル版やラニスタ版の翻訳を行い、リゴル代表の情報収集に協力する。
また、湖南地方の国々での取引は、キルクルス教国であるアーテル共和国とラニスタ共和国を除き、物々交換が主流だと教えた。
リゴル代表は、間諜に与えられた情報を基に食糧兼交換品として、リストヴァー自治区に大量の小麦粉を送ったのだ。
リストヴァー自治区には、力なき民のキルクルス教徒だけが暮らす。リゴル代表は、空襲後も自治区に人が居るなら、当然、周辺諸都市にも人が居るだろうと判断した。
インターネットだけでは、リストヴァー自治区の詳しい状況がわからない。
だが、ネモラリス共和国は、アーテル共和国と戦争中だ。フラクシヌス教徒の過激派組織ネミュス解放軍による自治区襲撃もあった。
そんな状況では到底、現地調査ができない。
小麦粉ならば、自治区民が食べられる。
他に何か不足する物資があれば、周辺都市の魔法使いと物々交換の取引にも使えるとの配慮で、大量に送ったのだ。
「それではリゴル代表は、自治区に台所のない家が多く、大火でパン工場と食品倉庫が焼失して加工も保管もままならず、小麦粉だけ送られてもどうにもできない件も、立入制限で周辺都市から人が殆ど居なくなった件も、何もご存知なかったのですな」
「そのようです。そこで先生から、私にもう少し、自治区の状況をお知らせいただけましたらと思うのですが」
イーニー大使が、ラクエウス議員を上目遣いに見る。
「大使閣下には、同志から得た情報を包み隠さずお伝えしておりますが、儂も、地元に戻って直接、現状を確認できるワケではありませんのでな」
「軍がクブルム街道を巡回するようになり、行き来が難しくなったのでしたね」
イーニー大使は肩を落とした。駐在武官から自治区の情報収集を頼まれたのであろう。
「小麦粉が送られた理由はわかりましたが、その次に来た大量の食器は、何故ですかな? 大半が割れておったと聞きましたが」
「それは、食器を送るのが目的ではなかったからです」
イーニー大使は、困惑気味に説明した。
間諜が得た情報によると、バルバツム連邦でも、ネモラリス政府が報道規制を敷き、言論統制を行うと繰り返し報道される。
最近、リストヴァー自治区の区長や、大聖堂から派遣されたフェレトルム司祭から、大聖堂や他のボランティア団体への連絡が途絶えた。
アーテル共和国の通信回線は物理的に切れたが、ラクリマリス王国の回線は無事で、クブルム街道で電波を拾うのは、問題なくできる筈だ。
何があったか不明だが、リゴル代表は、リストヴァー自治区の住民が外部情報を得られなくなったと思い、検閲に引っ掛からず情報を届けられる手段がないか、知恵を絞った。
キルクルス教徒ならば、共通語の読み書き会話ができて当然と考え、食器の梱包材にバルバツム連邦版の星光新聞を使おうと思い付く。
新聞をそのまま送ったのでは、検閲に引っ掛かるだろうが、梱包材ならば、モノが古新聞でも見過ごされると踏んだのだ。
星界の使者は、直近一カ月分の新聞と、不要な食器を募り、取り急ぎ送った。
食器は、割れずに届けば、それに越したことはないが、第一の目的ではない。
キルクルス教団や、バルバツム連邦の財界の動きを伝えるのが、主な目的だ。
……意図を酌めたワケではないが、結果的に姉さんと学生さんたちの翻訳は、リゴル代表の狙い通りであったか。
「成程。しかし、貧しさ故に満足に通学できず、湖南語の読み書きも覚束ない住民も多いですからな。焚きつけにされたやも知れません」
ひとまず、自治区で梱包材の翻訳作業中である件は伏せる。
「それも、リゴル氏の見込み違いと言うコトですね」
「仮に意図が伝わったとしても、教団はともかく、そんな遠くの財界の動きを伝えて、なんとするつもりですやら」
「ラキュス地方企業団地合同委員会の件です。アーテルでは、ルフス工業団地計画として動いていたようですが、ラクエウス先生はご存知でしょうか?」
「うむ。同志が、その件が立ち消えになりそうだとのニュースを見ておりましたが……」
「リゴル氏が代表取締役を務めるリゴルネット株式会社も、進出予定なのです」
「それは初耳です。何の事業をするつもりかも、おわかりですかな?」
ラクエウス議員は、本当に驚いた。
「インターネット通販の物流拠点を作る計画があるようです。アーテルの首都ルフスで、用地買収の交渉中でしたが、湖底ケーブルの切断で中断しました」
「回線が復旧すれば、再開するつもりでしょうな?」
「星光新聞バルバツム連邦版によると、そのようです。更に……」
イーニー大使は、額に青筋を浮かべたが、抑えた声で説明を続けた。
記事によると、リゴル社長は、リストヴァー自治区にも物流拠点を置くと言う。
ネモラリス共和国がインターネットを導入した場合、或いは、リストヴァー自治区がアーテル領に併合、または、国家として独立した場合を想定する。
いずれにせよ、キルクルス教徒の雇用を創出し、経済的な復興支援を行いたいと希望を述べたとあった。
「見出しを教えていただいても……よろしいですかな?」
イーニー大使が頷いて、端末に記事のスクリーンショットを表示させた。
……ファーキル君たちが既に記録した可能性もあるが。
ラクエウス議員は、日付と見出しを手帳に控えて聞く。
「ありがとうございます。では、キルクルス教団が、和平交渉を行うよう、アーテルに圧力を掛ける可能性がある……と?」
「流石、先生。しかし、現在、その方面は調査中なのだそうです」
「一般信者には、まず伝わらんでしょうが……一体どのように?」
「残念ながら、私も、陸軍が植えた間諜がどのように情報を得るか、知らされておりません」
「あぁ、失礼しました。流石にその辺りは軍事機密でしょうからな」
ラクエウス議員側からは、アミトスチグマ王国の慈善団体「みんなの食堂」が、正規の経路でリストヴァー自治区に調理器具を送った件を伝える。
……これからは、この情報が陸軍に筒抜けになるのだな。
支援者マリャーナ宅へ戻る議員の足取りは重かった。
☆リストヴァー自治区に大量の小麦粉を送った……「1358.積まれる善意」~「1360.多くの離反者」参照
☆ネミュス解放軍による自治区襲撃……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」「916.解放軍の将軍」~「918.主戦場の被害」参照
☆軍がクブルム街道を巡回するようになり、行き来が難しくなった……「1287.医師団の派遣」「1326.街道の警備兵」「1395.対価が不可欠」参照
☆その次に来た大量の食器……「1358.積まれる善意」参照
☆クブルム街道で電波を拾う
区長……「505.三十年の隔絶」「562.遠回りな連絡」「630.外部との連絡」「0938.彼らの目論見」参照
フェレトルム司祭……「1079.街道での司祭」「1080.街道の休憩所」「1107.伝わった事件」街道に登り難い「1451.台所を作ろう」参照
☆アーテル共和国の通信回線は物理的に切れた……「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」参照
☆姉さんと学生さんたちの翻訳……「1394.得られた情報」参照
☆ラキュス地方企業団地合同委員会……「1147.動き出す歯車」「1152.大統領の演説」「1225.ラジオの情報」「1234.長期化を予想」「1235.水を穢した者」「1260.配布する真実」「1262.沈みゆく泥船」「1318.連邦での反応」参照
☆アーテルでは、ルフス工業団地計画……「0966.中心街で調査」「0967.市役所の地下」「1022.選挙への影響」~「1024.ロークの情報」「1027.工業団地計画」~「1029.分断の阻止へ」「1147.動き出す歯車」参照
☆その件が立ち消えになりそうだとのニュース……「1262.沈みゆく泥船」「1318.連邦での反応」参照
☆リゴルネット株式会社……「1359.ワンマン経営」「1374.厄介な寄付品」参照
☆「みんなの食堂」が、正規の経路でリストヴァー自治区に調理器具を送った件……「1450.置かれた手紙」「1452.頭の痛い支払」参照




