0152.空襲後の地図
薬師はやさしく微笑み、ページを開きながら工員に近付く。
「呪文自体はとても簡単です。すぐ覚えられますよ」
クルィーロは手帳を受け取り、呪文に目を通した。【浮遊落下】に似ている。魔力の乗せ方も、似たような感じでいいのだろう。
「私も、あっちで少し試してみたんですけど、簡単でしたよ」
その言葉にホッとする。
アウェッラーナはみんなを見回して言った。
「この術、掛けるの自体は楽なんですけど、軽くなった物を動かすのは、ちょっと難しいみたいで……」
「予想以上に軽くなり、勢い余って宙に浮かせてしまった」
ソルニャーク隊長が、苦笑交じりに説明を代わる。
みんなが注目すると、表情を引き締めて続けた。
「術の効果は一分だそうだ。下手をすると、重さが戻った瓦礫の下敷きになりかねん」
同行した地元民のロークが、その傍らで何度も頷く。
クルィーロは状況を想像してみた。
……効果時間が短いから、急いでやろうとして勢い余ったってとこか。
クルィーロは、車道を塞ぐコンクリ塊に視線を移した。
落ち着いて、しっかり掴んで、速やかに移動して、離れる。それなら、危険はないような気がした。
……下敷きにならないように……二人で左右に分かれて持って、せーので投げ捨てる感じか?
「今日はもう日が暮れるし、晩メシにしよう」
レノの一言で、放送局のロビーに入った。
数日ぶりの焼魚を口いっぱいに頬張り、少年兵モーフが嬉しそうに笑う。
……魚が好きなのか。
クルィーロは、隊長を質問攻めにする少年兵をぼんやり眺めた。
ソルニャーク隊長は、他のみんなにも聞こえるように、やや声を大きくしてきちんと答える。ひとつ答えれば、それに対してふたつみっつ質問が飛び出した。
トラック運転手のメドヴェージが、そんな少年兵を穏やかな目で見守る。
……「おっさん」って言ってたけど、親戚にしちゃよそよそしいし、全然似てないし……?
夕飯の後片付けを終える頃にはすっかり日が落ちた。
慣れない力仕事で疲れたらしく、アマナがうとうとし始める。
クルィーロは先に妹を寝かしつけ、そっと寝床を抜け出した。
他は寝息を立てるが、薬師アウェッラーナ、ソルニャーク隊長、地元民のロークは起きて何か書き物をする。
そっと覗くと、三人が書くのはこの辺りの地図だった。
記憶頼みのあやふやな図だが、ないよりはマシだ。ニュース原稿やラジオの報道から状況も書き込んである。
ゼルノー市東部の湖岸三区とリストヴァー自治区東部は、空襲以前に焼失した。セリェブロー区全域とゾーラタ区の北西部は直接見た限り、空襲で焦土と化した。避難所情報が全くないマスリーナ市とクルブニーカ市も同様だろう。
通行可能な道は、セリェブロー区の警察署前からゾーラタ区のオフィス街まで見えた。どこまで行けるか、行ってみなければわからない。
「当初の予定では、マスリーナ市へ行くと言ったな。だが、無理に瓦礫を撤去するより、道なりに行く方がいい」
生存率の低い身内を探しに行くより、今、ここで確かに生き残った者をしっかり守る。ソルニャーク隊長の言い分は尤もだ。
……確かに正しいよ。でも、もし、母さんが生きてたら……見捨ててどっか行くなんて。
クルィーロは緑髪のアウェッラーナを見た。
この薬師は湖の民で、漁師の一族だ。
テロの最中、身内はラキュス湖で操業中だったと言う。空襲もそのまま湖上でやり過ごし、どこか安全な港に避難できた可能性が高い。
魔道機船の乗組員が魔法使いなら、どこまでも行ける。
テロ直後は、最寄りの港が北のマスリーナ港だったが、空襲後はどうだろう。
……アウェッラーナさんの家族、ついでにウチの親も乗っけてないかな?
我ながら、甘えた考えだと思う。
もう何度も自分で否定したが、それでも、藁にも縋る思いでそんな可能性を手放せず、絶望から目を背けてしまう。
「役所の貼り紙では、クブルム山脈沿いの都市は全て壊滅。支援を集約する為、ネーニア島北部へ避難せよ、とあった」
ソルニャーク隊長が今日見て来たことを語る。
一緒に行ったロークが付け加えた。
「マスリーナ市の生存者はとっくにキパリース市か、もっと北へ避難したってコトですよね」
……それも勿論一理ある。でも、現に俺たちは取り残されてる。他にも似たような人が居ないって、どうして言い切れるんだ?
数日前には、ニェフリート運河の畔に暴漢も居た。
クルィーロはそれを口に出せない。
そんなものは単に、気分の問題だ。
魔法使いなら術でとっくに避難しただろう。
力なき民は魔物や飢え、寒さで死んだ可能性が高い。
クルィーロたちは、単に運がよかったのだ。
……そうだよな。魔物。レノたちが見たって言う真っ黒な奴。そいつに食われたかもしれないのに。
「まぁ、どこへ行くにしても、瓦礫を除けないことには、どうにもならないからな。頑張って呪文覚えるよ」
今のクルィーロには、無理に笑ってみせることしかできなかった。
☆予想以上に軽くなり、勢い余って宙に浮かせてしまった……「0151.重力遮断の術」参照
☆魚が好き……「0043.ただ夢もなく」「0045.美味しい焼魚」「0046.人心が荒れる」参照
☆湖岸三区とリストヴァー自治区の東部は、空襲以前に焼失……「0042.今後の作戦に」参照
☆セリェブロー区全域とゾーラタ区の北西部は直接見た限り、空襲で焦土……「0056.最終バスの客」「0072.夜明けの湖岸」「0073.なにもない街」参照
☆避難所情報が全くないマスリーナ市とクルブニーカ市……「0092.情報のない街」参照
☆もし、母さんが生きてたら……「0040.飯と危険情報」→「0082.よくない報せ」参照
☆この薬師は湖の民で、漁師の一族だ/テロの最中、身内はラキュス湖で操業中だった……「0043.ただ夢もなく」「0049.今後と今夜は」参照
☆役所の貼り紙……「0146.警察署の痕跡」参照
☆ニェフリート運河の畔には暴漢も居た……「0083.敵となるもの」~「0086.名前も知らぬ」参照
☆レノたちが見たって言う真っ黒な奴……「0089.夜に動く暗闇」「0126.動く無明の闇」参照




