1479.間諜の植付け
イーニー大使は、何かを恐れる目で周囲を窺い、ラクエウス議員にタブレット端末を向けた。
駐在大使イーニーと亡命議員ラクエウスの二人きりで、ネモラリス共和国駐アミトスチグマ王国大使館の応接室は、静寂の中にある。
示されたのは、SNSの画面だ。
大使自身のアカウントではない。
例の模型愛好者のもので、直近の投稿では、個々の部品に塗装する工程を写真付きで示す。投稿に対する賛意の数は、ほんの数時間で数百件に上り、拡散も進む。
そのひとつ前は、キルクルス教系慈善団体「星界の使者」の投稿をそのまま共有したものだ。
〈ネモラリス共和国のリストヴァー自治区への食糧支援の追加が決定しました。
品目は、小麦粉五万トンです。
みなさまからお寄せいただいたたくさんの善意に深く感謝します。
あなたの行く道を知の灯が照らしますように。〉
「これは……?」
ラクエウス議員は、この投稿と、それを拡散する行為から何を読み取ればいいかわからず、漠然と問いを発した。
イーニー大使が、すっかり慣れた手つきで画面を切替える。
リゴル社長、先物取引の利益を寄付
共通語で書かれた記事は、星光新聞バルバツム連邦本社版だ。
星界の使者代表のリゴル氏が、個人で小麦の先物取引を行った。得た利益を全額寄付するとの趣旨で、その行為に対するSNS上の賛否も取り上げる。
賛意は、単純に寄付行為を褒めるものが多い。
否定は、そもそもマネーゲーム的な先物取引のせいで、小麦の国際価格が乱高下するのだから、マッチポンプでいいことをした気になるなとの批難だ。
賛成派は、やらない善より、売名目的でも何でも、実際に援助したことが立派なのだと擁護する。
否定派は、援助名目で小麦の現物を買占め、先物取引と併せて国際市場で価格を高騰させるから、世界各国の貧困家庭や脆弱な政府が、自力で購入できなくなったのだと指摘する。煽りを受け、国連機関や他の支援団体も、必要な援助をなかなか届けられない。
賛成派が、「今、現に困窮する者に直接の支援を行わなければ、飢餓で死んでしまう。今日を生き延びられなければ、明日の自立もない」と反論したが、否定派は「リゴル氏と星界の使者こそが、貧困層や難民を苦しめ、その手でバラ撒き援助を行って自立を妨げ、困難な状況を固定するのだ」と更に批難した。
それぞれの言い分に一理あり、どちらか一方が完全に誤りだとも、正しいとも言えない。議論は平行線で現在も続き、SNSでは、低俗な罵り合いに発展した。
記事には、リゴル氏自身のコメントも載る。
「先物取引で出した利益で私腹を肥やしたのではなく、困っている人々に分配したのだから、何故、これが問題にされるのかわからない」
記事は、この発言が火に油を注ぎ、数日経った現在も、共通語圏のSNSなどで議論や罵詈雑言が入り乱れて飛び交い、当分は収拾がつきそうもないと締め括る。
「これはまた……」
ラクエウス議員は、何とも面倒なコトになったと思ったが、辛うじて口に出すのを止めた。
リストヴァー自治区の住民が直接、何かをしたワケではないが、自治区民を物乞い呼ばわりする投稿もある。
「つい先日、久し振りに駐在武官とゆっくり話せました」
「おぉ、それはそれは……ご壮健ですかな?」
「えぇ。それで、このアカウントを教えられました」
イーニー大使は卓に身を乗り出し、端末の表示を模型のアカウントに戻した。
このアカウントの運用者は、ネモラリス陸軍が数年前、バルバツム連邦に植付けた間諜だと言う。
同国で幅広い層の人気を集める模型趣味を通じ、じっくり時間を掛けて人脈を作り上げた。また、この趣味を嗜む者は、民間人でも、科学の兵器や各国の武装に詳しい人物が多い。基地の一般公開にも、怪しまれずに潜り込めた。
……何と大胆な……避けるかと思っておったが、逆であったか。
手始めにバルバツム連邦内で行われる模型関連の催し物には、日程が重ならない限り全て参加し、同じ趣味の人々と顔馴染みになる。
自ら作った模型を個人で開設したブログで発表し、電脳世界でも人脈を広げた。
ブログをランキングサイトに登録して露出を増やし、アクセスを稼ぐ。ランキングで上位になれば、それだけ閲覧者が増え、コメントなどを通じて更に人脈を拡大した。
自身も、同じカテゴリでランキングに登録された他のブログを訪問し、電脳世界での知り合いを増やす。
その上で模型の催しに参加すれば、ブログを通じて知り合った人々とも顔見知りになり、懇意になるのが早い。
催しがお開きになった後の打ち上げ宴会にも、積極的に参加し、酒の席で趣味の話題から入って、仕事や私生活にまで話を広げ、情報収集を行った。
また、自作の模型を催し物やオークションなどで販売し、活動資金も稼ぐ。
「陸軍は、諜報活動の費用を出さんのかね?」
「何分、復興予算が防衛予算を圧迫しておりましたので」
間諜の表向きの身分は、リベルタース国際貿易株式会社バルバツム連邦支社の社員だ。
間諜は一旦、マコデス共和国に移住した。そこで、偽りの身分で正規の採用試験を受ける。狙い通り本社に入社し、数年後、バルバツム連邦支社に転勤した。
共通語に湖南語訛があるのは、マコデス共和国出身の設定で、怪しまれない。
力ある民だが、徹底して力なき民のフリを通した。
同僚の誘いで教会にも足を運び、バルバツム連邦に来て、初めてキルクルス教の信仰に触れたと感激してみせた。
教会で知り合った他の信者を通じ、星界の使者の活動に参加する。慈善活動も、模型の催しと日程が重ならない限り積極的に参加し、十年近く掛けて星界の使者の代表者に近付いた。
その間、代表者がテンペラートル氏からリゴル氏に変わり、活動方針も大幅に変わる。会員も大部分が入替り、間諜が近付きやすくなった。
「何故、星界の使者に近付いたのです?」
「ラクエウス先生の方がよくご存知だと思いますが、ここが、リストヴァー自治区への援助が最大の団体だからですよ」
間諜は、星界の使者を通じ、バンクシア共和国の大聖堂への巡礼を果たす。そこで知り得た人脈を使い、教団内の情報収集を行う足場も作った。
「何と……」
ラクエウス議員は、アル・ジャディ将軍による部下一人の人生を使った遠大な諜報活動に戦慄した。




