1478.葬儀屋の買物
クラウストラが、首都ルフスの拠点のひとつから【跳躍】し、ロークをランテルナ島の地下街チェルノクニージニクに送る。呪符屋には寄らず、慌ただしくどこかへ跳んだ。
ポデレス大統領の演説は、タブレット端末で録音した。その音声データを同志へ届けに行ったのだ。
保険として、ロークの端末でも録ったので、彼女に預けた。
ランテルナ島も本土同様、湖底ケーブルの破断による通信途絶に巻き込まれ、端末があっても、録音や撮影くらいにしか使い途がない。過去の報告書も読めるが、今は呪符屋の仕事が忙しく、その時間が取れなかった。
いつもの宿に私物を置いて、竜胆の看板が掛かる呪符屋に入る。
客が一人居るだけで、他には誰も居なかった。
初見の女性客は、注文票を書込むのに夢中らしく、扉の開閉に無関心だ。小さく会釈して、奥の部屋に入った。
「ただいま戻りました。あの……お客さん、来られてますけど」
作業部屋は店長一人で、スキーヌムの姿はない。
ゲンティウス店長は、書き上がったばかりの呪符を乾燥棚に置いて、こちらを向いた。
「おうっ、丁度いいとこに帰ったな。今、お使いに行かせたとこでな、注文票書き上がったら、出してやってくれ。支払はまだだ」
「はい!」
ロークはカウンターに出て、お茶の用意を始めた。カセットコンロに点火し、客の手許を覗く。
……防禦系ばっかだな。
胸元をチラ見する。
徽章はアゴーニと同じ【導く白蝶】学派だ。葬儀屋まで、魔獣狩りに行くのかと引っ掛かったが、記入済みがわかった呪符を棚から出す。
赤毛の女性客は頭を抱えて呻吟した末、お湯が沸く頃、やっと顔を上げた。
「いらっしゃいませ。お決まりですか?」
「あ……あぁ……これだけあれば、大丈夫……よね?」
注文票を受取り、紅茶を渡す。
「魔獣狩りですか?」
「違うわ。火葬を手伝って欲しいって、本土の葬儀屋の組合に呼ばれたの」
「えっ? 死者、そんな多いんですか?」
魔獣に完食された者は、遺体が残らない。
魔獣による捕食被害だけで、現地の業者が捌き切れなくなるものなのか。
ロークが訝ると、赤毛の葬儀屋は、顔の前でひらひら手を振った。
「魔獣の分もあるのよ」
「魔獣?」
「銀鱗の虫魚がいっぱい涌いて、俄か駆除屋が大勢、あっちに渡ったでしょ」
「えぇ。ウチにも大勢こられますね」
葬儀屋の溜め息が、紅茶の湯気を倒した。
「でしょ? あの人たちでも一応、倒せるには倒せるけど、上手く存在の核を壊せないから、魔獣の死骸が残っちゃうのよね」
「でも、素材は採れますよね」
「大した物は採れないじゃない」
「あー……」
銀鱗の虫魚で素材として使える部位は、顎のすぐ下に一枚だけある大きな鱗だけだ。他の鱗は使えない。焼けば、魔獣の消し炭として全体を使えるが、炭化させる手間と魔力が大変だ。
「こことか、武器屋さんや防具屋さんの支払いがあるから、幾つかは自分で焼くけど、残りはほったらかしらしいのよ」
「えぇッ? じゃあ、その死骸から、また……」
ロークは俄か駆除屋の無責任さに言葉を失った。
彼らも、アーテル本土のキルクルス教徒を快く思わないから、雑な対応なのかもしれない。
「そうなのよ。本土の役所が都営や市営の火葬場で焼くから、魔獣の死骸を回収しろってあっちの葬儀屋の組合に命令したそうなんだけど、人間用の炉でそんなの焼いたら、遺族が嫌がるって、反対してて」
「そうでしょうね……って言うか、役所がゴミ収集車で集めて、ゴミの焼却炉で焼けばいいんじゃないんですか?」
葬儀屋が、紅茶を一口啜って茶器を置いた。
その瞳には、嘲りの色がありありと浮かぶ。
「私も知らなかったんだけど、あっちの葬儀屋さん、【慰撫囲】の呪文入りの布で遺体を包んで、同じ呪文を彫刻した棺桶に納めてお葬式して、火葬場に運ぶの。火葬場の建物や、焼却炉の中には【結界】の呪文や呪印があるんですって」
「えぇっ……魔法を否定する癖に?」
「駆除屋さんが見たって言ってたわ」
ロークは呆れて言葉が出なかった。
「私も、あっちの人に何されるかわかんないから、イヤなんだけど、死骸から飛べるのが涌いて、こっち来るのもイヤだから、守りを固めて行こうと思ってるの」
「大変ですね。お一人で行かれるんですか?」
「一人って言うか、【導く白蝶】なんてそんな大勢居ないのに別々の市に呼ばれたから」
「あー……ご安全に」
力なき民のロークには、赤毛の葬儀屋の無事を祈ることしかできない。
注文票を見ながら、防禦に使う呪符を用意する。
彼女の服に刺繍された守りの呪文や呪印は、一般人のものより上位だが、【鎧】と呼べる程のものではない。
魔装兵用の軍服やプロの魔獣駆除業者が着る【鎧】なら、至近距離から撃たれても弾き返すが、着用中ずっと発動させ続けるには、強く膨大な魔力が必要だ。
注文の呪符は、すべて在庫が充分にあった。
葬儀屋の女性は、鞄から中身の詰まった【慰撫囲の袋】を出した。
「この袋も、対価に含めて」
「はい。ありがとうございます」
対価の鑑定を店長に頼み、紅茶のおかわりを淹れる。
「一軒で全部揃って助かるわ」
「ありがとうございます」
「俄かの人たちが買占めちゃったせいで、私でも扱える防具はどこも売切れてたのよ。でも、まさか武器持ってくワケにもいかないし、ホント助かるわ」
「こちらこそ、ありがとうございます」
大量購入だけでなく、この情報も、ロークにとっては有難かった。
日曜も店を開けるようになり、休む間もなく忙しいが、その理由がわかったのは大きい。
……まぁ、わかったところで、召喚をやめさせるのはムリだけど。
恐らく、ネモラリス憂撃隊の仕業だ。
上機嫌の客と入替りにスキーヌムが戻った。
「あ、ロークさん、おかえりなさい。早かったんですね」
「うん」
「ローク! こっち手伝ってくれ!」
「はーい!」
スキーヌムから荷物を受取り、奥の作業部屋へ急いだ。
夕方、看板を片付けた後も呪符作りの作業は続く。
店長がラジオを点けると、ニュースが流れた。
「えぇっ?」
ロークは耳を疑った。
重大なニュースで、アナウンサーが同じ短信を二度繰り返す。
来週のアーテル共和国大統領選挙本選が、三カ月後の五月に延期された。
☆銀鱗の虫魚がいっぱい涌いて、俄か駆除屋が大勢……「1442.大繁盛の理由」参照
☆【慰撫囲】/【慰撫囲の袋】……「512.後悔と罪悪感」「925.薄汚れた教団」「0936.報酬の穴埋め」「0952.復讐に歩く涙」「1302.危険領域の品」参照




