1475.使い魔との壁
二度目の【見診】は、ラズートチク少尉が同席した初回より長かった。
トポリ基地の軍医が手を放す。
魔装兵ルベルは、額からぬくもりが遠ざかった途端、不安に駆られた。
「先程、少尉殿にも説明しましたが、今、あなたが感じる痛みは、あなた自身のものではありません」
痛みが背から首へ這い上がり、魔装兵ルベルは息を詰め、固く目を閉じた。
「ですから、術や薬で痛みを取り除くことはできません」
説明する軍医の声音は、先程とは打って変わってやさしく穏やかだが、内容の厳しさには変わりがない。
軍医が診察台で前屈みになり、痛む箇所にそっと手を触れた。あたたかな手がルベルの背をやさしく撫でる。
痛み自体はなくならないが、何故か安心感があった。
「細く、ゆっくり息を吐きながら、身体の力を抜いて下さい。細くゆっくり……そう……ゆっくり」
ルベルは、食いしばり過ぎて強張った顎の力を抜き、辛うじて空いた歯の隙間から、細く息を吐いた。二呼吸目から、吐息に合わせて拳を緩める。
「痛いのは、あなたの身体ではありません。あなたと使い魔は、別の存在です」
……別の存在?
何故、そんなことを言うのか。
ルベルは目だけを動かして、軍医を見た。
短く刈った黒髪には白い物が少し混じる。
「あなたが、どんな種類の魔物と【使い魔の契約】を結んだにせよ、その魔物は魔物、あなたはあなた。別個の存在です。決して忘れないで下さい」
この痛みは、双頭狼に食い千切られた魔哮砲のものだ。
シクールス陸軍将補は、使い魔の主であるルベルの眼前で、別の魔装兵の使い魔に魔哮砲を襲わせた。
銀糸の結界【流星陣】に阻まれ、魔哮砲は逃げられず、ルベルは助けを求めて震える使い魔をただ見守るしかなかった。
双頭狼の主に言われるまま、魔哮砲の視聴覚情報を遮断した今、使い魔が彼らからどんな仕打ちをされるかわからない。
だが、再び繋いで確認するのは怖かった。
「既にご存知だと思いますが、【使い魔の契約】は、あなたと魔物の魂の一部を接続して支配する術です」
軍医は、やさしい声で【使い魔の契約】がどんな術であるか、話し始めた。
術者より弱い魔物などの魂と接続し、相手の意思に反する命令にも従わせる。
使い魔側は大抵の場合、支配から逃れようと足掻き、術で繋がった部分以上の領域を術者の魂に浸食されぬよう、壁を作る。
術者側も同様で、必要以上に他者の魂に触れぬよう、壁を作る。
両者が互いに壁を作って拒絶し合う場合、ルベルのような状態にならない。
……使い魔を拒絶?
ルベルは首を動かし、軍医に顔を向けた。【青き片翼】学派の軍医は、ルベルをやさしく撫でながら説明を続ける。
「その場合、両者が共有する感覚は、視聴覚だけに留まります。しかし……」
稀に魔物側が主を支配しようと、人間の魂を取り込む為に壁を設けない場合がある。その場合も、術者側に壁があれば、大事には到らない。
使い魔が猫や鴉など、この世の生き物の場合も同様だ。
この世の生き物は、術者を取り込もうとはしない為、比較的安全だ。
「使い魔が、遺跡から発掘された魔法生物の場合、人工的に作られた魂には、敢えて付与しない限り、術者を拒む壁を作る能力自体がありません」
軍医はルベルの右手を両手で包み、ゆっくり揉み解す。
その手のぬくもりは、確かにルベル自身の手が感じる。
「使い魔が魔法生物の場合、術者側がしっかり壁を作らねばなりません」
ゆっくり指を開かれ、手を握られた。
軍医はもう一方の手でルベルの手の甲を撫でながら言う。
「思い出して下さい。魔物は魔物。あなたはあなたです」
新たな痛みが加わり、ルベルは診察台の上で身を仰け反らせた。再び全身に力が入り、軍医の手を力いっぱい握りしめる。
新たな痛みは立て続けにルベルを襲った。
軍医はやさしい声で、声にならない悲鳴を上げる使い魔の主に呼掛ける。
「それは、あなたの痛みではありません」
肩を食い千切られ、腿を抉られる痛みはあるが、ルベルの身に出血はない。
頭では、自分が無傷だとわかっても、痛みはなくならなかった。
「それは、使い魔の痛みです」
すべては、遠く離れたレサルーブの森で行われることだ。
少しずつ齧り取られる魔哮砲も、闇の塊に牙を剥く双頭狼も、魔獣をけしかける魔装兵も、部下に命じるシクールス陸軍将補も、ここには居ない。
ルベルはトポリ基地の陸軍病院に在って、魔哮砲と傷の痛みを共有する。
術で接続された魂には、物理的な距離など無関係なのだ。
「あなたと使い魔は、別の存在です」
肌に触れる双頭狼の吐息の生温かさ。
身に食い込む牙の鋭さと舌の粘つき。
力任せに肉を引き千切られる灼熱感。
……俺が、あの時もっと早く気付いて退避できていれば……!
魔哮砲は、スクートゥム王国の湾内巡視船団から攻撃を受けたせいで膨張した。
扱いやすく【従魔の檻】に入れられる大きさになるまで、身を削り取られる。魔獣の攻撃は、その時まで止まない。
魔哮砲の縮小作業は、ルベルにも説明されたが、知ったところで、政府軍上層部の決定に逆らう力などない。
「あなたはあなた、使い魔は使い魔。思い出して下さい」
手の甲を撫でる手が腕を撫で上げ、肩を掴んだ。魔哮砲も、ルベルと共に軍医の手のぬくもりを感じるのがわかる。
食い千切られた闇の断片が、落ち葉の上で傷口から魔力を放出し、命を失ってゆく。身の内を流動する痛みの芯が凍え、灼熱感が寒気に変わる。
「あなたは、使い魔のすべてを受け容れ、繋がり過ぎたのです」
今更、あのあたたかな闇の塊を手放せとでも言うのか。
灼けつく激痛と凍てつく喪失が、身体の中を駆け巡る。
この痛みも悲しみも、ルベルのものでないから、すべて捨てろと言うのか。
自分を慕うあのやわらかなぬくもりを拒むことなどできない。
「使い魔のすべてを受け容れてはなりません。しかし、すべてを捨て去り、拒む必要もありません」
二頭の双頭狼が、四つの口でやわらかな闇の塊を食い千切る。
……やめろ……やめてくれ!
「あなたはあなた、使い魔は使い魔。適切な距離を保って、同化することなく、存在を切り分けても、契約は維持できます」
闇の小片は、すべて死んでしまった。
痛みの芯がすべて凍てつき、寒さに震える。
視聴覚を遮断しても、距離を隔てても、魂が深く繋がったルベルには、目の前で見るよりはっきりとわかった。
☆【使い魔の契約】……「776.使い魔の契約」参照
☆双頭狼に食いちぎられた魔哮砲/レサルーブの森で行われること……「1473.身を切る痛み」参照
☆あの時もっと早く気付いて/スクートゥム王国の湾内巡視船団から攻撃……「1401.人を殺さずに」参照
☆魔哮砲が肥大化……「1422.膨張した兵器」参照
☆使い魔のすべてを受け容れ、繋がり過ぎた……「836.ルフスの廃屋」「1163.懐いた新兵器」参照
☆あたたかな闇の塊……「839.眠れる使い魔」「840.本拠地の移転」「870.要人暗殺事件」参照




