1473.身を切る痛み
魔装兵ルベルは、未知の痛みに声もなく、両膝を落とした。
降り積もった落葉が乾いた音を立て、ラズートチク少尉が振り向く。歯を食いしばり、脂汗を浮かべる部下に息を呑んだ。
「食い千切れ」
陸軍の魔装兵が、力ある言葉で双頭狼をけしかける。
灰色の魔獣は闇の塊に駆け寄り、右の頭部が喰らいついた。鋭い牙が闇に食い込み、首を振る。
手榴弾や自動小銃の攻撃では、傷ひとつ付かなかった魔法生物の身が、易々と千切れた。
左の頭部も喰らいつき、魔獣の牙が闇を引き裂く。
ルベルは激しい痛みに悲鳴を上げることさえできず、自分の肩を抱いて息を止めた。
「ルベル、どうした?」
上官の問いに答えようと顔を上げたが、再び右の頭部に闇が齧り取られ、息を呑んで仰け反った。
魔法生物は、双頭狼の牙から逃れようと這う。不可視の壁にぶつかり、巨体を扁平に歪ませた。銀糸の結界が魔哮砲と双頭狼を囲み、逃がさないのだ。
陸軍の使い魔は、容赦なく魔法生物を食い千切った。
ルベルは声にならない悲鳴を上げ、落葉の上に突っ伏す。こぼれた涙が落葉を叩いた。
「中断!」
ラズートチク少尉の鋭い声が飛び、陸軍の魔装兵が、使い魔の双頭狼に待機を命じた。
灰色の魔獣は食い千切った闇を吐き出し、【流星陣】の中で蹲って次の命令を待つ。
……死ぬ……死んでゆく。
魔獣に食い千切られ、落葉の上に吐き捨てられた闇の小片から魔力が抜け、次々と命の灯が消えてゆくのがわかる。闇のかけらがひとつ死ぬ度に痛みの芯から熱が喪われ、身の内に生じた寒さで凍えた。
「ルベル、どうした?」
傍らにしゃがんだ上官が、倒れた魔装兵を助け起こした。ルベルは痛みに加わった寒さで歯の根が合わず、答えられない。
陸軍の魔装兵も歩み寄り、片膝をついてルベルの手を取った。固く握った拳の内で掌が汗ばむ。
「おい、聞こえるか?」
それには、辛うじて首を縦に動かせた。涙が頬を伝い落ちたが、ルベルは自分が泣くのか、魔哮砲が泣くのかわからなかった。
「使い魔の感覚、切ってるよな? 視聴覚の共有遮断」
重ねて問われたが、またひとつ、かけらから命が喪われ、寒さに苛まれて答えられなかった。身体の奥が、凍気に切り裂かれたように痛む。
使い魔を使役する魔装兵が、困った顔でシクールス陸軍将補とラズートチク少尉を仰ぎ見た。
魔装兵ルベルたちの現在地は、レサルーブの森だ。ネーニア島を南北に分断するクブルム山脈の北側に広がる。
半径五キロメートル以内の人間は、ネモラリス政府軍のシクールス陸軍将補、ラズートチク少尉、魔装兵ルベルの他、五人の魔装兵、合わせて八人だけだ。
銀糸を巡らせた【流星陣】の結界に阻まれ、魔獣狩りの者は立ち入れない。
万が一、糸が切られた場合に備え、半径三キロと一キロにも結界を張り、多重防護を施してあった。
魔哮砲と双頭狼を囲む中心の【流星陣】は半径五メートル程だが、肥大した魔哮砲の巨体で、半分近く埋まる。
「食われた箇所が痛むのか?」
シクールス陸軍将補に問われ、ルベルは歯を食いしばって頷いた。
またひとつ、かけらの命が消える。
不定形の魔法生物のどの部位がどう、ルベルの身体と対応するか不明だが、魔哮砲が魔獣の牙で傷付く度にどこかが激しく痛んだ。
痛みの位置は流動し、どこが痛いとは説明できない。かつて味わったことのない痛みは、喩えようもなく、どう痛むかさえ説明できなかった。
「少尉、魔哮砲の操手をトポリ基地に移送し、軍医に診せろ」
「は!」
「……少尉が戻り次第、【流星陣】を張り直し、魔哮砲の縮小を再開する」
「了解!」
シクールス陸軍将補の命令で、ルベルを除く六人が動いた。
魔獣を従えた魔装兵二人は、休息用の飲み物を準備する。
陸軍の魔装兵三人が【跳躍】した。すぐ、軍服の襟に着けた【花の耳】に彼らの報告が届く。
半径一キロの【流星陣】に阻まれ、落ちた地点で一人が銀糸を切って待機。残る二人が半径三キロの陣まで跳ぶ。そこでも同様に一人が銀糸を切って待機し、最後の一人が半径五キロ陣まで跳んだ。
次々と【花の耳】に報告が入り、ラズートチク少尉が待機を命じる。
三人目が【流星陣】の解除を報告すると、少尉はルベルを抱えて【跳躍】を唱えた。
軽い目眩に似た感覚に続いて、冬枯れの殺風景な森が、枯れ草に覆われた平野に変わる。
トポリ基地周辺には、ネミュス解放軍を警戒して【跳躍】除けなどの結界が巡らされ、周辺部にも魔法では近付けない。
ラズートチク少尉はナイフを抜き、魔装兵ルベルの周囲に円を描いた。
「此の輪 天なり 六連星 満星巡り
輪の内 地なり 星の垣 地に廻り 垣の内 呼ばぬ者皆 立ち去りて
千万の昆虫除けて 雑々の妖退け 内守れ 平らかなりて 閑かなれ」
刃の土を拭って鞘に収め、ルベルの肩に手を置いて言う。
「車を呼んで来る」
ラズートチク少尉は、応えられないルベルを【簡易結界】に残し、彼方に見えるトポリ基地の通用門に走った。
ルベルは、枯れ草の上に横たえた身をさすってみた。
特に傷などはない。
ただ、痛むのだ。
視聴覚を遮断した魔哮砲が、今、何を見るのか、使い魔の傍でシクールス陸軍将補がどんな命令を下すのか、何もわからない。
魔哮砲から遠く離れても、魔装兵ルベルの痛みは引かず、身体の奥深くで疼き、千切られた痛みを訴え、そのかけらの死を嘆くように凍えた。




