0151.重力遮断の術
アウェッラーナの細い声が、力ある言葉を紡ぎ出す。
「束の間の自由受け取れ 風を受け
羽の如くに地を離れ 漂え軽く その身、浮かせよ」
メモを見ながらでも、魔力を乗せられさえすれば、術は効力を発揮する。
アウェッラーナは確かな手応えを感じてホッとした。
「掛かりました。効果時間は一分くらいなので……」
「わかった」
ソルニャーク隊長が瓦礫に手を掛けた。ロークも慌てて手を出す。
倒壊したビルの外壁は、小型トラックの荷台くらいの大きさだ。普通なら、たった二人で動かせるものではない。
持ち上げる動作の直後、二人は勢い余ってコンクリ塊を宙に放り上げた。
「危ないッ! 離れてッ!」
アウェッラーナは叫ぶと同時に、胸の高さで浮くコンクリ塊に体当たりした。巨大な塊が、風船のようにふわりと漂い、歩道へ向かう。
ソルニャーク隊長とロークは、アウェッラーナの剣幕に驚いて数歩退がった。
「あの、さっきも説明しましたけど【重力遮断】の術ですから……」
地響きを立て、コンクリ塊が地に落ちた。術の切れた塊は歩道で砕け、破片をバラ撒く。
運ぼうとした二人は息を呑み、ソルニャーク隊長が太い息を吐いた。
「……わかった。羽毛を持ち上げるように、速やかに運び、すぐ離れるのだな」
「一分って、案外……短いんですね」
地元民のロークは蒼白になり、震える声でようやく言った。
「えぇ。そんな感じです。放送局に戻ったら、クルィーロさんにも覚えてもらいましょう」
アウェッラーナは努めて明るい声で言い、ニェフリート河へ向かった。
警察署前から市役所前までの道路は、瓦礫が撤去済みだが、警察署より南東方向は全くの手付かずだ。
二月三日の空襲後、五日まではここに人が居た。役人と【重力遮断】を使える住人が協力し、道路を片付けたのは想像に難くない。
ここが放棄されなければ、もっと片付いただろう。
警察署前は、車道を埋める細かい破片にタイヤの跡が残る。
アウェッラーナは足下の様子に気付き、彼らの行く先を考えた。
……Uターンの跡がいっぱいある。みんな、ここからバスに乗って、どこか安全な所へ避難したのね。
ゼルノー市役所前を通り、原形を留めない瓦礫の山を過ぎるとニェフリート河に出た。
「市役所前」の看板がついた橋は完全な形で残る。嵐で粗方流れたが、こびり付いた灰には僅かにタイヤ痕が見て取れた。
「この橋には【補強】とかが掛かってるみたいですね」
「トラックで通っても大丈夫ですか?」
アウェッラーナの言葉にロークが不安を向けた。
「多分。空襲の後も車が通ってたみたいですよ」
タイヤ痕を指差すと、少年は顔を綻ばせた。
橋の向こうはこの主要道に限ってキレイだが、その両側は見渡す限り瓦礫が積み上がる。隣のゾーラタ区は大部分が農村だが、セリェブロー区に隣接する北西部はオフィス街だ。
原形を留めた廃墟が、瓦礫の中にポツリポツリと点在する。噂通り、民間の建物は【巣懸ける懸巣】学派の術で守られた物件が少ないらしい。
「片付いた道に従って行けば、安全な場所へ行けるだろう」
ソルニャーク隊長が、晴れやかな顔で言った。
橋の様子を見に行った三人は、放送局の廃墟に戻った。
その表情は明るい。
少年兵モーフが隊長に駆け寄る。
「市役所付近の道は、瓦礫が撤去されていた。橋も通行可能だ」
ソルニャーク隊長の簡潔な報告に歓声が上がる。日が傾き始め、風は冷たかったが、心はあたたかくなった。
アマナがぴょんと跳ね、クルィーロに抱きついた。
「お兄ちゃん、よかったね。これで……」
ハッとして、その先の言葉を飲み込む。
クルィーロは笑顔を崩さず、アマナを抱きしめた。
薬師アウェッラーナは、泣きたいような気持で若い兄妹に目を細める。
……これで、お父さんと母さんを探しに行けるものね。
「もう、こんなとこまで片付いたんですか」
ロークが目を丸くして一同を見回す。メドヴェージが笑って答えた。
「朝はあっちからやって、昼からは、こっからやってるだけだ」
隣のビルの前は大体、片付いていた。
大きなコンクリ塊が道を半ば塞いで横たわる。
細々した破片を取り除いた後には、人力では動かせない塊が幾つも残った。鉄筋があちこちから突き出し、トラックでも乗り越えられそうにない。
「官庁街は無事な建物が多くて、五日までは人が居たみたいです」
クルィーロは、アウェッラーナの報告に頷いて先を促した。
湖の民の薬師は、コートのポケットから手帳を出して、続ける。
「図書館で必要な呪文を書き写しました。大きい瓦礫もこれで除けられますよ」
「やったぁ!」
レノがクルィーロに笑顔を向ける。明るい空気が場を満たした。
「俺でも……できそうな術ですか?」
クルィーロが恐る恐る聞いた。




