1470.見張りの変更
レノ店長たちは無事、現場用品店に停まる移動放送局のトラックに戻った。
残った者たちが整えた夕飯を見て、パン屋の三兄姉妹が恐縮する。
「遅くなってすみません」
「いいよいいよ。いつも作ってもらってるし」
「たまには私たちもしないと、作り方、忘れそうですよ」
クルィーロと薬師アウェッラーナが笑顔で迎える。
仮設住宅や避難所での絵本配布は、無事に終えられた。配ったのは、フラクシヌス教の神話の絵本「すべて ひとしい ひとつの花」だ。
地元のリャビーナ市民楽団は、演奏会のない日には、見守りボランティアとして仮設住宅などを訪問する。
彼らが同行してくれたお陰で、各集会所ですんなり受取ってもらえたのだ。
「仮設、やっぱ結構、キルクルス教が浸透してましたよ」
「だろうな。だから、絵本配りに行ったんだろ?」
レノ店長の報告にメドヴェージが当たり前の顔で応じた。
「あなたは、それでいいのですか?」
呪医セプテントリオーは、彼の反応が意外で、思わず問いを漏らした。
「そりゃもう……人の弱みにつけ込んで、あんな騙し討ちみてぇなやり口で布教して、それで信心する奴が出ても、そんなモン、ホンモノの信仰じゃねぇンで」
配布を手伝いに行ったソルニャーク隊長と少年兵モーフも頷いた。
この日の夜も、見張りを立てたが、特に異状なく、朝を迎えられた。
コンサートから二日目。
ラゾールニクとクルィーロは今日一日、留守だ。
まず、王都ラクリマリスに【跳躍】する。
リャビーナ市民楽団が、慈善コンサートの会場で集めた情報を武力に依らず平和を目指す同志に送信する。ファーキルたちにとって、星の標リャビーナ支部であるオースト倉庫や、従業員の様子は、喉から手が出る程、欲しい情報だ。
買出し後、ランテルナ島へ移動。
ロークに状況を報告し、彼の父に話す案について相談する。
ピアノ奏者スニェーグが、お茶の時間にトラックを訪れ、メモを回収してお菓子を差し入れた。
他は特段、変わったことがなく、外国へ行った二人も、夕食後になったものの、無事に戻った。
「誰だッ!」
パドールリクの鋭い声で眠りを破られた。
呪医セプテントリオーは、反射的に荷台の寝床で身を起こした。
寝起きの頭から眠気が一気に消し飛ぶ。
扉に最も近いのは、見張りのパドールリクだが、彼は力なき民だ。
下手に動けば、彼が即死させられるのではないかとの懸念が、恐怖となって呪医を縛る。どうしていいかわからず、息を殺して様子を窺うしかない。
張り詰めた空気を伝って、自分の鼓動が伝わるのではないかと、気が気でなかった。
葬儀屋アゴーニとパドールリクの組は、見張りの三番手だ。
パドールリクが再び誰何し、【灯】の覆いを外して荷台の外へ向ける。複数の足音が起こり、やがて静かになった。
クルィーロとアマナも父の声で身を起こし、ソルニャーク隊長と老漁師アビエースが、荷台の外を注視する。
信号が変わり、国道の走行音が届いた。
「はいはい、後は俺が見に行くんで、パドールリクさんは待機。呪医、起きたんなら、鎮花茶淹れたげて」
ラゾールニクが、パドールリクの手から【灯】を点したペンをそっと取り、黒い紙を巻き直す。
呪医セプテントリオーは言われた通り、鎮花茶を淹れる。【操水】で宙に浮かせた水を沸かし、乾燥させた花を一掴み入れた。
途端に甘い芳香が荷台いっぱいに広がり、先程の驚愕と緊張が霧消する。
眠気はないが、まだ思考が回らず、お茶を何人前に分ければいいかさえ、判断できない。取敢えず、片手鍋に全て注ぎ、扉の隙間に目を凝らした。
国道を流れるヘッドライトは疎らで、遠い。
隊長と老漁師は動かず、扉の外を警戒する。
眩しいだけの光から目を逸らし、金髪の父子をそっと手招きする。
三人の銅マグに鎮花茶を注ぎ終えて鍋を置くと、することがなくなった。
ラゾールニクが戻り、鎮花茶でも抑えきれなかった緊張が、ややゆるんだ。
「大丈夫。何も仕掛けられてなかったよ」
「見張り……どうしましょうか」
パドールリクがかすれた声で聞く。
「あなたは娘さんを寝かしつけて下さい。クルィーロ君も、見張りの順番終わってるから、もういいよ」
三組の青い瞳が困惑に揺れたが、ややあって、親子同時に同意を示した。
「アゴーニさんにも言ったけど、前方は異状なし。時間が来たら見張り交代。店長さんは起こさないで、隊長さん、お願いできますか?」
「了解。アビエースさん、モーフが強引に代わったあなたの見張り、今夜だけ、戻してもよろしいですか?」
「勿論です」
「ま、今夜はもう何もないと思うけどね」
ラゾールニクは軽く言ったが、緊張を解く者は一人もなかった。
情報ゲリラの言う通り、何事もなく冬の遅い夜明けを迎えられた。
深夜に目を覚ました者たちは、朝の光にますます不安を募らせる。
「えぇッ! もう朝? センセイ、何で起こしてくんなかったんだよ!」
少年兵モーフが飛び起きて文句を言い、同じく、見張りの順番を飛ばされたレノ店長が青褪める。
ソルニャーク隊長が昨夜の状況を説明すると、荷台が静まり返った。
老漁師アビエースが魚をアルミホイルで包んで焼き、ラゾールニクが数日前と同様、持って降りる。今度こそ、隣のトラックに発信機を取り付けるが、誰も反対を唱えられず、見送った。
ラゾールニクが助手席に戻り、メドヴェージが荷台を閉めに来た。
お互いに言葉もなく、荷台に鍵を掛けられ、トラックが動きだす。
「今日も魚ごっそうさん。あんたらも水の縁が幸いと結ばれますように」
「こちらこそ、安い店、色々教えてくれてありがとよ。情報料だと思ってくれ」
「ははは、ありがてぇ」
「今日は途中まで一緒だ。お互い、安全運転で行こうや」
「おうッ! ご安全にー」
右隣の四トントラックと同時に発車し、駐車場の門では、長距離トラックを先に行かせる。二台ともすんなり警備員に送り出され、国道を南下した。
「昨日、ローク君から言われました。もし、何か来たら、『夜中に痴漢が来て怖かった。女の子が居るのに駐車場で泊まるのは、やっぱり怖い』って、誰か来たって気付いたのはアピールして、正体には気付いてないフリするようにって」
「行くのですね?」
「そりゃ、写真もらわないで出発したら、不自然ですから」
移動放送局のトラックは、陸上競技場前のコイン式駐車場に入り、クルィーロとレノ店長、ラゾールニクを降ろした。
☆フラクシヌス教の神話の絵本「すべて ひとしい ひとつの花」……「647.初めての本屋」「659.広場での昼食」「671.読み聞かせる」「672.南の国の古語」参照
☆見守りボランティアとして仮設住宅などを訪問……「278.支援者の家へ」「305.慈善の演奏会」参照
☆ラゾールニクが数日前と同様……「1465.犯罪スレスレ」「1466.心を塞ぐ待機」参照
☆水の縁が幸いと結ばれますように……フラクシヌス教の祈りの詞のひとつ「605.祈りのことば」「1309.魔力を捧げる」参照




