1466.心を塞ぐ待機
ボールペンの先に【灯】を点し、黒い紙を筒状に巻くと、月光のような淡い光は前方の一点のみに絞られる。
「奴らも、懐中電灯で同じコトすると思うよ」
ボールペンに細工したラゾールニクは、見張りたちにいつもの軽い調子で注意を与えた。
車体のロゴマークなど上部の広い範囲を照らせば、警備員の詰所や、到着したばかりの長距離トラックの運転手、あるいはトイレに起きた者たちにみつかる可能性が高い。
だが、車輌下の機械部分だけなら、光源を持つ者の身体で遮られ、離れた位置から発見され難いのだ。
呪医セプテントリオーは外の物音に耳を澄まし、ボールペンをコートのポケットに入れて荷台を降りた。
濃紺の空に星が瞬き、夜明けはまだ先だ。国道を走る長距離トラックのヘッドライトが、吐く息を白く浮かび上がらせる。
左隣は二区画空けて一トントラック、右隣には三区画空けて四トントラックが停まる。
ラゾールニクが発信機を付け替えたのは、四トンの方だ。よく見ると、車種の違いがよくわかるが、大きさはほぼ同じ。ナンバーの確認に気を取られたなら、却って全体を見落としやすそうだ。
国道の走行音の他は何も聞こえない。
少年兵モーフが、扉の脇にしゃがんで小さく手を振る。呪医セプテントリオーは頷いて、教わった通り、しゃがんで車体の下を照らした。
……誰も居ない。
予め打合せした手ぶりの合図で無人を知らせ、車体側面に回り込む。
レノ店長に借りたコートのフードを目深に被り、足音を殺してゆっくり光を這わせて車体を入念に調べる。
直前のラゾールニクも調べたが、見落としを考慮し、複数の目で確認するのだ。
小さな光の中に目を凝らしたが、ラゾールニクの端末で見せられた「爆発物の見本」写真に類する物体もなかった。
……こんなことを後、三日も?
首都で爆弾テロに巻き込まれた七人の精神が、緊張に耐えられるのか。
無施錠の扉を開け、助手席にそっと身を滑り込ませる。メドヴェージは運転席で毛布を被って動かない。音を立てぬよう扉を閉めると、国道の走行音が遠くなり、運転席の寝息がはっきり聞こえるようになった。
濃紺の空にちりばめられた星々が、次第に色褪せてゆくのを眺めながら、どう動けば被害を最小限に留められるか考える。
結論らしきものが出ても、その正しさや確実性を保証してくれる者など、どこにも居なかった。
初日の朝は、明けてみれば拍子抜けする程、何事もなく迎えられた。
右隣に停まる長距離トラックの運転手が、夜明けと同時に出発する。
「魚、美味かったよ。ごっそうさん。じゃ、また」
「おうッ! ご安全にー」
ミラーに映るメドヴェージの笑顔は、本物らしい。同業者が駐車場を出るまで手を振り続け、窓を閉めた。
警備員が、先程まで四トントラックがあった区画に契約社名を貼ったカラーコーンを置いてゆく。
「センセイ、なんか変わったコトありやしたか?」
「いえ。先程も、お手洗いに立ったついでに見て回りましたが、特に何も」
「流石に初日にゃ仕掛けてこねぇか」
「どうなのでしょうね」
見落としの不安はあるが、口には出さない。
朝食後、見張りたちが報告したが、誰もが「異状なし」で、すぐ終わった。
「遠隔操作で起爆するヤツは、早めに仕掛けに来るかも知れないから、この街を充分離れるまで、気を抜かないでくれよな」
ラゾールニクが言うと、子供たちは引き攣った顔で頷いた。
「あっ! 隣のトラック、出発しましたよね?」
「あぁ、ご馳走さんっつってたぞ」
クルィーロが蒼白な顔で聞いたが、メドヴェージは普通に応じ、老漁師アビエースとレノ店長に笑顔を向ける。
「発信機……写真もらう前に……移動、しましたよね?」
クルィーロの不安が、一瞬で荷台の一同に広がる。
ラゾールニクは、香草茶を勧めて言った。
「落ち着いて聞いて欲しいんだけど、例のアレ、まだここにあるよ」
息を呑む音が重なり、身動きすれば刺さりそうな緊張が荷台に満ちる。
薬師アウェッラーナが、【操水】で鎮花茶を煮出し、片手鍋に注いで木箱の中央に置いた。
「焼魚渡す時に聞いたけど、二、三日に一回、ここで泊まる常連なんだってさ」
荷台の者たちは何とも言えない顔で彼を見る。
ラゾールニクは、世間話のように軽く言った。
「俺らが出発する日も居るから、その時に付け替えるよ」
鎮花茶の甘い芳香で緊張は解けたが、誰も口を開かない。心情的には同意しかねるが、彼の作戦を中止させるに足る代案の持ち合せがなかった。
不安と緊張が歯痒さに置き換わる。
その歯痒さも、鎮花茶の香気で薄らぎ、すぐに消えてしまった。
「おはようございます。昨日はありがとうございました」
何とも言えない空気の中、ピアノ奏者スニェーグが訪ねてきた。
荷台の【灯】が明度を増したと錯覚する。明るく軽くなった空気に安堵の息が漏れた。
レノ店長たち、慈善コンサートの出演者が、当たり障りない挨拶やお礼の言葉を返す。
「まだ、絵本の在庫がありましたら、市内の避難所や仮設住宅の集会所にお届けしたいのですが、分けていただけませんか?」
「勿論、対価はお支払いします」
一緒に来た湖の民の青年が言う。
「いい……ですよね?」
レノ店長が、返事の途中で一同を振り返って見回す。
星の道義勇軍の三人も含め、反対する者は一人もなかった。
クルィーロが言う。
「俺たちも、会場ちょっと見て回ったんですけど、フラクシヌス教の信仰、ちゃんと意識してもらわないとヤバいなって思ったんで、配るの手伝わせてもらっていいですか?」
「みなさんさえよろしければ、是非、お願いします」
緑髪の青年が笑顔で応じた。絵本代として、ドライフルーツとオリーブ油を持って来たと言う。
青年が、絵本の売残りを五冊だけ残して段ボール箱に詰め、自家用車に対価を取りに行く。
「実は昨日、オラトリックスさんたち合唱隊には、一般客として会場内を見てもらったのですよ」
雪のような白髪のピアノ奏者は、静かな声で言って鞄を開いた。
☆首都で爆弾テロに巻き込まれた七人……「710.西地区の轟音」参照
☆焼魚渡す時……「1464.探知したもの」「1465.犯罪スレスレ」参照
☆絵本の在庫……「1462.弱き者の視点」「1463.駐車場に宿泊」参照




