1462.弱き者の視点
吊るしたシーツに中の人影が映らぬよう、荷台の金具に毛布も掛けた。
どこからかサイレンが響き、長く尾を引いて消える。
呪医セプテントリオーは、クルィーロに借りたタブレット端末から顔を上げた。画面の隅には、現在時刻が常に表示されるが、無機質なデジタル表記からは、時の経過量がわかり難い。
……十七時……やっと閉会か。
紙の報告書を読む漁師と薬師の兄妹も、腕時計に目を遣って肩の力を抜いた。
外の声や物音から、物販の売上が芳しくないのがわかったが、今日は「居ない人」扱いの三人には、店番の手伝いもできない。
第一の目的が、星の標リャビーナ支部の調査とは言え、ひとつも売れないのでは、この日の為に蔓草細工を拵えた星の道義勇軍の三人が気の毒だ。
……腐る物ではない。いずれ、どこかで売れる筈だ。
物販の広場に大勢の人声と足音が入って来た。
湖の民三人が、移動放送局プラエテルミッサの荷台で身を固くする。
外が音と気配でしかわからないのがもどかしく、不安を掻き立てた。
王国軍に居たのだから、遠隔地や壁越しでも偵察できる【飛翔する蜂角鷹】学派の術も、哨戒兵から教わっておけばよかったと、元軍医の胸に後悔が過る。
傷を癒す【青き片翼】学派だけで不安なく過ごせたのは、他を全て部隊の者たちがこなしてくれたからだと、今更ながら思い知った。
「今日のお土産に『すべて ひとしい ひとつの花』の絵本、どうっスか?」
「未完の歌詞と、続きの応募先もありますよ」
ラゾールニクが帰る人々に声を掛け、パドールリクが続いた。
「えー? どうしよっかなー?」
「あ、これ、歌じゃなくて神話の本なんだー」
何人かが足を止め、立ち読みを始めたらしい。
呪医は荷台で息を詰め、耳に神経を集中した。
「これ、お兄さんたちが書いたの?」
「まさかぁ、ネモラリス建設業協会の有志の人たちっスよ」
「出版後に追加された歌詞は、私たちが書いて挟みました」
「歌詞だけちょ……」
「おいおい、そんなのダメに決まってんだろ。なぁ、お兄さんたち?」
「そうですね。レーチカで仕入れましたので、現金では裏表紙に書いてあるお値段になりますが、物々交換でしたら、少しお安くできますよ」
パドールリクの落ち着いた声が、愛想良く応じる。
クーデター後、首都を脱出するまで彼が勤めた会社の業種は聞きそびれたが、セプテントリオーは、ソツのない対応に感心した。
「ふーん、物の方が安いんだ?」
「でも、今、交換できる物って何も持ってないよ」
「あっち行こっか」
客の声が遠ざかり、呪医の掌に汗が滲む。
……物を販ぐと言うのは、大変な苦労があるものなのだな。
客として数え切れない程、店を訪れたが、いざ、自分が販売側に回った時、値引きの加減はおろか、客に何と声を掛けていいかさえわからない。
呪医セプテントリオーは今日一日、荷台で売買の声を聞き、己の商才のなさを思い知らされた。
隣近所の物販席に掛けられた売り物を貶す声。
葬儀屋アゴーニはやんわり窘め、パドールリクはそれとなくこちらへ誘導し、力なき民のフリをするラゾールニクは、揶揄した者を逆にからかい、パン屋の娘ピナティフィダは、輩の声が遠ざかってから、明るい声で周囲の者を励ました。
女性の店番に浴びせられる冗談とも本気ともつかない卑猥な言葉。
パン屋の娘自身は場慣れした様子で軽くいなし、葬儀屋アゴーニは隣近所の女性に助け船を出した。
野卑な輩が、葬儀屋の証【導く白蝶】の徽章を持つ年配の魔法使いには、全く逆らわず、そそくさ退散するのが、声と物音だけでも手に取るようにわかった。
世の中には、弱い立場の者を蔑み、益体もない言葉を投げつける者が少なからず存在する。彼らの存在は、呪医セプテントリオーには思いもよらなかった。
……私が今まで、彼らのような者に出会わなかったのは……つまり。
あまり意識したくはなかったが、旧王国時代は貴族であり、軍医だったから。共和制移行後も、呪医であり続けたからだ。
これまでどれ程、身分や社会的地位に守られてきたのか。
一目で魔法使いとわかる緑髪と男性であることも大きい。
ピナティフィダは野卑な言葉を投げつけられるが、レノ店長たち男性だけで店番する時間帯には、そんな言葉を吐く者が一人もなかった。
男性や魔法使いには向けない言葉が、寒さに震える貧しい力なき民には、平気で向けられる。
アゴーニが間に入った途端、大人しくなるのが、何ともやり切れなかった。
「物でいいんだったら、今そこで買ったこの袋でもいいよな?」
「えっ? 十枚全部、下さるんですか?」
「持って帰る用に一枚残しとかなくていいんスか?」
先程の声の主が戻り、パドールリクとラゾールニクが驚く。
セプテントリオーも、先程のあれは、断り文句だと思った。
力なき民が古着から作ったであろう「普通の袋」の価値が、如何程のものか呪医には量り兼ねるが、二人は絵本一冊と袋九枚で取引を成立させた。
近くの店で安い物を調達し、物々交換で書籍代を安く済ませる節約術も、セプテントリオーの生活範囲にはなかった発想だ。
……長く生きていても、知らないコトばかりなのだな。
旧王国時代から多くの人と接する仕事を続け、わかった気でいたが、異なる社会階層のことなど、何ひとつ見えていなかったのだと痛感させられた。
☆『すべて ひとしい ひとつの花』の絵本……「647.初めての本屋」「659.広場での昼食」「672.南の国の古語」、内容「671.読み聞かせる」参照
☆クーデター後、首都を脱出するまで彼が勤めた会社……「638.再発行を待つ」「686.センター脱出」「687.都の疑心暗鬼」、社宅「688.社宅の暮らし」「709.脱出を決める」「710.西地区の轟音」、移転先「780.会社のその後」参照




