1460.観客席を観察
このくらいの観衆を相手に歌うのは、前にも何回か経験がある。
だが、会場内の大半が隠れキルクルス教徒だと思うと、複雑だ。
……あんなハナシ、堂々としてたってコトは、ここじゃ聞かれても気にしなくていいってコトだよな。
モーフは木箱を並べただけの簡易舞台から、改めて客席の様子を見た。
舞台の上からは、来場者の顔がよく見える。
オースト倉庫のコンテナヤードで催し物をすると決まって、当日まで一週間くらいしかなかった。告知の時間はなかったが、舞台の前は物販の区画と違い、立見客まで出る盛況ぶりだ。
オースト倉庫の社長夫婦が、自社の従業員や慈善団体に声を掛け、慈善団体からリャビーナ市内の各仮設住宅に伝わった。
ロークの父ちゃんも、会社がある街区の掲示板に貼り紙して、仕事関係の人に声を掛けて回ったと言う。
勿論、出演するリャビーナ市民楽団と地元の高校生も、家族や友達に教えて、そこから更に広まっただろう。
……人は多いけど、湖の民、少ねぇな。
リャビーナ市民楽団は、半分くらいが湖の民だ。
彼らの家族や親戚だけでも、それなりの人数になりそうなものだが、客席に見える緑髪は、数える程しかない。
モーフは、楽団の生演奏で国民健康体操を実演しながら、様々な髪色の陸の民に目を凝らした。
マフラーを巻いて震えるのは、力なき民だ。ざっと見渡しても、やっぱり冬服で着膨れた客が多かった。
ピアノの爺さんは、クラピーフニク議員の支持者で、武器を使わないで平和にする活動にも参加する。
モーフは、楽団丸ごと入り込んで星の標のアジトを調査するのが目的なら、ヤバいとわかってる「隠れキルクルス教徒の巣」に家族を連れて来ない可能性に気付いた。
リャビーナの一般市民も、もしかしたら、薄々気付いたかもしれない。
葬儀屋のおっさんは湖の民の長命人種だが、半世紀の内乱前にキルクルス教の教義を知る機会があったらしい。おっさんみたいに「キルクルス教の中身を知る魔法使い」なら、気付いてもおかしくない。
……そう言や、DJと工員の兄貴、ペルシークで解放軍に隠れキルクルス教徒のコト教えたよな?
ネミュス解放軍の支部が、リャビーナ市内のどこにあるか、ピアノの爺さんたち地元民も知らない。
あるにはあるらしいが、ミャータ市の支部みたいに解放軍の方から、やたら気を遣って移動放送局プラエテルミッサに接触するどころか、人伝の連絡もない。
……隠れキルクルス教徒が多過ぎて、動けねぇとか?
考え事をしながらでも、すっかり身体が覚えた動きは間違いなくできた。曲と体操が終わると同時に盛大な拍手で会場が沸く。
客席の人々は、人種や信仰に関係なく、みんな楽しそうだ。特にメドヴェージのおっさんより年上の人たちは、近くに居る若者に嬉しそうな笑顔で話し掛ける。
「国民健康体操、実演は旅のお店のみなさんでした」
司会者がもう一回言うと、拍手が大きくなった。
「三十代後半以上の方は、ご記憶かと思いますが、ただいまご覧いただきました国民健康体操は、旧ラキュス・ラクリマリス共和国時代には、現在のネモラリス、ラクリマリス、アーテル各地の学校で子供たちに教えられました」
客席を埋める大人たちが何度も頷いて、懐かしげに目を細める。
「半世紀の内乱前、全国の小中学校では、人種や信仰、魔力の有無に関係なく、子供たちは同じ教室で机を並べ、共に学びました」
若者たちが、訝しげに司会者を見る。
流石にこの人混みには、ラクエウス議員並の年寄りは居ない。
力なき民の若者は、初めて知った者も多いだろう。
メドヴェージのおっさんくらいの歳でも、内乱の戦闘で学校が燃えて、勉強どころじゃなくなった奴がいっぱい居る。
「本日、最初の曲『神々の祝日の聖歌メドレー』をお聴きいただいたみなさんにはお話ししましたが、百年以上前までは、信仰や魔力の有無などに関係なく、平和に共存できたのです」
「そんなの、知るワケねぇじゃん」
周囲の者が何人も頷く。
最前列の若者の声は、決して大きくなかったが、舞台上のモーフにもハッキリ届いた。
「何故、分断が起きたのか、どうすれば、平和を取り戻せるのか。次の曲が、それを考える一助になりましたら幸いです」
司会者が口調を改めると、客席の囁きが静まった。
「次は、同じ国民健康体操の曲に難民の少女が平和を願う詩を付けた歌です。一時期、ネモラリス共和国内でも新聞紙上を賑せましたので、ご記憶の方もおいでかと存知ます。それでは、お聴き下さい、国民健康体操の曲で『みんなで歌おう』です」
地元の高校生が、舞台の一段低い所に整列し、歌詞を大きく書いた紙を掲げた。
「曲をご存知の方は、ご一緒にどうぞ」
司会者がもう一回、曲名を言うと、楽団全体ではなくピアノの音だけが流れた。
思わず聞き入りそうになったが、ピナと一緒に立つ舞台で失敗するワケにゆかない。歌詞を間違えないよう、今は歌に集中する。
司会者の話への反応はよくなかったが、歌いだすと、誰からともなく手拍子が起こった。歌詞があっても、いきなり歌えるハズがない。それでも、手拍子で参加する者たちは楽しそうだ。
午後、最初に歌った天気予報の曲「この大空をみつめて」の時もそうだった。
誰もヤジを飛ばさない。
客席の通路で、ロークの父ちゃんがしゃがんで手を振る。モーフと目が合うと、にっこり笑ってさっきのゴツいカメラを出し、舞台を撮り始めた。
モーフはガチガチに緊張したが、どうにか音を外さずに歌い終えられた。
高校生が、舞台の端で作業服のおっさんに歌詞の紙を渡し、モーフたち旅のお店と同じ段に上がる。
「早いもので、本日最後の曲になりました。この曲も、半世紀の内乱前に作曲されたものです。歌詞は、半世紀の内乱によって作詞が中断し、未だに完成しておりません」
司会者の説明に会場がざわついた。
☆あんなハナシ……「1458.催しの来場者」参照
☆オースト倉庫の社長夫婦……「721.リャビーナ市」~「724.利用するもの」参照
☆自社の従業員……「873.防げない情報」「1372.ノチリア企業」参照
☆ピアノの爺さんは、クラピーフニク議員の支持者……「278.支援者の家へ」参照
☆ペルシークで解放軍に隠れキルクルス教徒のコト教えた……「832.進まない捜査」「833.支部長と交渉」参照
☆ミャータ市の支部……「1328.ミャータ到着」「1329.医療政策失敗」参照
☆神々の祝日の聖歌メドレー……「1457.手持ち無沙汰」、曲の説明「310.古い曲の記憶」「294.潜伏する議員」「628.獅子身中の虫」参照
☆国民健康体操の曲で『みんなで歌おう』……歌詞「275.みつかった歌」、ニュースなど「290.平和を謳う声」「324.助けを求める」「402.情報インフラ」参照
☆天気予報の曲「この大空をみつめて」……「170.天気予報の歌」参照




