1458.催しの来場者
「坊主は行かねぇのか?」
メドヴェージのおっさんがニヤニヤ聞く。モーフはムッとして聞き返した。
「おっさんはどうなんだよ?」
「坊主が行くんなら行くぞ。ちょろちょろして、また迷子ンなられちゃ堪ンねぇからな」
ムカつくが、チェルニーカ市の件を持ち出されては、ぐうの音も出ない。
そっぽを向いたら、ソルニャーク隊長と目が合った。
「構わんぞ。ここは私が見よう。モーフはスニェーグさんのピアノを聴きたいのだろう?」
「は、はい! でも、隊長はいいんスか?」
もうひとつの理由を出され、モーフは気持ちが軽くなった。
「構わん」
隊長のやさしい笑顔に一も二もなく頷いた。
何も売れないまま小一時間。
葬儀屋のおっさんたちが戻り、モーフたちは入替りに物販席を出た。
……ラジオのおっちゃんたち、まだ来ねぇのか?
近くで見る人混みは、物販席から見たよりずっと密度が高かった。
キョロキョロするモーフの手をゴツい手が握る。
「迷子ンなんなよ」
「わかってらぁ!」
そうは言ったものの、早速あの地味な魔法使いの兄貴が見当たらない。
……あの野郎! ピナと二人きりでどこほっつき歩いてやがんだ?
モーフは、リストヴァー自治区に居た頃より背は伸びたが、それでもまだ、大人より頭ひとつ分以上低い。
ピナはモーフより少し高いが、大人よりは小さく、混雑の中でみつけるのは難しそうだ。見上げる大人たちの顎の裏をひとつひとつ上に辿り、ピナより背が高く、みつけやすそうなラゾールニクを捜す。
……あれっ? あの兄貴の髪の毛、何色だっけ?
顔を見て喋る時は、あの兄貴がラゾールニクだとわかるが、居ない時に思い出そうとしても、どんな顔だったか全然わからない。印象の薄い顔に苛立ったが、それどころではないと抑え、自分を囲む大人を見上げた。
……これじゃあ、ラジオのおっちゃんたちも、わかんねぇよな。
「一条の光が、あなたの悩みの闇を拓きますように」
モーフは、ギョッとして動きを止めた。
繋いだメドヴェージの手に力が籠もる。
「安いったって一応、仕事はあるんだし、このご時世、有難いと思わなきゃ」
「でも、今の給料じゃ、娘を大学へやれないじゃないか」
「こないだ総務の人が、会社の奨学金があるって言ってたけど」
斜め後ろで、三、四人が話すらしい。
気になるが、振り向いて顔を見れば、こちらも見られる。モーフはおっさんと繋いだ手に力を籠めた。
「どうせ、卒業したら返せだろ? そんなの借金とどう違うんだ?」
「成績優秀なら、返さなくていいみたいだけど?」
「自治区みたいに学費全部無料だったらいいのに」
別の誰かが溜め息を吐く。
自治区の苦労を知らないリャビーナ市民に羨まれ、モーフは腹の底に苦くて重いものが渦巻いた。
……学費だけタダでも、メシ代稼がなきゃなんねぇんだぞ。
「折角、知の灯って教わったのに学費のせいで上の学校へ行けないなんてな」
「貧乏人は能力があっても受験すらできないんじゃなぁ」
「その為の奨学金じゃないの?」
「学費だけ出してもらっても、生活費どうすんだよ?」
……ん? 自治区の外でもそうなんだ?
モーフは意外な声に驚いて、更に耳を澄ました。
「家計を助ける為に働きに出たんじゃ、ロクに勉強できンだろ」
「学力があっても、カネがなきゃ大学なんざ行けるワケねぇ」
「カネはあっても、アタマがない奴が、その席を埋めるんだ」
別の声が揺れるのは、頷きながら言うからだろう。
「ホントに、完全に、能力だけで受験したら、金持ちのアホボンなんかすぐ大学から居なくなるでしょうね」
「自治区やアーテルは、その辺ってどうなの?」
「ホントに、平等に、学力だけで学問の門が開いて、おカネの心配しないで勉強できるの?」
「半端にアタマよくても、奨学金に手ぇ出しゃ、卒業してから借金で首回ンなくなるかンな」
「ウチらの国はそんなだから、ラクリマリスにもアーテルにも、復興の速さで負けてンじゃないの?」
半世紀の内乱からの復興途上にあったネモラリス共和国は、アーテル共和国による一方的な爆撃で大打撃を蒙り、復興事業が振り出しに戻った。
魔法使いも、科学の専門家も全く足りない。
半世紀の内乱後、専門家の育成が追い付かず、復興の歩みが鈍ったと聞いた。
「取敢えず、奨学金の条件、詳しく聞いてみたら?」
「そうそう。目標がはっきりした方が、娘さんも頑張りやすそうよ」
交わされる囁きは、モーフの知らない世界が大半だが、明らかに隠れキルクルス教徒とわかる。リャビーナ市民楽団の演奏そっちのけで話す彼らは、何をしにここへ来たのか。
曲が終わり、拍手が雷のように轟く。
司会者が、トイレ休憩の説明をすると、観客が一斉に動いた。
耳を澄ましても、カネと勉強の話をする声はもう聞こえない。
人が減った会場を見回したが、ピナたちも、ラジオのおっちゃんたちも見当たらなかった。
代わりにアップライトピアノが視界に入る。木箱を並べた簡易舞台ではなく、横の低い場所に置いてあった。
舞台上では、それぞれ違う楽器を手にした団員が、次の曲用に席を移動する。
ピアノは客席に向かい、奏者の爺さんは客席に背を向けて座る。黒いピアノに白い楽譜がよく映え、これから何を演奏するのかしらないが、長い指が熱心に楽譜をなぞるのが見えた。
「さっきの『神々の祝日の聖歌メドレー』って、私たちの聖歌もちゃんと入ってたわね」
「聖歌だけって、リクエストできないかな?」
「湖の民、結構多いし、ムリじゃない?」
さっきとは別の声が耳に入り、思わずおっさんを見上げた。メドヴェージのおっさんは、唇に人差し指を当ててモーフに目配せする。頷く首の動きが、ぎこちなくなった。
……どんだけ紛れ込んでんだ?
いや、逆に隠れキルクルス教徒の巣にフラクシヌス教徒が紛れ込む状態かもしれない。
ピナは、ロークの父ちゃんの反応を聞いて、大丈夫と言ったが、モーフの足は震えた。
人が減った客席に視線を巡らせ、必死にピナの姿を捜した。
☆オースト倉庫株式会社の社長……「721.リャビーナ市」~「724.利用するもの」参照
☆「真の教えを」……「0987.作詞作曲の日」「1018.星道記を歌う」参照
☆ピナは何もないだろうと言った……「1445.合同開催計画」参照
☆迷子/チェルニーカ市の件……「0972.演説する議員」~「0980.申請方法調査」参照
☆あの兄貴の髪の毛、何色/印象の薄い顔……「345.菜園を作ろう」「346.幾つもの派閥」参照
☆自治区の苦労……「0013.星の道義勇軍」「0014.悲壮な突撃令」「0017.かつての患者」~「0019.壁越しの対話」「0026.三十年の不満」「0063.質問と諍いと」「539.王都の暮らし」「1454.職場環境整備」参照
☆ラクリマリスにもアーテルにも、復興の速さで負けて……「1269.かつての不幸」参照
☆復興の速さ
ネモラリス/復興の歩みが鈍った……「0005.通勤の上り坂」「0107.市の中心街で」「1084.変わらぬ場所」参照
ラクリマリスとアーテル……「0164.世間の空気感」「402.情報インフラ」参照




