1453.仮設工場計画
遠慮がちなノックで、話が中断する。
「お話中、恐れ入ります。西教区の方が、どうしても、司祭様とお話しなさりたいとお見えです」
ウェンツス司祭に目顔で問われ、クフシーンカと新聞屋が小さく頷く。司祭が声を掛けると、老いた尼僧はホッとした顔を見せ、二人の男性を招じ入れた。
「店長さんと新聞屋さんも、お話中にすみません」
「救援物資で届いた小麦の件なんですが、今、よろしいですか?」
団地地区のパン屋と菓子屋の亭主だ。尼僧が二人を置いて出る。
クフシーンカが、顔馴染みの二人に会釈すると、少し緊張した声で話し始めた。
「例の小麦粉ですが、あれ、小学校に置いといたんじゃ、ダニやらなんやら、虫が涌きます。それで、無事な内にどうにか使えないか、西教区の飲食店組合で話し合ったんです」
背広姿で来たパン屋が、直立不動の姿勢で一息に言い、東教区のウェンツス司祭を見た。司祭が小さく顎を引く。
同じく背広姿の菓子屋が、落ち着いた声で協議の結果を告げた。
「小麦を使う製造系の飲食店が、無事だった機材を持ち寄って、ひとつの工場を作る案が出ました」
「まぁ……どこにですの?」
クフシーンカは初耳だ。
司祭と新聞屋も、驚いた目でパン屋と菓子屋を見る。
「東教区の町工場が何カ所か、解放軍のアレで更地になりましたよね」
説明するパン屋の声が、微かに震えた。
ネミュス解放軍が、リストヴァー自治区に侵攻した際、事前に情報を得た星の標は、充分な装備を整えて迎撃した。星の標団員が経営者の町工場は、従業員にも自動小銃などを持たせ、工場街が戦場と化した。
魔法使いだけで構成されたネミュス解放軍は、急拵えの反政府武装組織とは思えない程、錬度が高く、科学の武器だけを用いる星の標は全く歯が立たなかった。
目撃者の話によると、幾つもの工場が炎上したが、緑髪の魔法使いたちは、術で湖水を呼び寄せ、消火しながら進軍したと言う。
戦闘は僅か二日で終わった。
星の標側は多数の死傷者を出し、生存者は全て捕えられた上、自治区の非戦闘員や家屋、店舗などを巻き添えにしたが、解放軍側は死者なし、負傷者少数だ。
ネミュス解放軍は、区長らと和平協定を結び、瓦礫の撤去とクブルム街道の完全復旧を易々とやってのけた。
リストヴァー自治区のキルクルス教徒は、フラクシヌス教パニセア・ユニ・フローラ派の武装勢力に圧倒的な力の差を見せつけられたのだ。
「更地になったとこの何割かは、土地所有者が星の標で……あの時、アレして、今は役所が管理してるんですよ」
「それで、商店街から一番近いとこに食品工場を作れないか、役所に掛け合いました」
菓子屋とパン屋の表情からは、成否が読めなかった。
パン屋が、ウェンツス司祭を見詰めて続ける。
「工場で東教区の人を雇うのを条件に許可が出ました。地代も、ウチと他のパン屋二軒と、お菓子屋さんはこの人だけですけど、製麺所も二軒、出資するって言ってくれて、何とかなりそうなんです」
「共同所有なさるんですの?」
クフシーンカは、声に不安を乗せた。いかにも後で揉めそうな話だ。
「いえ、一時的な借用です」
「一時的……? いつまでですの?」
「自分たちの店が再建するまでのハナシで、各部門の利益は自分らで取って、借地料や光熱費なんかは割勘する予定なんです」
「従業員の人件費はどうなさいますの?」
「各部門が個別に雇います」
パン屋が澱みなく答え、彼の隣に立つ菓子屋が頷く。
「そうやって稼いで、自分の店を再建できた人は抜けます」
「その部門のお仕事が、東教区からなくなるんですのね?」
「雇い人の中から、見込みありそうな人に後任を頼みます。その頃には多分、工場の稼ぎで地代を出せるでしょうから、何とかなるんじゃないんでしょうか」
何ともあやふやな計画だ。
「工場建屋の建設費用は、どうなさるのです?」
ウェンツス司祭も懸念を示す。店舗の再建もままならない彼らが、更に負担を増やしてやってゆけるのか。
「仮設工場はプレハブです。電気と水道引いて、プロパンガスと薪の竈を置いて、機材を設置するだけなんで、見積してもらったら、工期一カ月くらいで、費用もそんな高くなかったんです」
「それに、仮設工場で人を雇う間は、自分の店の固定資産税を負けてもらえるんですよ」
菓子屋の店主が付け加えると、新聞屋が楽観的な顔を見上げて言った。
「あんたんちは、ガソリン代も払えなくて、店長さんを教会に送り迎えすんのも無理なんだろ? 人雇う余裕なんてあんのか? 給料幾ら出す気だ?」
「そりゃ、最初は現物支給になるだろうさ」
新聞屋の声が次第に詰問へと変わり、菓子屋はムッとした顔で答えた。
「でも、あの火事の前……星の標の連中が子供までタダ働き同然でコキ使ってた頃に比べりゃ、マシだよ」
「どうマシなんだ?」
「少なくとも俺は、堅パンで払う。食べられない小麦を食べられる状態にして渡すし、堅パン作りの技術も教えて、俺が自分の店に戻った後も、仮設工場で仕事を続けられるようにするつもりだ」
「機材はどうするんだ? 自分の店が元通りになったら、そっちで使うんじゃないのか?」
「それは……その時になってみないと、新品を買うかわからんよ。でも、堅パンはあの竈でも作れるからな」
「製麺所が何を売る予定か、ご存知ですか?」
ウェンツス司祭が、険しくなってきた空気に問いを投げ込んだ。
パン屋が助かったとばかりに早口で答える。
「生麺だそうですよ。油と少しの水で蒸して炒めれば、食べられるそうです」
「生……日持ちしませんよね?」
「はい。ですから当面は、大きい工場の食堂に卸すんだそうです」
司祭は、応接室の入口に立ったままの二人に座るよう促した。
☆救援物資で届いた小麦の件……「1358.積まれる善意」「1367.新たな取引網」「1374.厄介な寄付品」参照
☆解放軍のアレ/ネミュス解放軍が、リストヴァー自治区に侵攻……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」参照
☆自治区の非戦闘員や家屋、店舗などを巻き添え……「916.解放軍の将軍」~「918.主戦場の被害」参照
☆区長らと和平協定……「919.区長との対面」~「921.一致する利害」参照
☆瓦礫の撤去……「0940.事後処理開始」参照
☆クブルム街道の完全復旧……「0941.双方向の風を」~「0944.聖典の取寄せ」政府軍にバレたが泳がされている「1170.陸水軍の会議」参照
☆星の標の連中が子供までタダ働き同然でコキ使ってた……「0046.人心が荒れる」「0117.理不尽な扱い」参照




