1452.頭の痛い支払
フェレトルム司祭を囲んだ東教区の信徒たちは、クフシーンカと新聞屋が来たのを潮に礼拝堂を出た。
残った信徒は、会衆席で静かに編み物をする者たちだけだ。
今日は礼拝のない日だが、席は半分くらい埋まる。仮設住宅の部屋でも作業できるが、ここなら、暖房がある上にわからないところを尼僧やクフシーンカたちに教えてもらえるからだ。
尼僧が両肩をさすりながら礼拝堂に入って来た。外の台所談義も一段落ついたらしい。
この場は尼僧に任せ、クフシーンカたちはウェンツス司祭と応接室に移動した。
「こんなお手紙が届きましたの」
クフシーンカが、応接机に付箋と手書きメモ、【無尽袋】とローハ宛の未開封の手紙を並べる。
東教区のウェンツス司祭は、大判封筒の中身をひとつずつ手に取って黙読し、手紙は表書きと裏の封だけ確認して置いた。
「こちらは、個人宛ですので、このままお預かりしますね」
「えぇ。勿論です」
三人は、緑髪の運び屋が書いたと思しきメモを真ん中に置いて、額を寄せ合う。
「既に届いた中には、まだありませんでした」
「近々届くってこってすかい。どんなのが来るかわかんねぇけど、町工場の連中も喜ぶでしょうな」
「しかし、対価がこの袋がいっぱいになる量の小麦粉とは……」
容量がわからない魔法の袋を前にして、ウェンツス司祭も困惑する。
「食べられない状態なら、幾らでもどうぞと、右から左へ渡して構わない人が多いでしょう。しかし、鍋などが来て食べられるようになるなら」
「他人にやんのが惜しくなる奴が出てもおかしくねぇ」
メモによると、今回は第一便だ。
調理器具などをたくさん送ると書いてあるが、対価が少なければ、第二便は来ないかもしれない。
だが、多くの人の反応は、新聞屋の言う通りだろう。
「再建できた定食屋さんたちの意見は、まちまちです。無償で届いた救援物資の小麦粉で、有料の食事を提供するのは気が引けると言う店長さんもおられますが」
「再建でカネが掛かったし、食材も、値上げ値上げのまた値上げで、まともに買やぁ目が回るってんで、どうせ台所ねぇ奴にゃ使えんのだから、傷む前に寄越せって奴も居るんですよ」
だが、どちらの意見でも、まだ実際に小麦粉を手にした者は居ない。
「まぁ……でも、どちらの言い分も、一理ありますわね」
クフシーンカが頷くと、ウェンツス司祭はメモを指でなぞった。
「今回届く金属素材……これで鍋などの金属製品を作ったとして、金物工場では無料配布できないでしょう」
「そうですわね。金属を熔かすにしても、燃料がたくさん要るでしょうし」
「えぇ。そうなりますと、定食屋さんにも他の材料や燃料などが必要ですから、無料の炊き出しではなく、有償で料理を提供するのも、問題ない……と」
「理屈の上じゃそうだけどよ、納得いかねぇって奴ぁ多いでしょうな」
技術への対価は、相場がわかり難い。
そもそも、技術の値打ちを理解できない者の目には、「簡単そうな作業で何故、高額な費用を請求されるのか」と、理不尽な搾取に映る。
技術料だけでなく、光熱費、燃料費、輸送費、従業員の人件費、店舗の家賃や固定資産税など「店を回す為に必要な諸経費」の存在を認識できず、材料の原価だけで計算して「高い」とクレームを付け、値切ろうとする人物は、平和な頃の団地地区と農村地区にも居た。
全て計算して示したところで、今度は「利益を取り過ぎだ」と噛みつかれ、値切られることに違いはない。
クフシーンカは、仕立屋での苦い経験の数々から、原価の話をする客の依頼は請けないとの結論を導き出した。
……救援物資の小麦粉でお料理するにしても、同じでしょうね。
「食用油の分配も、どのくらいの量が来るかわかりませんから、どのように分配すればよろしいやら」
「司祭様が分けて下さるんでしたら、みんな文句は言わねぇと思いますけどね」
リストヴァー自治区政府も、それを見越して、救援物資の管理を東教区のウェンツス司祭に委託したのだ。
「油はきちんと管理しないと酸化しますから、先に保管方法や、火事を起こさない使い方の説明も必要ですわね」
ひとつ問題点に気付くと、連鎖的に次々みつかる。
「教会でも礼拝で説明します。来られない方の為に別の周知方法が必要ですね」
「調理師の免許持ってる連中に声掛けて、空き教室で大人向けの料理教室やってくんねぇか頼んでみますよ」
「成程。お店の再建がこれからの方々にお願いすれば、引受けていただけそうですね」
新聞屋の提案で、ウェンツス司祭の顔色がよくなった。
「講師料に小麦粉か油を幾らか出すのは、東教区の連中も、流石にイヤとは言わねぇだろうし」
「実習もできればよいのですけれど」
クフシーンカが、裁縫や編み物の講師をした経験で言う。
説明を聞いただけではわからないことが大半だ。
「そう言えば、この束子の作り方も、店長さんに一度は説明していただいた方がよさそうですね」
これまでの食糧支援は、開封するだけで食べられる保存食ばかりだった。
今、リストヴァー自治区の悩みの種となるのは、生の小麦粉十万トンだ。
小麦粉の袋は、東教会の倉庫と小学校の体育館に積まれ、まだひとつも開けられないでいる。
営業再開に漕ぎつけられた飲食店は、喉から手が出る程、欲しい筈だ。だが、抜け駆けすれば、持たざる者に何をされるかわからない。
無償で与えられた小麦で、個人商店などの利益を出すなどとは、口が裂けても言える状況ではなかった。
東教区の商店街は、あの冬の大火で全焼した。
商店街の店舗兼住居は、区議会が特別予算を組み、一般向けの恒久住宅より先に再建させた。原資は、世界各地のキルクルス教徒から集まった寄付だ。
生き残った店主たちは、優先入居の権利を与えられ、無一文でも入居できたが、事業に必要な設備などは自力で用意しなければならない。
リストヴァー自治区政府は、事業再建資金と当面の運転資金については、低金利融資を行った。
建物の再建費用は返済不要だが、事業の再建資金は、自治区政府に返済しなければならない。新しく商売を始める者も、事業が軌道に乗るまでは、他の仕事を掛け持ちしなければ生活が立ちゆかなかった。
彼らは、復興特需の建設作業など、慣れない仕事で生活費と事業費を稼いだ。あれから二年近く経ってやっと、幾許かの貯金があったほんの一握りの者だけが、商売を再開できた。
自治区政府としては、事業所の早期再開には、東教区の生活再建と雇用創出に繋げる意図がある。
だが、再建させたばかりの商店街が「あいつらばっかりズルい」との妬みで放火されないよう、議論を重ねた結果、この中途半端な支援に落ち着いたのだ。




