1451.台所を作ろう
「店長さん、わざわざすみません。今から迎えに行くとこだったんですよ」
恐縮した新聞屋の亭主は、言葉通り、社名入りのジャンパーを着込み、車の鍵を握って車庫の前に居た。
「いいのよ。たまには少し歩かないと、足腰が弱りますからね」
新聞屋の手を借り、ワゴン車の助手席に乗る。
長引く戦争のせいで、新聞は薄くなったが、新聞屋の燃料は充分あった。
バルバツム連邦にある星光新聞の本社が、燃料を救援物資として、定期的にリストヴァー支社に送る。自治区の支社が、販売と配達を担う新聞専売所にきちんと支給するからだ。
クフシーンカは、よく取材対象になるフェレトルム司祭の通訳として、大聖堂のエリート司祭が居る方の教会へ送迎してもらえる。
今日は、フェレトルム司祭が東教会に行く日だ。
「夜中に運び屋さんからお手紙が届いていましたよ」
「へぇ、何て書いてありやした?」
クフシーンカは、救援物資の件だけ、掻い摘んで説明した。
新聞屋は一瞬、クフシーンカが抱えた大判封筒に目を遣り、すぐ正面に向き直って言う。
「鍋やお玉だけじゃなくて、働き口が増えるように金物や束子の材料まで送ってくれるなんて、至れり尽くせりじゃねぇか。世の中にゃ、こんな気が利く慈善団体もあったなんてなぁ」
言外にリゴル氏が代表に就任してからの星界の使者を批難する。
「確か、アミトスチグマ王国で、貧しい家の子に食事の支援をする団体だったかしらね」
「あぁ、それで食いモン絡みだとあれこれ気が回るんだな」
本当に感心した声で言い、後は運転に集中する。
車窓を流れる街並はすっかり変わった。
かつて、団地地区は富裕層が暮らす整った街並だったが、現在はネミュス解放軍と星の標の戦闘で見る影もなく荒れた。
住民が亡くなった家や、修理の資力がない家が、破壊されたまま取り残される。再建や修理も、職人の手と建設資材が足りず、取敢えず、ガムテープでトタンなどを貼り付けて応急処置しただけの家が多い。
ネミュス解放軍は、戦闘の後始末として、全壊した建物の瓦礫を撤去してから自治区を去った。その分、復旧作業は早くに始まったが、まだ手つかずの所は多い。
逆に東教区は、あのバラック街の面影がなくなった。
きちんとした道路が整備され、ワゴン車は滑らかなアスファルト舗装を殆ど揺れずに走る。
住居はプレハブの仮設住宅が大部分を占めるが、トタンを組んだだけのバラック小屋とは比べ物にならない。東教区の住民の多くは、雨漏りしなくていいと喜ぶ。
木造モルタルのアパートや、鉄筋コンクリートの集合住宅など、恒久住宅も建設が進む。
リストヴァー自治区の住環境の格差は、少しずつ縮まりつつあった。
東教会の前庭で、尼僧が十人ばかりの信徒と輪になって、何やら熱心に話し込むのが見えた。
「こんな寒いのに何で中で話さねぇんです?」
「あら、新聞屋さん、おはようございます。図を書くのに夢中で……」
尼僧が棒きれで地面を示す。
「お鍋があれば、料理できるようになりますが、台所も必要だと話していたのですよ」
「そうですわね。屋根がないと雨の日はお料理できませんものね」
新聞屋に支えられてワゴン車の助手席を降り、クフシーンカも話に加わった。
東教会の周囲は、仮設住宅ばかりだ。
各部屋には台所もトイレも風呂もない。屋外に共同トイレが男女別で設置され、風呂は役所が空地に設置したテントだ。
共同の竈は一棟に一箇所あるが、コンクリートブロックを組んだ中で薪を燃やすだけで、到底、台所とは呼べない。
「食糧支援で缶詰がたくさん届いたでしょ」
「えぇ。有難いコトですわね」
「町工場の人が、鍋を作るんだって、空缶集めてるんですよ」
「集めて溶かして型に流して」
「薪も回して欲しいっつってて」
東教区の住民が口々に説明する。
「へぇー、で、鍋はできたのかい?」
新聞屋が聞くと、渋い顔で首を横に振る。
尼僧が町工場が並ぶ地区へ視線を向けた。
ここからは見えないが、元々小規模で設備が少ない町工場は、大火とネミュス解放軍のリストヴァー自治区襲撃作戦の壊滅的な被害から、思ったより早く再建が進んだ。
「まだ、その鋳型も試作の段階だそうです」
「それで、鍋より先に台所とやらをどうにかせにゃって、話してたんスよ」
「昨日、定食屋のおかみさんに大体どんなモンか教えてもらたんだけどね」
「わかったところで、こちとら、カネも資材もねぇと来たモンだ」
「どのくらいのモンなら、自分らでできるかって言ってたんスよ」
「店長さん、何かいい知恵ねぇっスか?」
「ごめんなさいね。私は縫製職人だから……後で大工さんに相談しますね」
一口に星道の職人と言っても、専門分野が異なれば、お手上げだ。
建築分野の星道の職人は、仕事の増加と新人教育で忙しく、最近はなかなか会えない。大学生の娘に伝言を頼むと心に留め、礼拝堂に入った。
今日は礼拝のない日だが、フェレトルム司祭も、信徒数人を相手に何やら熱心に語る。
傍らで通訳するウェンツス司祭が、クフシーンカと新聞屋に気付いて会釈した。会釈を返して声を掛ける。
「ウェンツス司祭様に用があるのですが、今はお忙しいですわね」
「お急ぎですか?」
「いえ、特に急ぎではござませんので」
「何を熱心に話してたんです?」
新聞屋が聞くと、中年女性が答えた。
「バンクシアの台所がどんなだか、教えてもらってたんですよ」
バンクシア共和国出身のフェレトルム司祭は、共通語で懸命に説明するが、ウェンツス司祭が知らないモノが多く、上手く湖南語に訳せないらしい。
「写真をお見せできれば、わかりやすいのですが、今は街道へ登り難くて……」
フェレトルム司祭が共通語でぼやく。
今日は、礼拝堂に政府軍の魔装兵の姿はなかった。




