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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第八章 北へ

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0149.坂を駆け下る

 昼過ぎに道標(みちしるべ)が見えた。

 ここで降りれば、ゼルノー市の穀倉地帯ゾーラタ区に出る。ゾーラタ区は民家が少ないからか、見える範囲に空襲の被害はなかった。


 このまま山中を西進し、クルブニーカ市で降りた方がいいのか。

 クルブニーカ市も山裾は農地だ。空襲に遭わなかった気がする。


 アミエーラはこの辺りに土地勘がなく、次の分岐がどこにあるか知らなかった。

 (かた)パンを(かじ)りながら考える。


 ニェフリート河の橋が落ちていれば、どこへも行けない。

 やはり山を歩いて河を越え、それから下山した方がよさそうだ。

 遠目には、もうクルブニーカ市が見える。下山する道があれば、今日中にでも市内に出られるだろう。



 腰を上げ、荷物を背負う。

 視界の端で何かが動いた。

 雑妖だろうと思ったが、何となくそちらに目を向ける。


 「……!」


 木立の間で、雑妖とは異質な双眸(そうぼう)が輝く。

 それが何であるか認識する前に膝が震えた。本能的な恐怖で、目を()らすこともできない。

 力が抜け、へたり込みそうになる足を励まして後退(あとずさ)る。


 それが、斜面の岩陰からのっそり這い出る。蛙に似た頭に長い首が続いた。全体がぬらぬらとして泥の塊のようだ。

 雲が流れ、枝葉の隙間から日が射す。

 異形の下には影が出来なかった。

 この世での存在があやふやながら、たくさんの足がやや膨らんだ胴をしっかり支える。


 ……夜の……?


 姿は見なかったが、アミエーラは直感的に雨の中、小屋の周囲を歩き回ったモノだと思った。

 魔物の動きは緩慢だが、彼女を獲物と定めたのか一歩ずつ近付く。

 アミエーラは魔物が近付いた分、後退った。

 異様に大きな目が、獲物を見つけた喜びに輝く。


 ……逃げなきゃ……早く!


 気力を振り絞り、魔物に背を向けた。落ち葉を踏む音が追ってくる。

 アミエーラは声にならない叫びを上げ、山道を駆け下った。

 荷物の重さも気にならない。



 濡れ落ち葉に何度も足を取られ、石に(つまず)き、転びそうになっては木々や岩にしがみつく。

 何も考えられず、半ば滑り落ちるように曲がりくねった坂を下る。

 振り向く余裕はない。息が乱れ、足がもつれる。

 気ばかり()いて、肝心の足は泥の中を行くように重かった。


 「あ……ッ!」


 岩に積もり、水を含んだ落ち葉に足が滑った。身体が宙に投げ出される。

 山の急坂が不思議な程ゆっくり、視界を流れる。

 坂の両脇で雑妖の塊が嘲笑(あざわら)うかのように波打つ。

 とても長く感じたが、実際には、受け身をとることも出来ない一瞬だ。


 声を上げた直後、数メートル下の大木の幹に叩きつけられた。

 激痛に呼吸が止まる。

 湿った落ち葉の上に投げ出され、細く息を吐いた。


 魔物はまだ、坂のかなり上をのっそり歩く。

 アミエーラは起き上ろうと、地に両手をついた。

 「……ッ!」

 息が詰まる程の激痛に喉が締め付けられ、涙も出ない。左腕が力を失い、だらりと垂れた。


 ……逃げなくちゃ。


 右手を根につき、幹に這わせてそろりそろりと身を起こす。

 あちこち痛むが、足は動くようだ。無理矢理一歩を踏み出すと、アミエーラを取り巻く雑妖が退()がった。


 登山道に戻る。

 一歩毎に襲う激痛に歯を食いしばり、再び坂を下る。

 口の中に血の味が広がり、唇から赤い滴が落ちる。アミエーラは切れた唇に構わず、足下だけを見て前に進んだ。


 逃げる自分の足音か。

 追う魔物の足音なのか。

 雑妖が落葉を鳴らすのか。


 落葉が湿った音を立て、その度に心臓が胸の奥で別の生き物のように激しく拍動する。冬とは言え、日が出たからか、魔物の動きは鈍く、転倒しても追い付かれずに済んだ。



 どのくらい下ったのか、不意にアミエーラの行く手に木製の柵が現れた。


 ……通行止め……? 嘘でしょ?


 木の柵は登山道を完全に塞ぐ。

 道の両側では、大きな岩が壁のように(そび)える。その周囲の斜面は急で、怪我と荷物がなくても()じ登れそうにない。


 落葉を踏む湿った音が近付いてくる。


 アミエーラは柵を押してみた。中央が僅かに動く。

 向こう側に(かんぬき)があるのだ。


 気付いた瞬間、右手を柵の隙間に入れ、閂を掴んだ。右……いや、左だ。閂は思いがけず滑らかな動きで横に抜けた。勢い余って止め具が高い音を立てる。


 すぐ腕を抜き、扉に身を滑り込ませた。

 震える手で閂を掛け直し、顔を上げる。

 魔物が(かたわ)らの岩から見下ろす。長い首をこちらに伸ばし、蛙のように平たい顔を笑みの形に歪める。


 アミエーラは後退(あとずさ)った。

 魔物の口から釘のような歯が覗く。泥を捏ねたような体躯は大人三人程もある。こんな木の柵で持ち(こた)えられるのか。


 魔物は柵に目もくれず、岩から身を(おど)らせた。思わず、両目をきつく閉じる。

 山裾に口真似できそうもない咆哮が響き渡った。



 恐る恐る目を開ける。

 魔物が登山道……柵の向こう側でもがく。

 岩の上からアミエーラ目掛けてまっすぐ跳んだ筈だ。何をどう間違えれば、そんな所へ落ちるのか。


 考える余裕はなかった。

 アミエーラは柵に背を向け、痛む身体を引きずってその場を離れた。


☆雨の中、小屋の周囲を歩き回ったモノ……「0141.山小屋の一夜」参照


 挿絵(By みてみん)


 挿絵(By みてみん)


 挿絵(By みてみん)

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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