1450.置かれた手紙
今日で開戦から丸二年。二月の朝は、例年通り空気が冴え、身が引き締まる。
掃除をしようと奥の部屋へ行くと、窓の下に大判の封筒が立て掛けてあった。
……いつの間に?
クフシーンカは、膝を庇いながら腰を屈めて手に取った。
封緘されておらず、折り返しに付箋が貼ってある。
今夜は時間がないから、手紙だけ置いて行きます。
また今度、ゆっくり話しましょう。
用心の為か、署名はない。
女性的な整った文字から緑髪の運び屋だろうと判断し、窓を開けて換気だけして寝室に戻る。
暖房の効いた部屋に戻った途端、ホッと息が漏れる。ベッドに腰を下ろして、大判封筒の中身を出した。
一枚目は、付箋と同じ筆跡の走り書きだ。
このメモと付箋は、読み終わったら燃やして下さい。
物資は、アミトスチグマ王国の慈善団体「みんなの食堂」が正規の経路で送ります。第一便は、何事もなければ、そろそろ着く筈です。
中古の調理器具
修理と洗浄が済んだ物で、すぐに使えます。
壊れた調理器具
プラスチックの把手などは外しました。工場で金属材として使って下さい。
銅、鉄、ステンレス、アルミニウムに分けて梱包してあります。
食用油
今回は、オリーブ油です。
アクリルの毛糸
束子の素材です。編み方も同封してあります。
対価は、同封の【無尽袋】に小麦粉が入るだけ詰めて下さい。
頃合いを見て受取りに伺います。
二枚目は、アクリル束子の作り方の図と、鍋の手入れ方法だった。鍋の素材や加工によって異なる。
未使用の【無尽袋】が一枚。呪文や呪印がびっしり施された小さな巾着袋は、外見以上に物が入る。
どの程度の容量か、魔法使いではないクフシーンカには知る術がない。
……まさか、全部ではないでしょうけれど。
最後は、一回り小さい封筒で、表書きの文字は針子のアミエーラだ。
二通あり、一通はクフシーンカ宛。もう一通はローハ宛だが、東教区の司祭に渡して読んでもらって欲しいとある。
クフシーンカは受取人の名に心当たりがなく、こちらはウェンツス司祭に任せると決め、自分宛を開披した。
懐かしい顔が目に飛び込み、思わず笑みがこぼれる。
弟のハルパトールが、白い部屋でグランドピアノの隣に座って竪琴を奏でる。ピアノ奏者は知らない老人だ。
写真からは音色が流れないが、弟は、リストヴァー自治区唯一の国会議員ラクエウスではなく、音楽家のハルパトールとして、活き活きと弾くのが見て取れた。
二枚目も写真だ。
アミエーラとサロートカが若い女性と並んで微笑む。
写真は印画紙ではなく、A4サイズのコピー用紙に印刷してあり、余白に手書きの注釈がある。
アミエーラは、白と黄色で刺繍が施された若草色のワンピースを身に纏う。彼女自身が刺した図柄は、最近習い始めた【編む葦切】学派の呪文と呪印だとある。
……自分の魔力ときちんと向き合えるようになったのね。
針子見習いの成長に頬が緩む。
これまでも、何度か手紙で触れてあったが、写真が同封されたのは、今回が初めてだ。実際に魔法の服を纏う姿を見ると、文字で読むだけよりずっと感慨深い。
クフシーンカの胸に晴れ晴れとした淋しさと安堵が満ちる。
力ある民として魔術を学び始めたアミエーラは、二度とリストヴァー自治区に戻ることはないだろう。
親友フリザンテーマの孫娘は、もう大丈夫だ。これからはどこへ行っても揺らぐことなく、彼女が選択した道を自分の足で歩んで行けるに違いない。
サロートカの隣に立つ金髪の娘も、アミエーラと同じ型紙から作ったらしきワンピース姿だ。
こちらには魔法の刺繍がなく、サロートカが拵えたとある。
クフシーンカが、糸の通し方やボタンの付け方から教えた針子は、ほんの僅かの月日で目覚ましく上達した。クフシーンカの存命中に自治区へ帰っても、もう教える必要はないかもしれない。
三枚目は、アミエーラ自身と、クフシーンカと面識のある仲間たちの近況を綴った手紙だ。
針子の二人は、慈善コンサートに出演する歌手の衣装作りや、難民キャンプ宛の古着の修繕をして過ごす。
アミエーラは、それに加えて魔法の刺繍を勉強し、呪歌の練習もする。難民キャンプでは、大掛かりな呪歌【道守り】の手伝いをした。大伯母カリンドゥラや他の大勢の歌手と共に何度も慈善コンサートに出演し、どうやら彼女のファンもできたようだ。面映いらしく、ファンの件は文が随分、回りくどい。
……あらあら。
この先、クフシーンカから学んだことを活かして魔法の縫製職人になるか、大伯母カリンドゥラのような呪歌の歌い手になるか、まだ決められないと言う。
サロートカは、舞台衣裳を拵えたのをきっかけに若い女性歌手たちと仲良くなった。
一緒に写真に収まるのは、一番の仲良しだ。アーテル人だが、信仰に疑問を抱いて祖国から飛び出した。
……似た境遇の子が……サロートカも、もう心細くないわね。
ラクエウス議員は寒さで膝が痛む為、道が荒い難民キャンプには行かず、アミトスチグマ王国に駐在するネモラリス大使館で用事をすることが増えた。
最近は、難民キャンプだけではなく、縁故を頼りに街で暮らすネモラリス人の支援にも力を入れる。
ソルニャーク隊長は現在、移動放送局プラエテルミッサの一員として、自治区出身のメドヴェージ、モーフと共にリャビーナ市の近くに居る。
呪医セプテントリオーも同行するが、彼は移動放送局のトラックがリャビーナ市を離れる時、難民キャンプの支援に戻る予定らしい。
手紙は、クフシーンカの体調を気遣う一文で締め括ってあった。
四枚目は、カリンドゥラが舞台で歌う写真だ。
平和だった半世紀の内乱前と変わらず、古いネガをみつけて大きく焼き直してくれたのかと思ったが、舞台袖から撮った端に写り込む観客は、今の時代の服装だ。
親友フリザンテーマの姉カリンドゥラは、長命人種だ。クフシーンカたちが去った後も、時代の推移を見守り続けることだろう。
……私も、せめて頭がしっかりしている内は、若いコたちの為に道を作らなくてはね。
部屋着から外出着に着替えるのも、時間が掛かるようになったが、まだ、自力でできる。
杖と大判封筒を持ち、新聞屋の自宅へ足を向けた。
☆緑髪の運び屋……「0940.事後処理開始」「0941.双方向の風を」参照
☆「みんなの食堂」が正規の経路で送ります……「1441.家出少年の姿」参照
☆自分の魔力ときちんと向き合える……「549.定まらない心」参照
☆呪歌の練習……「871.魔法の修行中」「872.流れを感じる」参照
☆難民キャンプでは、大掛かりな呪歌【道守り】の手伝い……「804.歌う心の準備」「927.捨てた故郷が」~「929.慕われた人物」参照
☆慈善コンサートに出演……「813.新しい年の光」参照
☆彼女のファン……「1263.最初のファン」参照
☆魔法の縫製職人になるか、大伯母カリンドゥラのような呪歌の歌い手になるか、まだ決められない……「1125.制作費の支払」参照




