1444.餌を撒く息子
「あの人は、魔法使いを穢れた存在として見下しますけど、利用するのに抵抗ないんです」
ロークは、アビエースに手紙の下書きを返した。
呪符屋の店番になった少年は、澄んだ瞳を翳らせて言う。
「こう言ってはアレなんですけど、隠れキルクルス教徒にとって、葬儀屋さんは使い途がありません。漁師さんも、魚はお店で買えますから割とどうでもいい」
アウェッラーナの兄アビエースが苦い顔で頷く。
ロークは、老漁師の胸元で輝く【漁る伽藍鳥】学派の徽章から、アウェッラーナに視線を移した。
「でも、薬師さんは違います」
「あっ……」
薬師アウェッラーナは、ドーシチ市の件を思い出して背筋が凍った。
「魔法薬には、力なき民でも使える物があります」
「魔法を否定するのに魔法薬を使うのはいいの?」
「自分で使わなくても、戦争のせいで、交換品としての価値が上がっています」
「あっ……」
兄が青褪めた顔でアウェッラーナを見た。
「じゃあ、セプテントリオー呪医は? キルクルス教徒の怪我を治して自殺されたコトがあるって言ってたけど」
「その辺は、人によります」
「人による……?」
緑髪の兄妹が揃って首を傾げると、ロークは眉間に皺を刻んだ。
「例えば、俺を産んだ女は、火傷の痕が残るのがイヤだから、市民病院で呪医の治療を受けましたし、魔法薬も平気です」
吐き捨てた言葉が鋭く刺さる。
……そんな身勝手な。
本人が毛嫌いしても、一応は彼の母親だ。
アウェッラーナは辛うじて言葉を呑み込んで、少し話題を変えた。
「リャビーナの国会議員、クラピーフニク議員は勿論、接点ないと思うけど、パジョーモク議員は……どうなのかな?」
パジョーモク議員も所在不明だが、彼は与党である秦皮の枝党に巣食う隠れキルクルス教徒の一人だ。議員事務所の様子を把握済みと言うコトは、当然、レーチカ市のパドスニェージニク議員を介して、繋がりもあるのだろう。
ロークの父コーレニは、イーヴァ議員の生存を知る筈だが、クルィーロにはとぼけた。
パジョーモク議員がアーテル共和国の首都ルフスの教会に居た件は、本当に知らないのか、それとも、これも知らないフリなのか。
「リャビーナでの放送は諦めて、物販とミニライブだけにした方がいいと思いますよ」
「パジョーモク議員の妨害があるかもってコト?」
「逓信省のリャビーナ地方管理局に手が回ってたら、パドール地方管理局と、向こうの星の標からの情報で、アウェッラーナさんが居るのがバレるかもしれませんから」
「あっ……えぇッ?」
兄妹は揃って声が裏返った。
……聴衆に混じっててもおかしくないって言うか、絶対、居たでしょうけど。
ロークは淡々と言う。
「フィアールカさんが、車体シールと偽造ナンバーを用意してくれたんだし、少なくとも、リャビーナでは、移動放送車じゃないフリで通した方が安全だと思いますよ」
「ジョールチさん自身は、今のところ、地元の人の前で喋らないように気を付けてるけど、やっぱり、色んな方向から考えて、放送できないのね?」
「そうなりますね。手紙で餌を撒いて、リャビーナ市民合唱団と合同でミニライブと物販して、当日とその後の動きを見るのがいいと思いますよ」
コーレニ・ディアファネス自身が動くとは限らない。
オースト倉庫株式会社の社長に連絡し、配下の星の標を動かす可能性が高い。
「放送の免許はどうしたものだろうね?」
兄アビエースが緑色の眉を下げる。
「クレーヴェルに入るんなら、首都で出した方がいいんじゃないかなって」
「あー……そう言えば、ウヌク・エルハイア将軍が、レーフさんを気に入ったみたいですし、逆にそっちの方が安全……安全なの?」
クーデターの発生から間もない頃、アウェッラーナたち帰還難民センターに身を寄せた一行は、首都を脱出する際、星の標の爆弾テロに巻き込まれた。あの時、雑貨屋の店主が匿ってくれなければ、どうなったかわからない。
兄以外の身内は、ネミュス解放軍に参加する為、漁船を奪って首都クレーヴェルを目指した。一族に唯一残された光福三号の船長アビエースだけは、戦いに反対した為、漁船から追い出されたのだ。
光福三号と乗組員が今、どこに居るか、安否もわからない。
「報告書に日誌みたいな……文字だけの小さいファイルが入ってますよ」
「えっ? そうなの?」
「気が付かなかったよ」
兄妹は、クルィーロがいつもタブレット端末でどんな情報をどれだけ受取るか知らない。紙の報告書の頃は、あまりにも情報量が多い為、ファーキルが印刷してくれるのは、移動放送局の一行に関係ありそうな抜粋だった。
ロークは意外そうな顔で教えてくれた。
「フィアールカさんが毎週、定期連絡でデータ受取ってるそうです」
「えっ? そうなの?」
「多分、いっぱいある中に紛れてるんじゃないかな? ファイル名、毎回、日付だけだし」
「そうだったの。クルィーロさんに聞いてみます」
「俺も、クレーヴェルの日誌書いてるの、どんな人か知らないんですけどね」
兄のアビエースが、何とも言えない顔でロークを見る。
「信用できるのかい?」
「色んな人が参加してますし、オースト倉庫の社長とか、リャビーナの隠れ信徒だって、絶望した人がネモラリス憂撃隊にならないようにって、仕事を回したり、仮設住宅の支援とかしてるワケですし」
リャビーナ市民楽団や市内の慈善団体などは、慈善コンサートの収益による経済支援や仮設住宅の見守り支援、市民への啓発活動、同時開催するバザーで避難民の出店料を免除するなど、国内避難民を物心両面から支える。
すべてを喪った人々が絶望に囚われ、復讐に駆り立てられて、アーテル共和国本土でゲリラ戦を展開する武装組織に身を投じるのを防ぐ。
この一点に於いては、武力に依らず平和を目指す人々も、一般の篤志家も、隠れキルクルス教徒も、目的と利害が一致し、共に行動する。
付随する目的が、人によって異なるのは仕方がない。
勿論、純粋な善意だけで動く者も、少なからず存在する。地域の治安を守る為、困窮者を犯罪に走らせないことを目的として、支援する者も居る。
キルクルス教の布教に限らず、将来の票田獲得を目論む政治家志望者や、顧客獲得を狙う事業所など、下心のある者たちは却って熱心だ。
「その人の報告は、クーデターの翌月に始まって、最初は政府軍とネミュス解放軍の戦闘や、爆弾テロのコトとか書いてました」
「今は違うの?」
「今は状況が落ち着いたみたいで、戦闘なし、テロなし、解放軍がこんなお触れを出した……みたいな簡単な報告です」
アウェッラーナは少しホッとした。
……よく考えたら、ワクチン作って予防接種って、市街戦してたんじゃムリだものね。
ネモラリス島の星の標が、パジョーモク議員のアーテル行きや、その後の行方を把握した上で知らないフリをするのか、彼らも議員の行方を捜すのかわからず、何かと懸念は多い。
「忙しいのにゴメンね」
「ありがとう」
「みんなによろしくお伝え下さい」
あまり長居するワケにもゆかず、緑髪の兄妹は、ランテルナ島を後にした。
☆ドーシチ市の件……「230.組合長の屋敷」~「232.過剰なノルマ」「235.薬師は居ない」~「237.豪華な朝食会」「245.膨大な作業量」「250.薬を作る人々」「262.薄紅の花の下」参照
☆火傷の痕が残るのがイヤだから、市民病院で呪医の治療を受けました……「691.議員のお屋敷」参照
☆パジョーモク議員も所在不明/パジョーモク議員がアーテル共和国の首都ルフスの教会に居た件……「1071.ルフスの礼拝」~「1077.涸れ果てた涙」参照
☆議員事務所の様子を把握済み……「1439.代わりに陳情」参照
☆フィアールカさんが、車体シールと偽造ナンバーを用意……「1430.東への玄関口」参照
☆ウヌク・エルハイア将軍が、レーフさんを気に入った……「919.区長との対面」参照
☆首都を脱出する際、星の標の爆弾テロに巻き込まれた……「709.脱出を決める」~「713.半狂乱の薬師」参照
☆兄以外の身内は、ネミュス解放軍に参加……「825.たった一人で」~「827.分かたれた道」参照
☆オースト倉庫の社長とか(中略)仕事を回したり、仮設住宅の支援とかしてる……「873.防げない情報」「1372.ノチリア企業」「1373.カネに色なし」参照
☆リャビーナ市民楽団や市内の慈善団体などは(中略)国内避難民を物心両面から支える……「278.支援者の家へ」「305.慈善の演奏会」「1372.ノチリア企業」参照
☆ワクチン作って予防接種……「1090.行くなの理由」「1195.外交官の連携」「1211.懸念を伝える」参照




