0148.三つの選択肢
アミエーラは、山道を歩くことに少しは慣れてきた。
水と食糧が減った分、荷物も軽い。
雨上がりの道は濡れた落ち葉で滑りやすい。こんな所で転んで怪我でもしようものなら、野垂れ死んでしまう。
気持ちは焦るが、意識的にゆっくり足を運んだ。
ピスチャーニク区に降りるのを諦め、ゾーラタ区へ向かう。
鉱業で栄えると聞いた地区は、空襲で一面の焼け野原になってしまった。元の姿は知らないが、行っても仕方がないのは遠目にも明らかだ。
山から見下ろす殺伐とした風景が気を滅入らせる。足下だけを見て次の道標を目指した。
日中でも、斜面や岩の陰、大木の陰には雑妖がへばりつく。
……私は魔女。魔女だから、あんたたちなんて怖くない。雑妖なんかに負けないのよ。
首から提げた護符を握って自分に言い聞かせながら、ひたすら足を前に出す。
嵐が去り、夜が明けても、見下ろす街は焦土のままだ。湿度が上がったせいで、先日より靄が濃く、遠くの様子はわからない。
仕立屋の店長は、アーテルと戦争になったと言った。
新聞配達の少年も血相を変えて号外の内容を語った。
戦争なら、ゼルノー市だけでなく、他の都市も空襲を受けたかもしれない。
いや、位置関係を考えれば、ネーニア島東端のゼルノー市より先に西側の都市がやられただろう。
当たり前のことに気付き、アミエーラの歩調が鈍る。
……じゃあ、どこへ行けばいいの?
見える範囲に無事な場所はなかった。
ネーニア島の北部や、ネモラリス島はまだ無事なのか。
ネモラリスとアーテルに挟まれたラクリマリス王国は無事だろうか。
アミエーラはキルクルス教徒だが、力ある民でもある。
何者として、どこへ行けばいいのか。途方に暮れる。
信仰を捨て、魔女としてネモラリス島へ渡ればいいのか。
戦争に巻き込まれていなければ、ラクリマリス王国に難民として保護を求めるべきなのか。
それとも、魔力があることを隠し、キルクルス教徒としてアーテル共和国領ランテルナ島へ渡るべきなのか。
どの道も、アミエーラには現実味がないように思えた。だが、手持ちの水と食糧が尽きる前に決断して、どこかへ向かわなければならない。
……次の道標が見えるまでに決めよう。
期限を決めると顔を上げ、歩調を速めた。
先送りにしても事態は悪化するだけだ。それなら、なるべく先へ進み、少しでも西の様子を見て、早く決めたかった。
アミエーラは、昨日までのように足下の敷石を確めるのをやめた。
術で守られるなら、雑妖が居ない所が正しい道なのだ。逆説的だが、穢れた存在が道を示してくれる。
……そうよ。何だって使い方次第……縫い針や裁ち鋏でも人を殺せる。魔法だけが悪しき業ってワケじゃないのに。
アミエーラは歩きながら歴史の授業を思い出した。
湖の民は全員が魔法使いで、ネモラリス国民の七割を占める多数派だ。
ネモラリス共和国は半世紀の内乱後、湖の民の国として建国されたが、旧ラキュス・ラクリマリス共和国からの分離独立後も陸の民が住む。
力なき陸の民は人口の二割以上を占め、その約半数がフラクシヌス教徒だ。キルクルス教徒は一割強で、全員が信仰を保証されたリストヴァー自治区に居住する。
力ある陸の民は、大部分が分裂直前にラクリマリスへ移住した為、ネモラリスでは人口の一割にも満たない。
魔力があるだけで魔法を使えない人も含めれば、もっと居るのだろうが、この国では、陸の民の魔法使いは少数派だ。
見渡す限り街を焼き尽くした科学の「爆弾」は、悪しき業ではないのか。力ある民だけでなく、力なき民もひとまとめに焼き殺した。
キルクルス教国となったアーテルの所業は正しいことなのか。
教義で「悪しき業」とされるのは、魔術だ。
聖典では、異教徒について、いいとも悪いとも言及しない。
平和な頃、休みの日にはなるべく教会に通い、一般信徒向けの聖典を隅々まで読んだが、少なくともアミエーラは、そんな記述を目にした覚えがなかった。
フラクシヌス教徒にも、魔法使いではない人が大勢居る。
魔術だけでなく、フラクシヌス教の神々の教えも「悪しき業」だと言うのか。
魔法を使えない異教徒を魔法使いと一緒に葬ることが、聖者キルクルス・ラクテウスの教えに適う行いなのか。
今まで何も考えずに信じてきたことが、足下から崩れ去る感覚に目眩がした。




