1437.標的との接触
十一時過ぎ、リベルタース国際貿易株式会社がある街区に着いた。
朝の通勤時間帯よりずっと人が減り、閑散とした歩道に鳩が舞い降りて、せっせと何かを啄ばむ。
雑居ビルの一階はどこも、パン屋や会社員向けの飲食店が入居する。オフィス街では、ほぼ決まった需要があり、生き存えた飲食店の割合が高い。
昼食の仕込みが始まり、そこかしこから旨そうな匂いが漂い始めた。
自社ビルを持つ大企業には、社員食堂を備えるところもあるが、中小企業や、空襲などで移転を余儀なくされた事業所には、そんな余裕はない。ロークの父コーレニ・ディアファネスが勤務するリベルタース国際貿易は、後者だ。
ロークがルフス神学校を抜け、呪符屋に身を寄せて間もない頃、運び屋フィアールカに預けた手帳には、コーレニの単身赴任の件もあった。
ラゾールニクによると、それ以来、複数の同志がコーレニの動向を観察し続けるのだと言う。彼らは力ある民で、コーレニ個人とも、勤務先とも接点がない為、詳しい情報までは得られなかった。
平日の昼食は、いつも決まった時間に同じ店へ食べに行く。
クルィーロは、こんな些細な情報が必要になる日が来るとは思わなかった。見知らぬ同志が、何気ない情報まできちんと残してくれたことに深く感謝する。
振り返って、自分たちはどれ程の「何気ない情報」を見落としてきたのか。
……俺たちも、報告書に載せる情報、もっと増やした方がいいんだろうな。
この街区の掲示板には、レノたちが手帳に控えた日と同じ情報しかない。
クルィーロは早速、日時、掲示板を見に来た人々の服装、髪色、性別、凡その年齢層、寒がる様子から推測した魔力の有無を控えた。
思い付く限り観察結果を書いてみたが、まだ足りない気がする。だが、何が足りないのかは、わからなかった。
求職者は入替り立ち替わり現れては、重い足を引きずってとぼとぼ去る。
父たちの調べで、職安の情報は、手続きに時間が掛かる為、事業所自身が掲示板に直接出すより、一日から数日の遅れがあるとわかった。職安から申し込みをしても、応募者多数で〆切られた後と言う事態も、ままあると言う。
ネモラリス共和国では、手間が掛かっても、自分の足で探した方が早くて確実なのだ。
……インターネットが使えたら、失業率ももっとマシなんだろうにな。
「そろそろ行こっか?」
「はい」
ラゾールニクに声を掛けられ、気を引き締める。今朝の打合せを頭の中で確認して信号を渡った。
隣の街区の広場からは、リベルタース国際貿易ネモラリス支社が入居する雑居ビルの正面玄関が、よく見える。
同志の情報では、コーレニ・ディアファネスは毎日、十二時五分に出て、隣の街区にある定食屋に入るらしい。
ラゾールニクが掲示板の貼り紙をメモし、クルィーロは求職者の群に紛れて監視する。
広場のスピーカーから正午を告げるサイレンが響く。
驚いた鳩の群が飛び立ち、各ビルから人の群が吐き出された。クルィーロは目を凝らし、首都クレーヴェルの帰還難民センターで会った顔を捜す。
ロークが年を取ればこうであろう顔は、一年以上見なくても、すぐわかった。声を出そうとしたが、顎が強張って動かない。仕方なく、ラゾールニクの袖を引く。
いつの間にか、他の求職者が姿を消し、代わりに会社員らが【跳躍】許可地点に入って来た。
「じゃ、俺らもメシ行こっか」
軽い声と共にポンと肩を叩かれ、そのぬくもりで呪縛が解けた。
「あッ! ロ、ローク君のお父さん……! ですよ、ね?」
彼の行きつけの前で、偶然を装って声を掛ける。
振り向いたコーレニの顔に喜びが溢れた。緊張に震えて上擦る声は、再会の感動と解釈されたようだ。
「君は、確か、ロークと一緒に居た……こんな巡り合わせがあるとは……!」
「クルィーロです。その節はどうも……」
「いえいえ、こちらこそ。息子から、クルィーロさんは命の恩人だ、と聞きました。ご無事で何よりです」
最悪の場合、ここだけで情報を引き出さなければならない。
クルィーロの掌にじっとり汗が滲んだ。
「あの、レーチカに行ったんじゃ……?」
「お時間よろしければ、食べながらゆっくり話しませんか?」
「あ、いえ、俺たち失業中で、その、ちょっと持ち合せが……」
クルィーロが、胸の前で小さく両手を振って遠慮してみせると、コーレニは笑顔で促した。
「この程度で恩返しできるとは思えませんが、ここは私に任せて下さい。……お連れさんも、よろしければご一緒に」
「えッ? 俺、初対面なのに……いいんですか?」
「あなたさえ、よろしければ」
コーレニは、面食らうラゾールニクにイヤミのない笑顔で応じて、先に入った。
昼時は日替り定食のみで、店員は人数だけ確認して、すぐ厨房に引っ込んだ。
奥の卓に腰を落ち着けて見回す。テーブル席は、九割方埋まった。みんなが同じ食器で同じ料理を食べる様子は、小学校の給食を思い出させた。
クルィーロは、打合せ通りに最初の質問を発した。
「えっと、ローク君も今、リャビーナに居るんですか?」
「いえ、勤務先が移転して、今は単身赴任なんですよ。もう少し状況が落ち着いたら家族を呼ぶつもりですが、今は何せ、住宅が全く足りません」
「あー……折角、再会できたのに残念ですね。ローク君、元気ですか?」
クルィーロが同情してみせると、コーレニは淋しげな笑みを漏らした。
「再会から一カ月もしない内に離れ離れになって……こんなご時世ですから、手紙も遅れがちで」
「でも、レーチカからリャビーナまで、届くには届くんですよね?」
「まぁね。北廻りの貨物船ですから、一カ月くらい掛かりますが、一応は届きますよ」
「それなら少し安心ですね」
ラゾールニクが、初対面の相手に合わせて愛想笑いした。
コーレニは、父親の顔で応じ、肩を竦める。
「全寮制の高校に編入したので、どの途、滅多に会えないのは変わりません」
「でも、冬休みくらいは会えたんですよね?」
クルィーロが声を弾ませると、コーレニは沈んだ声で答えた。
「私がレーチカに行けなかったんですよ。妻と父……ロークの祖父は、会えましたが」
……全寮制の高校って、ルフス神学校のコトだよな?
クルィーロは虚実入り混じる話に気付かぬフリで、同情してみせる。
「船に乗れなかったんですか?」
「客船は、船会社が殆ど休業中です。運行を続ける会社は、臨時政府が難民輸送船として借り上げてしまったせいで、一般人が乗れる席は抽籤なんですよ」
定食が来たが、コーレニは話をやめなかった。
「どこも大変ですよね。でも、ローク君が元気で、ちゃんと学校にも行けてるってわかって安心しました」
「ありがとうございます。遠慮なさらず、どうぞ召し上がって下さい」
「ありがとうございます。いただきます」
二人揃って定食に手をつけると、コーレニは二人に探るような視線を向けた。
☆呪符屋に身を寄せて間もない頃、運び屋フィアールカに預けた手帳……「847.引受けた依頼」参照
☆コーレニの単身赴任の件……「796.共通の話題で」参照
☆レノたちが手帳に控えた日……「1432.広場の掲示板」参照
☆首都クレーヴェルの帰還難民センターで会った顔……「636.予期せぬ再会」「637.俺の最終目標」参照
☆客船は、船会社が殆ど休業中……「817.浮かばない案」「819.地方ニュース」参照




