1429.拡散する楽譜
「司祭様は、この歌、どう思う?」
「どうと言われましても……信徒の方々にも星の囁きの場で歌われ、感想を求められましたが、聖典を読むようにとの呼掛けでしかありませんから」
恐らく、レフレクシオ司祭が実際に聴けた歌は、素人の信徒が、星の囁きの小部屋で、ガチガチに緊張して歌ったものばかりなのだろう。
きちんと歌えなかったであろうことは想像に難くない。評価などできようはずもなく、楽曲その物を云々するのも難しい。
信徒たちが手渡した楽譜は、正確性に欠け、歌詞の僅かな間違いで、解釈が大きく変わってしまう可能性もある。
旋律はともかく、正しい歌詞がわからないのでは、相談内容から推測できる共通点で答えるしかない。
質問したラゾールニクは、タブレット端末に動画を表示させた。
平和の花束の四人が歌う元ファイルだ。少女たちの調和のある歌声が、深夜の廃港に流れる。
「闇 拓いて飛ぶ 鳥たち 翼を輝かせ
鳩 懸巣 踊る雀 鷦鷯の歌声
知の灯点し 月と星の導き信じ
夜明けを待つ わたしの手に聖典があるの
見て 聖典のすべて 秘密の教えも
祈りの詞の意味を誰か深く教えてよ
新たな魔を生む 深淵の雲雀は絶えて
もう 悪しき業 伝える者はなく 過たないと誓う……」
魔法のテントが歌声で満たされ、ロークは心做しか【灯】が明るくなったように見えた。
レフレクシオ司祭は、端末の小さな画面で歌う少女たちを瞬きもせず見詰める。彼女らの背景には、星道の職人用の聖典が合成してあった。
「……今 改めて読む 知識 キルクルスの教え
聖典 捲る手を進めれば そこには知の光
護る力を記す 星道記の図面を見せて
悪しき業ではなく 護る力 それもまた魔術
見て 大聖堂の壁 司祭の衣
祈りの詞は訳された力ある言葉
人の手になる三界の魔物の厄 二度と
ただ それだけが 精光記に残された 真の教え」
平和の花束が「真の教えを」を情感たっぷりに歌い上げ、曲の余韻がラキュス湖畔を吹く風に散る。
ラゾールニクは、続けて別の動画を再生した。
大観衆が詰めかけた舞台で、丈の短い衣裳を纏う少女たちが引退を宣言する。
レフレクシオ司祭は、息を詰めて彼女らの懸命な叫びに耳を傾けた。
「デビューしてから、今までずっと、魔法使いのボディガードさんが居たの。でもね、戦争が始まってから、外されちゃったの」
「ボディガードさんってね、普通のおばさんだったの。魔法使えるってだけの、フツーのおばさん」
「今まで内緒にしてたけど、魔女のおばさんは、私たちを何回も、助けてくれてたの。魔物って、実体ないクセして、人間食べちゃうの、ズルイと思わない?」
「私たちも、悪い魔法使いは、ムリって思うけどー! あのおばさんみたいに、魔法使いにも、いい人って、居るんだよー!」
「こんな魔物の多いとこで、聖者様の教えを全部守ってたら、メローペちゃんみたいに、魔物に食べられちゃう! だから、私たち……!」
「だから、私たち、これ以上、聖者様だけを讃える歌は、ムリです!」
「昔は、みんな、魔法使いの人たちとも、仲良かったんだってー!」
「だから、戦争は! やめてーッ!」
「昔みたいに、みんなで仲良くしようねってー!」
舞台上で少女たちと警備員が揉み合いになり、激昂した観客が雪崩込んだ場面で動画が終わった。
「この件、信者から何て聞いた?」
「瞬く星っ娘ですね? バンクシアやバルバツムにもファンがいます。大聖堂に居る時にも、相談を受けました」
「へぇー、このコたち、そんな国際的な歌手なんだ?」
ラゾールニクが感心してみせる。
「えぇ。コンサートの最中にいきなり引退宣言されてショックを受けた、と。バンクシア共和国在住のファンが何人も相談に来られました」
「それだけ?」
「ファンの方々は恐らく、これと同じ動画をご覧になったのでしょう」
「司祭様は見てないんだ?」
ラゾールニクが訝る。
信者のファンが視聴できるなら、司祭も私物の端末で見られるハズだ。
「星の囁きで相談に来られた信者の方々が、端末で表示しようとしましたが、動画が削除されておりましたので」
「アーテル政府のネット検閲ですね」
ロークが言うと、バンクシア人の司祭は不快げに頷いて続けた。
「彼女らは、教会は魔法使いを全て邪悪と決めつけて排除するが、魔力の有無で人間性の善し悪しなど測れないと主張し、魔法使いにもいい人が居ることや、彼女らはずっと魔法で守られてきたと証言した、と異口同音におっしゃいました」
レフレクシオ司祭は、ラゾールニクの露草色の瞳を捉え、一言一句違えず思い出そうとするかのように訥々と語った。
「これ以上、偽りの信仰を歌うのはイヤだから、引退する……と。それが正しい判断なのか、みなさん、悩んでおられました」
ラゾールニクが薄い笑みを広げる。
「今の動画、どう思った?」
「大聖堂では、この動画を閲覧する機会がありませんでしたが……星の囁きで寄せられた相談が、事実だと確認できました。実際、目にすると……こんなにも切実だったのかと……」
「アーテルの様子、大聖堂には伝わってなかったんだ?」
「えぇ。失礼を承知で申し上げますと、辺境の地ですから、どうしても共通語圏の国々では、情報が少なくなります」
「アーテルに赴任して生情報に接したワケだけど、どう思った?」
「秋の連続爆破事件や、魔獣犠牲者の遺族の方々は……苦しみを周囲の人々や、この国の聖職者に打ち明けられません。この状況を何とかしなければならないと痛感しました」
「どう言うコト?」
ラゾールニクは首を傾げたが、ロークは以前、廃病院で聞いた話を思い出した。
「憎しみは、何も生みません。復讐は更なる暴力を呼びます。ですから、私も推奨しませんが、この国の聖職者は、一足飛びに許しを与えよと……深い悲しみや、憎んでしまう苦しみを吐露することすら、許さない人が多いのです」
「えっ? それって例えば、朝、元気に家を出た家族が魔獣に食い殺されて帰りがパーツ単位でも、それを悲しんだり、あの化け物ブチ殺したいとか、言っちゃダメってこと?」
ラゾールニクが面食らう。
ロークは、ルフス神学校のアウグル司祭を想い起した。
戦火で故郷を失ったロークに寄り添う、穏やかな微笑。
あれは、ロークが復讐を云々せず、正式にキルクルス教の神学を学べる喜びや、将来の展望を語ってみせたからなのだろうか。
もし、ロークが家族や、ネモラリスに巣食う隠れキルクルス教徒たち、戦禍をもたらしたアーテル共和国への憎悪を剥き出しにしたら、どんな反応を見せたのか。
「勿論、そうではない……悲しみに寄り添い、憎しみを抑圧せずに癒す努力をして下さる聖職者も居られます。大聖堂や共通語圏の国々の支部でも、同様の問題は存在しますが、アーテルのそれは、私の予想以上に程度が甚だしく……」
「星の標の影響があるかもしれないってコトですか?」
レフレクシオ司祭は、ロークの問いが顔にぶつかったように黙った。
「……現時点では、断定まではできません。慎重に判断しなければなりません」
「どうしてです?」
ラゾールニクがテントの外へチラリを目を遣って聞いた。
「星の標を排除するだけで万事解決と解釈し、取り返しがつかない行動に出る人が現れる懸念があるからです。軽々しいレッテル貼りは、厳に慎まなければなりません」
……自治区のあれは、星の標に酷いコトされた人たちの報復だから、別かな?
「同志が預かった証拠。あれって、つまりそう言うコトですか?」
ロークが聞くと、司祭は疑問を返した。
「あなたは、あれをどう解釈されましたか?」
「お預かりした証拠では明言されませんでしたが、今の流れだと、星の囁きの相談内容をネタに強請ったりとか……そこまでじゃなくても、悲しみや怒り、憎しみを抱いてしまうのを咎めて、困ってる人の逃げ場を奪ってるんじゃないかと思いました」
……実際どうだか、これも確めなきゃな。
レフレクシオ司祭が項垂れる。
「星の囁きの場は完全に密室で、他の方々の間でどんな言葉が交わされるか、私も存じません。しかし、そう思われても仕方のない信仰の歪みが存在するのは、確かです」
「お待たせしましたー!」
クラウストラが、今夜の外見に合わせた元気いっぱいの声と共に魔法のテントに飛び込んだ。
リレーのバトン並の勢いで端末を司祭に渡す。レフレクシオ司祭は【跳躍】で音もなく戻った魔女に動じることなく、礼を述べた。
「戻って早々で悪いけど、司祭様、送ったげて」
「了解っ!」
クラウストラはラゾールニクの指示を受け、おどけた笑顔で敬礼した。司祭の手を取り、有無を言わさず立ち上がらせる。
「久し振りに外部の方とお話できて、気が楽になりました。有難うございます」
「ヤな話題ばっかでも、いいんだ?」
ラゾールニクがひょいと片眉を上げる。
「ルフス光跡教会では、とても……こんな話はできませんので」
「同じ信仰の人ばっかりのとこなのに?」
「一人も気を許せる相手が居ないって?」
魔法使いの二人が同時に首を傾げる。
レフレクシオ司祭は、試すような視線を正面から受け止め、肯定した。
「そうなりますね……おやすみなさい」
司祭が魔法のテントを出た途端、クラウストラが呪文を唱え、二人の姿が掻き消えた。
ラゾールニクが立ち上がり、テントを片付け始める。ロークも手伝いながら、思い付きを口にした。
「あのCD、歌詞付けないで売ってたんですね」
「うん。動画も、背景に聖典の画像入れたから、字が重なってゴチャつかないように歌詞の字幕を入れなかったんだ」
「歌詞がない方が、何て歌ってるんだろうって、じっくり聴くからですか?」
「君ってホント、タダの高校生にしとくにゃ惜しい逸材だな」
「茶化さないで下さい」
「褒めてるんだよ。……実際、わざわざ書き起こして楽譜まで作って、人目に付くとこに貼る奴が現れたワケだ。何人も」
彼らは、その作業にどれ程の時間と労力を費やし、心に歌の意味を染み込ませたのか。
ラゾールニクは、司祭から預かった楽譜をコートの内ポケットにねじ込み、畳んだテントを普通の収納袋に片付けた。
「じゃ、行こっか」
今夜の宿泊場所は、首都ルフスの拠点のひとつだ。
ロークはラゾールニクと手を繋ぎ、【跳躍】に身を委ねた。
☆「真の教えを」……「0987.作詞作曲の日」「1018.星道記を歌う」参照
☆少女たちが引退を宣言……動画「430.大混乱の動画」、ニュース「424.旧知との再会」「429.諜報員に託す」参照
☆このコたち、そんな国際的な歌手……「531.その歌を心に」「567.体操着の調達」「0992.不意の打合せ」「1237.聖歌アイドル」「1238.異なる価値観」参照
☆廃病院で聞いた話……「1108.深夜の訪問者」~「1110.証拠を託す者」参照
☆ルフス神学校のアウグル司祭……「742.ルフス神学校」「743.真面目な学友」参照
☆自治区のあれは、星の標に酷いコトされた人たちの報復……「0991.古く新しい道」参照
☆同志が預かった証拠……「1109.腐敗を語る声」「1110.証拠を託す者」参照
☆あのCD……「1065.海賊版のCD」「1067.揉め事のタネ」参照




