1427.信徒間の格差
テントの外には、遮るものひとつない満天の星空と、夜風に漣を立て、月光に煌めくラキュス湖が広がる。
司祭が寝巻きの上から羽織るコートの裾が翻った。真冬の湖畔に虫の音はない。壊れた岸壁に風の寄せる波の音が、やけにはっきり聞こえた。
「お陰様で、傷は全く痕も残さず治りました」
レフレクシオ司祭に改めて礼を言われ、ロークは会釈で応じて先を促した。
「少し前から、私も礼拝には出られるようになりました」
「外出は、まだダメなんだ?」
ラゾールニクが聞くと、レフレクシオ司祭は力なく頷いた。
「私の外出が禁じられる理由は……現在についてはわかりません」
アーテル本土では昨秋、濃霧の時期に多くの通信設備などが爆破され、市街地に多数の魔獣が出現した。同時期に湖底ケーブルが複数箇所で破断し、現在も通信途絶が続く。
アーテル陸軍の対魔獣特殊作戦群が出動し、魔獣の駆除にあたる。この大規模な魔獣駆除作戦には、ランテルナ島の魔獣駆除業者も駆り出された。
学校園は休校措置が取られ、戦う力のない一般市民は外出を自粛する者が多い。だが、社会と市民生活を維持する為、通常通り業務を継続する企業や個人商店は、かなりの数に上った。
レフレクシオ司祭は昨夏、ルフス光跡教会の礼拝堂内で魔獣と遭遇した。
魔獣の駆除が進んだ年明けから、大学と高校だけ休校措置が解除されたが、魔獣はまだ居る。
……大聖堂の司祭にこれ以上、何かあったら大失態だもんなぁ。
礼拝堂での事件を考えれば、教会の敷地内も決して安全とは言えないが、レフレクシオ司祭が外出先で魔獣に襲われ、魔法使いの魔獣駆除業者に助けられる展開を避けたいのだろう。
勿論、大聖堂から派遣されたエリート司祭に死なれても困る。
「はははっ。魔獣に襲われた実績のある礼拝堂はよくて、外出はダメなんだ?」
「礼拝の日は、軍の特殊部隊が礼拝堂の内外で待機します」
ラゾールニクの乾いた笑いに答えた司祭は、何とも言えない顔だ。
「住宅街の小さな教会には、軍や魔獣駆除業者は居ませんでしたけど?」
ロークが扱いの差をつつくと、レフレクシオ司祭はテントの外に目を遣った。
真冬の澄んだ夜空で、冴え冴えと星が瞬く。
キルクルス教の司祭は、聖なる星の道への入口でも探すのか、無言で天を見詰めた。
「……確認できることではありませんので、私の推測に過ぎませんが」
レフレクシオ司祭が前置きして振り返り、凪の湖のような声で答えた。
「着任以前の様子はわかりませんが、現在、ルフス光跡教会の礼拝に参列する信徒は、みなさん、共通語が堪能なようです」
「そんなコトまでわかるんだ?」
テントの奥で胡坐をかいたラゾールニクが、身を乗り出した。彼の魔力が、このテントに施された各種防護の術を発動させる。
レフレクシオ司祭は頷いた。
「私の説教を通訳なしで聞いて……表情からの推測ではありますが、みなさん、きちんと理解なさったように見えました」
「ふーん。でも、そんなのアーテル人ならみんなそうじゃないの? 学校で習うんだろ?」
「ルフス光跡教会への着任が決まってから、この国の状況を知る為に翻訳アプリを介して、複数のSNSを調べましたが、えぇっと……その、教育の格差は、どこの国にも厳然と存在するのだと痛感させられました」
……まぁ、元々の頭の良し悪しに差があるんだから、同じコトを勉強したからって、みんながみんな、同じ学力になるワケじゃないもんな。
ロークは、少年兵モーフを思い出した。
ネモラリス共和国では、家庭の経済力の差が、教育を受ける機会の段階で格差を生む。
モーフと最後に会った日から長い時間が経った。
移動放送局から上がった報告書によると、魔獣の群や麻疹で足留めされた村の学校で、ゆっくり学ぶ機会を得た。お陰で、モーフも小学校の教科書なら、読めるようになったらしい。
アーテル共和国では、聖者の教えに従って、学費は全て無償だ。
それでも、貧しい家庭の子は厳しいらしい。ルフス神学校の一般クラスと星道クラスには、貧しい家庭の子用の枠がある。しかし、成績上位者順の狭き門だ。
合格できなかった子たちはどうなるのか。
聖職者クラスの同級生は、富裕層ばかりで、庶民の情報は得られなかった。
……あ、これも調べなきゃ。
「ルフス光跡教会に通う信徒は、身形のいい方々ばかりです」
「ドレスコードでもあんの?」
「そんなものはありません。常識の範囲内で結構です」
「アーテルの信者の中で、イイ服着なきゃって不文律でもあんのかな?」
ラゾールニクがロークを見る。
「えーっと、後で調べます。でも、俺とクラウストラさんが行った時、庶民的なカッコでしたけど、入口で止められませんでしたよ」
「子供は例外とか?」
「それは、私にはわかり兼ねます」
司祭が首を振る。
今、この魔法のテントに集まったのは全員、アーテルから見て外国人だ。
……どうやって調べようかな?
神学生ファーキル・ラティ・フォリウスには、ショッピングモールのカフェで会えるだろうが、彼は上流階級の者だ。「冒険者カクタケア」ファンの光ノ剣と影ノ盾は庶民に見えたが、連絡手段がなかった。
……街の人を地道に観察するしかないのかな?
「まぁ、内乱からの復興には地域格差があるし、そこから経済や教育の格差が広がらない方がおかしいもんな」
ラゾールニクが三十年余りの状況を簡潔に説明すると、バンクシア人の司祭は、沈痛な面持ちで頷いた。
「私が本国で取り急ぎ調べただけでも、その情報がたくさんみつかりました。世界各地の信徒から復興資金の寄付が寄せられても、その使途に偏りがある……と」
「そうだな。……話は戻るけど、ぶっちゃけ、司祭様が礼拝に出られるようになったのって、客寄せだよな?」
大聖堂から派遣されたエリート司祭は、魔法使いの失礼な物言いに腹を立てる様子もなく、肯定した。
☆お陰様で、傷は全く痕も残さず治りました……「1108.深夜の訪問者」参照
☆少し前から、私も礼拝には出られる……「1361.お互いの情報」参照
退院後も礼拝に出してもらえなかった……「1213.確認に費やす」「1237.聖歌アイドル」「1255.被害者を考察」参照
☆昨秋、濃霧の時期/通信設備などが爆破……「1219.白色の闇作戦」「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」「1260.配布する真実」参照
☆市街地に多数の魔獣が出現……「1230.又とない好機」「1290.工場街の調査」~「1292.修理できない」「1334.武官らの働き」「1343.低調な投票率」~「1346.安定には遠く」参照
☆同時期に湖底ケーブルが複数箇所で破断……「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」参照
☆現在も通信途絶……「1261.対クレーマー」「1262.沈みゆく泥船」参照
☆ランテルナ島の魔獣駆除業者も駆り出された……「1232.白い闇の中で」「1254.防人の巡視船」「1290.工場街の調査」~「1292.修理できない」「1341.何の為に働く」参照
☆学校園は休校措置……「1260.配布する真実」「1290.工場街の調査」「1291.庶民の恨み節」参照
☆戦う力のない一般市民は外出を自粛……「1294.フツーに仕事」~「1296.虚実織り交ぜ」参照
☆通常通り業務を継続する企業や個人商店……「1290.工場街の調査」~「1294.フツーに仕事」参照
☆ルフス光跡教会の礼拝堂内で魔獣と遭遇/礼拝堂での事件……「1071.ルフスの礼拝」~「1077.涸れ果てた涙」参照
☆年明けから、大学と高校だけ休校措置が解除……「1406.ファクスの涙」参照
☆住宅街の小さな教会……「1294.フツーに仕事」~「1296.虚実織り交ぜ」参照
☆魔獣の群や麻疹で足留めされた村の学校で、ゆっくり学ぶ機会を得た……「1052.校長の頼み事」「1054.束の間の授業」参照
☆モーフも小学校の教科書なら、読めるようになった……「1113.知の灯を識る」参照
☆ルフス神学校の一般クラスと星道クラス……「744.露骨な階層化」参照
☆俺とクラウストラさんが行った時……「1069.双頭狼の噂話」「071.ルフスの礼拝」参照
☆神学生ファーキル・ラティ・フォリウスには、ショッピングモールのカフェで会える……「1406.ファクスの涙」~「1411.データの宝箱」参照
☆「冒険者カクタケア」ファンの光ノ剣と影ノ盾……「1134.ファンの会合」~「1136.民主主義国家」参照
☆内乱からの復興には地域格差がある/復興資金の寄付が寄せられても、その使途に偏りがある……「164.世間の空気感」「371.真の敵を探す」「567.体操着の調達」「0999.目標地点捕捉」「1088.短絡的皮算用」参照




