1426.真夜中の湖畔
湖面で小さな月光が戯れる。
ロークは、こんな場所で夜のラキュス湖を眺めるとは夢にも思わなかった。
隣に立つバンクシア人の司祭は、もっとそうだろう。レフレクシオ司祭が、テントの前で足を止め、藍色の上に散らばる月光の破片を見詰める。
テントの周囲には【簡易結界】が巡らされ、廃港に涌いた雑妖を寄せ付けない。テント本体の布には【魔除け】【耐火】【耐寒】【耐暑】の呪文と呪印が染め付けられ、内部は季節を問わず快適だと聞いた。
先に来て準備を整えたラゾールニクが、中で胡坐をかいて待つ。
ロークとレフレクシオ司祭を【跳躍】でここに運んだのは、クラウストラだ。ランテルナ島東部に位置する廃港には、テントの他に健在な人工物はない。
彼女は着いた早々、司祭からタブレット端末を預かり、回線が繋がる場所へ跳んだ。データの授受と充電を終えて戻るまで、三人で話すことになったが、司祭は魅入られたように動かなかった。
「司祭様、寒くありませんか?」
ロークの声が凝り、月光に白く曇る。レフレクシオ司祭は、寝巻の上から羽織ったコートの前を合わせたが、湖から目を離さなかった。
ラゾールニクも、中から流暢な共通語で話し掛ける。
「火はありませんけど、テントの中は風が当たらなくていいッスよ」
「波が……」
「波?」
ロークは湖面に目を凝らした。
月光が漣に煌めく様は確かにキレイだが、今はそれどころではない。
……ひょっとして、湖に映った月の光を聖なる星の道に見立ててるのか?
「波の動きが、不自然な箇所があるのですが、あれは一体……?」
レフレクシオ司祭が指差す方を見遣ると、やや沖合に何かが這うようなうねりがあった。
「あー、それ、湖の魔物ッスよ。おっきいのだろ?」
ラゾールニクの声を背中で聞いて、水面に目を凝らす。
距離があってよくわからないが、うねりの幅は大人の身長くらいあるように思えた。
……魔物? 人間なんか丸呑みだよな?
冴え冴えとした月と星に縁取られ、水の動きが浮かんで見える。湖水のうねりに寒さとは別の震えが走った。
「大きいのは、王家の使い魔だから大丈夫だ。何もしなきゃ人を襲わないよ」
「王家のツカイマ……ですか?」
レフレクシオ司祭は、湖南語の単語をたどたどしく繰り返した。流石のラゾールニクも、共通語の訳語を知らなかったらしい。
「魔法で、小動物とか、術者より弱い魔物を使役できる。要するに、誰かに支配されて飼われてる奴のコト」
「魔物を?」
振り向いた司祭が、湖に向き直る。
「ラキュス湖は女神様のご加護があるから、魔物がこの世の生き物を捕食しても実体化しない。で、この世の肉体がないまま、どんどん大きくなる」
「ラクリマリス王家は、その魔物を使役して湖上封鎖してるんです」
ロークがラゾールニクの説明に付け加えると、司祭が驚いた顔を向けた。
「湖水を纏った魔物が、湖上封鎖に逆らう船や飛行機を沈めんの。半世紀の内乱中、湖の藻屑になったのが、今もわんさか沈んでるよ」
ラゾールニクの淡々とした説明で、バンクシア人の司祭は一歩退がった。
ここもまた、半世紀の内乱時代の傷痕を残す。
ロークは、あの夏の日、移動販売店のみんなと一緒に薬草を摘んだのを思い出した。真冬の深夜にあの夏の輝きはなく、到底、同じ場所とは思えない。
レフレクシオ司祭が、やっと魔法のテントに入り、ロークも続いた。
暖かさにホッと息を吐く。四人くらい泊まれそうな広さだが、今回は日帰りだ。
「毎回、病院の廃墟ってのも気詰まりだろうから、今日はちょっと場所を変えてみたんだ」
ラゾールニクが、タブレット端末にダウンロード済みの地図を表示させる。
「今はここ。ランテルナ島だ」
「光の導き教会がある島ですね」
「来たコトある?」
「いえ、ルフス光跡教会の方々から、この島で生まれた無原罪の清き民を導く唯一の光だと教わりました」
「橋で繋がってて、路線バスもあるのに何でって思わなかった?」
ラゾールニクが聞くと、司祭は端末から勢いよく顔を上げた。
「バスの定期便があるのですか?」
「戦争始まってから、本数は減ったけど、一応、毎日走ってるよ」
ラゾールニクが何でもないコトのように答え、ロークも頷いてみせる。
「イグニカーンス市と繋がっています」
「子供向け小説の舞台になり、少年少女がランテルナ自治区へ観光気分で出掛けることが、社会問題になったと耳にしました」
「中高生向けの娯楽小説ですけど、信仰の問題に切り込んだりとかしてて、大人でも嵌る人が居るんです。湖南語なので」
「努力します。よろしければ、次の機会にお持ちいただけませんか?」
予想以上の食い付きで、ロークはラゾールニクを窺った。
「今、アーテル領の回線がアレで、電子書籍をダウンロードできないんだよな。でも、紙の本がそっちの教会の人にみつかったらヤバいし」
レフレクシオ司祭が肩を落とす。
「うん。まぁ、すぐにはムリだけど、何か手がないか考えてみるよ」
「ありがとうございます」
「で、司祭様、最近どう?」
ラゾールニクは地図を閉じ、世間話でもするように聞いた。
☆王家の使い魔……「0103.連合軍の侵略」「869.復讐派のテロ」「1086.政治の一手段」「1216.ケーブル地図」「1217.工兵との会議」「1222.水底を流れる」参照
一般人の認識……「022.湖の畔を走る」参照
半世紀の内乱中の記録……「496.動画での告発」参照
☆あの夏の日、移動販売店のみんなと一緒に薬草を摘んだ……「474.車のナンバー」~「479.千年茸の価値」参照
☆毎回、病院の廃墟
一回目……「1108.深夜の訪問者」~「1110.証拠を託す者」参照
二回目……「1255.被害者を考察」「1256.必要な嘘情報」参照
司祭館の部屋で端末の授受のみ……「1361.お互いの情報」参照
☆光の導き教会……「841.あの島に渡る」「843.優等生の家出」「846.その道を探す」参照
「冒険者カクタケア」シリーズの聖地巡礼……「795.謎の覆面作家」「796.共通の話題で」参照
☆橋で繋がってて、路線バスもある……「0173.暮しを捨てる」「314.ランテルナ島」「336.地図情報取得」「383.空の路線バス」「444.森に舞う魔獣」「445.予期せぬ訪問」「474.車のナンバー」「841.あの島に渡る」「0999.目標地点捕捉」参照
☆アーテル領の回線がアレ……「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」参照




