1425.掴めない糸口
工作員の動画アカウントには、本人が作詞作曲した歌の弾き語りや、ギター演奏の投稿もある。
ミニライブの再生回数は、いずれも十万には遠く及ばない。最も再生数が多いギター演奏の動画でも、数年前の公開で三万程度だ。題名に「オリジナル」と冠した数カ月前の弾き語り動画は、二千回にも届かない。
……平和の花束の人気に便乗して、これか。
交響楽団で竪琴奏者として働いたラクエウス議員の耳にも、ギターの演奏技術は申し分なく聴こえた。
難があるのは、やや平板な声だ。
関連動画一覧にざっと目を通した限り、彼の投稿で最も再生回数が多いのは、平和の花束の楽曲「真の教えを」を歌ってみた動画だった。二番目はギター演奏のみの動画。弾き語りは、一覧表示に見える限り、どれも五千回に満たない。
……滑舌がよく、歌詞がはっきり聞き取れるのが救いか。
音を外したワケでもないのに下手に聞こえるのは、声質のせいか。抑揚が弱く、感情の籠もらない歌い方のせいなのか。
つい、余計な心配をしてしまい、ラクエウス議員は卓上の封筒を手に取って、気持ちを切替えた。
「話は変わりますが、同志たちがアミトスチグマの慈善団体と協力して、不要な調理器具などを募りましたところ、予想以上にたくさん集まりました」
「それはよろしゅうございました」
亡命議員は、大判封筒から紙束を出して卓上に広げた。集まった物資の一覧と代表的な物の写真。協力を承諾した三つの慈善団体の略歴と連絡先だ。
「これらの団体は、かねてより、この地へ逃れた同胞への支援を実施して下さっております。今回の大使館への連絡の件につきましても、周知にお力添えいただきました」
みんなの食堂、大樹の枝、ラキュスの岸辺の代表と幹部には、リストヴァー自治区への支援の件を大使館側には伏せるよう依頼済みだ。
「これをいただいても……?」
「その為にお持ち致しました」
「恐れ入ります。早速、来庁できない方への伝言などでご協力いただけないか、打診させていただきます」
「儂らの方からも、簡単に話を通しておきました」
「何から何まで……恐れ入ります」
駐アミトスチグマ大使館を出ると、一段と冷たさを増した風が骨身に凍みた。
間もなく一月が終わる。
月が改まれば、魔哮砲戦争の開戦から丸二年だ。
国外流出したネモラリス人の帰還どころか、終戦の兆しすらなかった。
……取っ掛かりがないのではな。
溜め息が小さな雲となって北風に流れる。
夏の都を行き交う人々は、新年の浮かれた様子が消え、すっかり日常に戻った。この平穏な風景のどこかで、戦火を逃れたネモラリス人が息を詰めて暮らす。
着の身着のままで逃れた彼らは、貧困だけでなく、自国政府の難民支援を快く思わないアミトスチグマ人の差別や心ない言動からも、身を守らねばならなかった。
ラクエウス議員と、戦争当事国であるアーテル政府の接点は、星の標だけだ。
リストヴァー自治区の星の標は、ネミュス解放軍によって武装解除された。
現在は、大聖堂から派遣された司祭と、自治区に駐留するネモラリス政府軍の監視下にある。
解放軍との協定で、星の標リストヴァー支部長を兼ねる区長が、アーテル支部と連絡を取った。
アーテル領内の状況を探らせたが、魔哮砲の行方は杳として知れず、政府との交渉の糸口さえ掴めぬ内にアーテル側の通信網が破壊された。
……政府の中枢に働き掛けられぬとなると、若者たちの草の根活動に賭けるしかないのか。
平和を望む歌の広がりには手応えを得られたが、直ちに和平交渉に結びつくものではない。
終戦が成就した暁には、二度と戦火を交えぬよう、息の長い活動を通じた国民一人一人の意識改革が必要だ。若者たちの草の根活動は、その為には極めて重要ではあるが、今すぐ大きな力を発揮する類のものではなかった。
……儂の存命中に平和を迎えられるのだろうか。
モルコーヴ議員との待合わせ場所に着いた時には、齢九十を越える身はすっかり冷え切ってしまった。フラクシヌス教徒の議員は、急いで呪文を唱え、支援者のマリャーナ宅へ送ってくれた。
「すみません。連絡が遅くなってしまって」
「では、知っておったのかね?」
「はい。この工作員っぽいギターの人、SNSとブログにも歌ってみた動画を埋め込んでて、真実を探す旅人のフォロワーさんが、こんなのありますよって、公開初日に教えてくれたんです」
ファーキル少年が申し訳なさそうに経緯を語り、隣の席でタイゲタが、パソコンの画面とラクエウス議員の間に視線を走らせた。
「このギタリスト、ブログでおカネないない言ってますし、これもどこかからおカネもらって投稿したんじゃないんですか?」
「何故そう思うのかね? 広告収入目当てでは……」
「これだけ異様にアクセス伸びてますから」
眼鏡の少女の指摘は一理あるような気がしたが、その「どこか」は、ネモラリス政府が各国の大使館に配置する駐在武官の可能性が高いのだ。
「今までも、ニュースのコメントでアーテルをディスったり、星界の使者の『平和を実現しましょう』みたいなキレイゴトを拡散したり、ちょこちょこやってましたよね? 工作」
「それとこれとは、質も危険性も異なるのは、タイゲタさんの方がよく知っておるのではないのかね?」
「あ……他のオリジナル曲のライブ動画……顔出しですね」
タイゲタが動画一覧のサムネイルを見て青くなる。
聖典と信仰の真相を伏せるキルクルス教団を揶揄するような歌だ。
バルバツム連邦政府が建前上、信仰の自由を謳っても、国民の大半はキルクルス教徒だ。国の制度自体も、魔法文明圏の国々には査証を要求するなど、差別的なものが多い。
多少、報酬を上積みされた程度で、身元を明かして歌えるものなのか。
ユアキャストのコメント欄は閉じてあり、視聴者の反応は窺えなかった。
☆交響楽団で竪琴奏者として働いたラクエウス議員……「214.老いた姉と弟」「220.追憶の琴の音」参照
☆協力を承諾した三つの慈善団体……「1283.網から漏れる」「1305.支援への礼状」「1306.自助の増強を」「1381.支援者に支援」「1404.現場主義の力」参照
☆自国政府の難民支援を快く思わないアミトスチグマ人の差別や心ない言動……「291.歌を広める者」「229.待つ身の辛さ」「415.非公式の視察」「1186.難民支援窓口」参照
☆リストヴァー自治区の星の標は、ネミュス解放軍によって武装解除……「917.教会を守る術」「920.自治区の和平」「921.一致する利害」「0939.諜報員の報告」参照
☆大聖堂から派遣された司祭……「1007.大聖堂の司祭」「1008.動かぬ大聖堂」参照
☆自治区に駐留するネモラリス政府軍……「1287.医師団の派遣」「1326.街道の警備兵」「1327.話せばわかる」「1357.変化した団体」参照
☆解放軍との協定……「921.一致する利害」「0939.諜報員の報告」→調査を実行「0953.怪しい黒い影」「0967.市役所の地下」「0968.黒い都市伝説」参照
☆アーテル側の通信網が破壊された……「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」参照
☆魔法文明圏の国々には査証を要求……「434.矛盾と閉塞感」参照




